不便な時にしか無かったもの。


便利になって寂しくなったな。って感じる事がある



例えば、有線イヤホン



沖縄のモノレールが出来たてホヤホヤぐらいの時に



彼女と友達と3人でモノレールに乗った




自分は、乗り物に乗る時は当時から

イヤホンが必須だった




彼女は友達と2人で話すだろうと思ってたし

面倒くさかったから



モノレールに乗ると、すぐにイヤホンをつけた



そうすると彼女が

片っぽ貸して。って言うから2人で片っぽずつ

イヤホンを付けて

YUIを聴きながら座っていた




駅に着くと

友達が彼女に、行こ!つって手を引っ張ったんだけど



彼女が待って、繋がってるから

そっちいけない。つってて


友達がめちゃくちゃ

冷たい目で見てた。




エモい




友達居るんだから音楽聴くなよって話なんだけど







これをしてるヤツらは音楽なんて聴いてないわけで繋がってる感と密着度に酔ってる



それも有線イヤホンだから出来ることだ。



てか、何この付け方

逆の耳でいいだろ




有線イヤホンの全く同じタイミングで同じ曲を隣に居る人と共有できる所が

自分的にめちゃくちゃ良かった




Bluetoothのイヤホン片っぽ貸すのは

何か違うんだよな。





今考えると

中学ん時からずっとイヤホンをしてた


授業中もジャージと髪の毛で隠しながら

音楽聴いてた






2つ目の便利になって寂しいと感じるもの




スーパーとかコンビニのレジだ。

中途半端にセルフになってたりする。



小さい小さいやり取りが

どんどん削られて全てセルフになっていくんだろう



なんだか、寂しいな。



家の近くのファミマの店員さんは

自分が、いつもカフェラテを買うのを知っているので

レジに並んだ時に既にカフェラテのカップを用意してくれている



そこから久々ですねー!元気でしたか?って店員さんと話すことも増えた



なんだか嬉しくて

あの店員さんの居るファミマに行こー!って思ったり



そういうのも今後は減っていくんだろうな




今は夜に洗濯回すと


【今日も、お疲れ様でした。】って洗濯機が話しかけてくるらしい



AIとかそういう人では無い何かと

コミュニュケーションを取るのが当たり前になってくるのかな



便利になって

効率化されたことによって

失う【何か】があるんだ

その【何か】が大事だったりする。