色々と考えましたが、

そろそろこういった

思想的、価値観的な話

も語ってみたいと感じました。

 

 

筆者の人間観は、

仏教における輪廻をベースにしていますし、

筆者が広めていきたいと考える「うつし」も、

和歌の朗読という

日本古来の表現を取り入れています。

 

 

そんな筆者が日本嫌いなわけはありませんし、

そもそも筆者が愛してやまない

漫画やアニメ、ゲームといったエンタメは、

日本だからこそこれだけの発展をした

と考えています。

 

それは、これまでのブログでも語ったとおり、

日本には元々多様な価値観を受け入れる精神性

が根付いており、

それは恐らく、日本神道という

主神あるアマテラスのもと、

八百万の神々すべてを良しとする思想

が根底にあるがゆえだと思うのです。

 

それを生み出しているのが、

アマテラスの血を引く皇室の一族を

中心とした国家社会という

基盤があってのことでしょうし、

国民を支配者の所有物ではなく、

皇室にとって最も大切なもの

「おおみたから」である

という概念があればこそ、

民衆が自分たちの意志で自由に発信する

ことが許されてきたのでしょう。

 

 

もちろん、手放しに何もかもを

良しとするわけではありません。

明治期における廃仏毀釈は、

日本史上稀に見る愚行であった

と思っていますし、

維新後の混乱する社会をまとめるため、

という大義名分があったとしても、

「仕方なかった」

で済ませてはいけないことは

他にも山のようにあるのだと思います。

 

 

しかし、それを差し引いても、

2600年という長い歴史の中で、

日本ほど血生臭い革命や、

目を覆いたくなるような虐殺や弾圧が

「無かった国」など、

珍しいのではないかと思うのです。

 

余りにも珍しすぎて、

筆者も昔は……というより、

実は今も頭の片隅では、

私たち民衆の知らないところで、

密かに闇に葬られた

おぞましい歴史があるのではないか。

今の私たちが知っている歴史は、

為政者にとって都合の良いものだけが

残されているだけなのではないか。

 

……などと邪推してしまうことも

あるくらいです。

 

 

しかしそれも、

日本がこれまで歩んできた歴史を見れば、

考えすぎ、

ただの妄想、

あるいは戦勝国からの自虐的洗脳、

なのだろうなと思う根拠を、

いくつも挙げることができます。

 

 

次回以降は、

筆者が日本を好きであるという理由や、

漫画やアニメという自由な表現を

生み出してきた思想の源流、

といったものの一部を、

筆者の目線で紹介していこうと思います。

 

 

これは持論ですが、

不健康を作り出す原因のひとつは、

「自分自身に対する不信感や無能感」

ではないかと考えています。

 

それを払拭するための方法として、

自己啓発だったり、

あるいは瞑想などによる内省だったり、

色々なアプローチがあると思いますが、

そういったもののひとつとして

「自分の生まれた国のすごいところを知る」

という方法を含めてみるのも

良いのではないかと思うのです。

 

愛国教育みたいな大それたものではありませんし、

過度なナショナリズムを煽るつもりもありません。

 

ただ、

自分の生まれた国のことを知り、

その国の良いところを見ていくと、

自然と好きになってゆく、

あるいは感謝の思いのようなものが

生まれてくるのではないでしょうか。

 

そして、

自分の生まれた場所を好きだという思い、

あるいはありがたいという思いは、

私たちの肉体にも

必ずや何かしらの良い影響を

もたらすのだと思うのです。

 

 

 

先人が凄いからといって、

自分も凄いわけではない……

 

実に日本人らしい、

謙譲の美徳だと思いますが、

それも過ぎれば自虐になります。

 

他者に対してはそれもアリでしょうが、

自分自身に対してくらいは、

そういうのは少し控えるくらいが

ちょうど良いと思うのです。

 

その縁として、

考古学的に1500年、

古事記や日本書紀に基づけば2600年、

一説には2万年を超えるとも言われるほどに

積み重ねてきた歴史というものを使わないのは、

余りにも勿体なさすぎるのではないでしょうか。

 

 

ハッキリ言って、

筆者の歴史知識なんて、

趣味レベルのものです。

 

専門に研究している方から見れば、

一面的、短絡的であると

感じてしまうかもしれません。

 

ですが、

個々人の健康のための縁

として用いるなら、

実はそのくらいが

ちょうど良いのではないでしょうか。

 

 

歴史は英訳すると「History」ですが、

その語源は「Story」であり、

そもそも両方とも、

ラテン語の「Historia」から派生した言葉である

という学説があります。

 

ならば、客観的な情報の羅列としての歴史ではなく、

私たちを育んできた物語としての歴史を、

身体的、精神的健康へと落とし込み、

ひとつの「健康のあり方」

として用いるのは、アリだと思うのです。

 

格好いい主人公や、

魅力的なヒロインが活躍する漫画を読むと、

元気が出てくる気がしますからね。

つまりは、その延長です。