何時も読んでも「こんにちは!」

 

何でこんな気分になったのだろう?

 

私は、自分で思ったり考えたりする事は、実際に行ってみたくなる、悪い癖がある。

 

自分でもこの癖はやになる時がある。

 

しかし、自分の潜在意識!本性がそうさせているに違いない。

 

いいじゃないか!評論家のようにいろんなことを学んだり、チャネリングをしていろんな意識体と繋がって、自分の頭の中で理解をすれば、何の苦しみもないし、楽しい人生も歩めるのではないか?

 

そんな、想いは生まれてから、今までいつも思っていたことであり、これかもそうである。

 

 

実践をしなければ気がすまないというのではない、実践しなければ自分の人生がない気がするだけである。

 

 

ある時、「神様の慮り」という一枚の紙を頂いた。

 

おう!

 

私が思っている事が、現実になるという事は、こういった事なのかも?

 

でも、これの続きがあると気がつく。

 

実際に思うことの裏返しが経験である事は、心理学博士とすれば当然の話である。

 

人の痛みが分かりたいとすれば、自分が人の痛みと同じようにあじわえば良い事である。

 

魂の状態で入れば、苦もなければ楽もない。

 

では、我々肉体を得たものが、苦しみを味わい楽も味わう、そんな、簡単な理論は私が小学生の頃に考えた事である。

 

仏教用語では、「四苦八苦」という言葉がある。

 

神様がこの地球に肉体を存在させ、魂しいを向上せる実践とは何か?という事を考えられる人がどれだけいるか?

 

まあ、一般的に「愛」という事を答えとして持っている人がいる。

 

では、愛とは何ですか?

 

プラズマを使って、文明を発達させる事ですか?

 

そんな理論は、現在の地球においては、とても素晴らしい、発展した理論かもしれませんが、宇宙を考えれば大した事がない理論にすぎません。

 

人は、愛という大きなパワーに、対応が出来ずに自論のまま、文明を発達させてきました。

この愛のパワーをコントロール出来る?

 

神様の真の愛を受けとめる事が出来る、肉体を持つ事が今の実践で必要なのであります。

 

神様とチャネリンをして、本音ねを言えば、「神様のいう事は訳わかりません」しかし、愛を受けている事は間違えありません。

 

実践主義の鈴木教禅、理論理屈は抜きで今を生き抜いています、愛のパワーを頂きながら!