は〜い!
皆さんこんにちは!
鈴木教禅で〜す!
暗い話を明るく書くようにしています。
今日は「壁に耳あり!障子に目あり」でございます。
この言葉はよく耳にしますよね、国語辞典ではこのように説明をしています。
「隠し事をしようとしても、どこでだれが見たり聞いたりしているかわからないということ。秘密が漏れやすいことのたとえ。」
まあ、隠し事をしていても誰かが貴方を見ているのですよ!って感じですかね。
悪い意味を見ていますと、どんな悪い事をして人には知られていない状態でも、誰かが貴方の悪い事をした事は知っているのですよ!という事になります。
私の親も面白い話でありますが、よくこの「壁に耳あり障子に目あり」なんて言っていまして、私自身に悪い事をさせないようにしていました。
また逆に良い意味で捉えば、人が見ていなくても良い事をすれば、誰かがちゃんと見ているのですよ!ともなります。
今回は悪い意味での「壁に耳あり障子に目あり」を見ていきます、「親も面白い・・・」の太字と下線になっている所を注目してください。
では、初めます!
人はどんな良い事をしても結果的には、悪い事になるケースが多くあります。
無論、警察官の方に捕まり裁判にかけられ、その罪を問われることもありますが、捕まったり裁判にかけられなくても重い罪を犯している人は多くいます。
逆に罪を隠しているよりも裁判にかけられ、罪を認めさせられた方が気が楽になるケースが多いです。
「与えたものは与えられる(因果応報)」はこの宇宙の大原則であり変えることは出来ません。
よく「天罰が下った」と言いますが、神様や仏様は罰は下しません。
自然の法則に於いて「悪い事をすれば、悪い事が返ってくる」ただそれだけなのです。
私もさまざまな辛い思いや腹立たしい事は多くあります。
しかし、いっときは腹を立てたり悩んだりしますが、これも過去に自分が行なって来た事なのだと反省をしています。
自分で悪い事をした事に気が付き、神様や仏様に話をする事があります、無論、悪い事をしてしまった相手には「すみませんでした」と謝る事もしています。
こうやって書いているブログにおいても同じことは言えます、間違った事を書いてしまったら訂正とお詫びをしなくてはいけません。
人は愚かなものでどうしても間違えというのはあります、それが人を傷つけたり死に追いやる事であれば罪が重くなります。
ですから、常に自分だけが正しいという認識はしない方が自分の罪に気が付くのです。
ここで私の両親の話になります。
以前にも書きましたが30年間親の介護をしまして、親の苦しみを30年間見て来ました。
一般的な世間様から見れば良い親でありました。
体裁(ていさい)が良いというか嘘が上手いというか、息子の私から見て「なんでそんな酷いことが言えるの?」「なんでそんな酷ことが出来るの?」という事が小さい頃に感じていました。
そんな親のお教えで「壁に耳あり障子に目あり」なんて言われても「おい!おい!」となりますよね。
世間の人は私が親を車椅子に乗せて旅行に行ったり、病院に連れて行ったりしている所をどう見ていたのかは分かりませんが、私自身は「法律で裁けない罪というのはこのようにして自然界が裁く」そう見ていました。
「人の振り見て我ふり直せ」とも言いますが、当時は私自身も大変苦しんでいましたので、「どうか私が過去に犯してきた罪が消えますように」と願いまして親の介護をしていました。
ですから今もそうですが世間様に良い事をするように心がけています。
自分なりに悪いと感じる事はしないようにしていますが、気が付かないところで悪い事をしていれば、それが悪い現実が現れてきます。
かなり難しい事ですがエネルギーを見ながら判断はしています。
意外と神様や仏様は教えてはくれませんね。
無論、人それぞれの善と悪の感じ方が違うからであります。
現在「パンデミック」がおさまっていません、ワクチン問題もあります。
いろんな議論がマスコミでも一般的にでもあります。
どれが正しいのか?
どの情報が間違っているのか?
本当に貴方は正しい知識で多くの人に伝えているのか?
「与えたものは与えられる」の法則においてブーメランで返ってきます。
この法則は変える事はできません。
「いやいや私はそんな事を言ったことはありませんよ!」「いや〜それは意味を違えて捉えていますよ!」と嘘を言ったりごまかしたりしても自然の法則は変わりません。
「壁に耳あり!障子に目あり!」
神様目線からすると隠し事は絶対に出来ません。
もし自分が得た情報が間違えだったとすれば、そくざに間違えを訂正する事でその罪が軽くなります。
警察に捕まって裁判にかけられた方が楽になる事は多くあります。
よくこんな話があります。
「あの人!あんな悪い事をしていても幸せそうにしている、私が成敗してやる!」という人がいます。
その人が悪い事を知っていてももし貴方がその人の命を奪ったり嫌がらせをすれば、それも「与えたものは与えられる」の法則に当てはまります。
逆にその人の罪を軽くする事になります。
私もそうとう嫌がらせを受けたり命を奪われそうになったりしましたが、やった人はそうとうな苦しみを得ながら他界していきました。
人は側から見ればなんの苦労も無く幸せそうに見えましても、他界した親ではありませんが地獄の苦しみをしています。
私もカウンセリングはしますが、偽善者になって「あの人は辛い思いをして可愛そう」と感じて、その人に何かをしてあげようとしたとしても、過去の過ちの話しながらその人の話を聞くようにしています。
どんなに良い技術があっても「与えたものは与えられる」の法則は無視できません。
過去に悪いことしていれば、それに気が付きいて反省をしなければ苦しみは取れません。
親の介護している時も親にこんな話をして説教していていました。
親の説教をする以上苦しみはありません。
最後に余談ですがトップになったり人を指導する立場の人は、人から「貴方のそこが悪いですよ!」という人が減ります。
そして結果だけが現れます。
愚痴文句は言ってもまたそれが返ってくるだけなのです。
最後までご購読ありがとうございました。
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