テレビでの放送を見逃したので、DVDをレンタル。細田守監督の『バケモノの子』。
細田監督の作品を観るのは、『時をかける少女』、『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』に続いて4作品目です。
細田守監督の特徴は、現実世界とファンタジーの世界を融合させる作風にあり、今作ではさらにその特徴が際立っていて、主人公の九太は人間の世界である「渋谷」とバケモノの世界である「渋天街」を何度も行き来する。
物語自体が、現実とファンタジーを並列させ、往復させる構造になっている。
あらすじは以下の通り。

豚顔の僧侶・百秋坊に保護された蓮は、熊徹に出会う。熊徹は、蓮を自分の住処に弟子として住まわせ、名乗らない蓮を、9歳であることから、「九太」と名付ける。だが、蓮は弟子になることを拒否し、逃げ出した。蓮を追う熊徹は、バケモノたちを束ねる長老「宗師」となることを争う猪王山と出くわす。
力では圧倒する熊徹だったが、相手の動きを読んで合わせることができない熊徹は、負けそうになる。その姿を見た九太(蓮)は、「負けるな!」とつい応援してしまった。そこから、九太(蓮)は、熊徹の弟子となることを決め、一緒に修行を行う。
チコ=母の亡霊から、「なりきる。なったつもりで」、という〈啓示〉を受けた九太は、必死に熊徹の真似をする。
自分の真似ばかりする九太を鬱陶しがる熊徹に百秋坊は、「親は子の鏡と言うからの」とアドバイスする。九太が自分を「親」と目していることに気を良くした熊徹は、以後、九太の前で武術の稽古、型を徹底して演じてみせる。
熊徹の見よう見真似で動きを研究していた九太(蓮)は、いつしか華麗に相手の攻撃を見切って動くことができるようになっていた。
そこから、熊徹は九太(蓮)に打撃や剣技を教え、九太(蓮)は熊徹に相手の動きをかわすステップを教えるのだった。実は、熊徹もまた1人で幼少期を過ごし、生きてきたこともあり、自己流で武術を体得してきたため、教を受けるということがなかったのだった。

修行を続けた九太(蓮)は、17歳になっていた。ある日、熊徹との言い争いの後、逃げ回っていた九太(蓮)は、狭い路地を抜けて渋谷に行き着いた。久しぶりの人間界に戻った、九太(蓮)は、図書館で本を読んでいた。
すっかり漢字を忘れてしまった九太(蓮)は、楓という女子高生に出会う。
九太(蓮)は、楓に勉強を教わるようになり、その旺盛な学習意欲を見た楓は、九太(蓮)に、「高卒認定を受けて、大学に行かない?」と勧める。
進学のための補助金を得ようと、手続きを行うために住民票などを調べたところ、父親の住所を知る。久しぶりに再会した父親は、しばらく戸惑っていたが、九太(蓮)が息子であると分かり、再会を喜ぶ。疾走した九太(蓮)を、父親は探し続けていたのだという。
父親と暮らすべきか、熊徹と暮らすべきか悩む九太(蓮)だったが、熊徹との言い争いの後、熊徹のもとを去った。その後、熊徹は猪王山と宗師の座を賭けて闘うこととなった。現在の宗師は、神となることになり、空いた宗師の座をどちらかに引き渡すことになっていた。

九太(蓮)が自分のもとを去り、冷静さを失った熊徹は猪王山に負けそうになるが、九太(蓮)が応援をし、一緒に修行していた頃を思い出した熊徹は、形勢逆転して猪王山を倒し、見事、宗師となる。
だが、父・猪王山の敗北を認められなかった一郎彦は、心の闇に取り込まれ、熊徹に背後から念動力によって刀を突き立ててしまう。実は、一郎彦は九太(蓮)と同じく人間だった。渋谷の路地裏に捨てられた赤ん坊だった彼を、猪王山が拾って育てたのだった。
自分が一向にバケモノらしい姿にならないことを思い悩んだ一郎彦は、いつしか心の闇を抱えるようになってしまっていたのだった。熊徹の仇討ちをすべく、九太(蓮)は立ち上がる。
九太(蓮)は、渋谷の街にいた一郎彦と戦う。だが、そんな彼は鯨に自らの姿を変え、強大な力を持っていた。九太(蓮)は、一郎彦を自らの心の闇に取り込み、自害しようとするが、そんな彼のもとへ、熊徹が現れた。熊徹は、傷ついた体で宗師に「自分を先に神にならせて欲しい」と願い出る。

熊徹は、「九太の心の刀になる」という思いから九十九の神となり、刀に姿を変える。
熊徹を心の中に取り込んだ九太は、一郎彦を倒し、事態を収束させる。一郎彦は、意識を取り戻し、渋天街で家族のもとへと戻った。
九太(蓮)は、人間界で父親と一緒に暮らすことを決め、大学に進学することを目指して勉強に励むのだった。