は〜い!
皆さんこんにちは教禅です。
今日もまたまた不思議な題名「自分に戻れた日」です。
以前に「ちょっと怖おもな話?」を書きました。
その答えが分かったと同時に自分に戻る事が出来たという話です。
今回も私の個人的なブログになりますので、面白そうな話としてご興味のある方はお読みください、よろしくおねがいします。
ある時、YouTubeを見ていましたらカタカムナウタを唱えていると、パラレルワールドに行った人の話をしていました。
「カタカムナ」というのは以前から知ってはいましたが、カタカムナウタヒは唱えたことがありませんでした。
カタカムナウタヒを調べてみると、面白いことが分かってきました。
このエネルギーは何かと実際に声に出して読んだり、YouTubeで人が読んでいるのを聞いたりしました。
目白庭園の中にあるとある場所に行くと、願いが叶うと言う話でした。
動画で紹介されておりエスパー・小林さんと言う方が紹介していました。
行きましたら霊的な感覚ですがとある人がおりました。
その方とは今もいろんなアドバイスをしてくれています。
そんな事があったその後に、奇妙な「ちょっと怖おもな話」があったのです。
結論、その怖おもな霊の正体は「自分自身の霊体」だったのです。
昔霊感があまり発達していない時には、お風呂で仙人のおじいちゃんと話をしたり、夜兄妹と話をしたりと霊感と思わないで行っていました。
その後自分の身体の改善とご先祖さまの悪い因縁を取るために、自分の霊感を鍛えましてチャネリングもしてきました。
この事はブログでもよく書いている話です。
しかし、魂と霊は違います。
同居はしていても違った意識になるのです。
霊感のない方には理解が出来ない話になりますが、もう少し分かりやすく話をしていきます。
肉体に意識を向けるのと、瞑想などをして心の中をみるのとでは違うと言う話です。
私の例をあげますと、肉体に意識をもっていったとすれば、氣も分からなくなりチャネリングも出来なくなります。
心に意識を向けると氣も分かりますしチャネリングも出来るようになるのです。
今までは、このコントロールが出来ていなかった事に気がついたのです。
いつでもどこでも霊感を使っていると、肉体とは無意識に分離してしまっていたのです。
霊感があればイメージ出来る事が、霊感が無い時にイメージ出来る事が違うのです。
元に話を戻しますと、カタカムナウタヒを唱える事で私はこの魂と霊の区別が出来たことになるのです。
今このブログを書いている私は、霊感の無い私が書いています。
私のブログを読んで頂いている方であればは分かると思いますが、霊感がある状態で書いているブログもあります。
神様系の話はたいていそうだと思ってください。
肉体と魂を区別ができた事で、何か分かりませんがとても良い気持ちになるのと同時に、氣も分からなくなってリーディング・チャネリングも出来ない状態になりました。
無論、魂(心)意識を向ければ氣も分かればリーディングも出来ます。
ちょっと霊感を使って一生懸命に生きてきましたので、だいぶ疲れていますので肉体の自分でしばらくいる事にします。
実際に霊感を使うととても疲れる事は確かであります。
もうここ何年間も肉体を中心に生きてきた事がありませんでしたので、これから、肉体を中心に霊感をちょっと使いながら生きる方法を見ていきたいと思います。
まあ、霊感で有名になったとすれば、霊感ばかり使っていると疲労が酷くなるのと同時に、肉体を維持するのも難しくなりますので、神様はその辺りも見てくださっていると思います。
今は、神様ともリーディングはしていませんので、お答えは返ってきませんがそのように神様が言っている気がします。
もうこのまま霊感なんて使わないで生きて行ければいいかな〜 と心から思う教禅でした!
まあ〜こんな事は許されないと覚悟はしています、「今はちょっと休みなさい」と言うだけだと思います。
しかし、この霊感があってこの肉体もここまで改善してきのも事実です。
何事にも感謝の心・愛の心・反省の心を忘れずに!
最後までご購読ありがとうございました。
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