生きる希望は「自死」「自害」「自殺」である。
自らの命は本来ではコンピュータのように強制終了してはならない。
この肉体は借り物であり、借り物を勝手に破壊してはならない。
そのようなキリスト教の教えを叩き込まれた私でさえ、心にはもう届かないほど、
私が壊れたんだ。
私の肉体はまだ「生きている」が心はすでに「死亡届けが受理された」様子である。
私という生命体はもう死んでいる。
ONLY ONE ONLY・・・。
私は孤独である。孤独の塊である。
だから病気を悪化させてしまうのか。両親からの攻撃など追加されなければ、私は
「死」を覚悟することなかったろう。