今回はといより、今回もと書いたほうが良いですね。

 

30年間の介護を終え、私自身の頭の整理の為に、このブログを書きます。

 

「介護というのは、やった人にしか分からない」と言いますが、本当に家に具合の悪い人が居ると精神的にかなりきます。

 

そして、介護の実態など人に話をすれば、暗い話になるのでいうことは出来ません。

 

人に言って何か解決できるのであれば、人に話をして何とかしてもらいたいと思う。

 

しかし、「そんなこと言われても、分からないしね」で終わってしまう。

 

まあ、家族がおかしくなると、自分もおかしくなっているので、人から「ん、よく分かるよ」と言われても、介護をしたことが無い人に何が分かるの?なんて思ってしまう自分がいる。

 

精神的に、平常心を保つだけでも大変な状態であります。

 

人に言っても嫌がられ、家に入れば苦しんでいる人が居て辛い毎日、地獄の毎日である。

 

このブログを読んで頂いている貴方も、この短い文章でも、ちょと読んでいるのが辛くなりますよね。

 

私は、鈴木家には養子であります。

 

祖母の介護が終わり、母親の介護が始まり2年くらいがすぎたくらいの話です。

 

もうその時には、介護を始めて7年くらいの月日が経っていました。

 

今回他界しました、父親と一緒に介護をしていました。

 

そんなある日、父親が私にこう言いました。

 

「もういい!別れよう!」

 

何を言い出すのか、わけが分かりませんでした。

 

「お前は、養子なんだから、元の家に戻ればいい、私達夫婦は老人ホームに行くから」というのです。

 

もし、私が今の鈴木家の子供とすれば、養父・養母が老人ホームに入れば、何かあったら身内ということで、連絡が行くのでそう言ったのでしょう。

 

その時、私は怒るようにこう言った。

 

「私を養子にもらって、この鈴木家を守ろうとしたご先祖さまに申し訳が立たない、もし、家を出るというなら、私が鈴木家のご先祖様を守る」と言った。

 

以前も、母親に「結婚もして、楽しい人生あったのに、こんなに苦しい思いをさせてしまって、申し訳ない」「進に大変な苦しみを与えてしまい、ごめんね」と言われていました。

 

まあ、その時は自分自身も仕事が出来ないくらい、身体が悪かったので、いきなり別れてくれと言われても、自分自身どうやって生きて行けば良いのか、という本音もあった。

 

鈴木家の養子になって、大学も出してもらい、辛い日々はあるものの、それなりに、世間一般の人と同じように、楽しみもありましたので、親には感謝もしていました。

 

辛いからといって、その場から逃げれば、何もかも解決できるという思いは出てきますが、その事を解決しなければ、また、同じ辛い思いが来ます。

 

どんな人生をおくっても、誰でも辛い時期はあります。

 

辛ければ辛いほど、その反動で楽しい事が来ます。

 

問題というのは、解決する為に出て来ます。

 

解決が出来ない問題などあり得ないのです。

 

私もこんな事を書いていますが、心の中では「私にはこんな問題解決なんて出来ない」という思いは、常に出て来ます。

 

本当に介護をしていて、どうしても耐えきれないもう辞めたいと思う日々が続いた時、こう私は潜在意識に入れた。

 

「私は、どんな事があっても人の道を歩む」

 

潜在意識に入れるというのは、瞑想してリラックスした状態をつくり、下腹部に意識を向けて入れるやり方です。

 

一旦入れると、入れ直すまで、自然にその言葉であったり、行動が出て来ます。

 

私は、介護に方法論は無いと思います。

 

具合が悪い人は、自分の事が分かっていても、どうしようもなく、家族にあっていますので、こうすれば、良くなるなんてありません。

 

人の道を歩む

 

自分の心を変える事で、介護に向き合う事が出来ます。

 

そして、人としての本当の幸せを感じる事が出来ます。

 

そうでなければ、私が30年間介護なんて出来ません。

 

今でも辛い介護をしている人がいます、そんな人達の少しでも心の支えになれれば、嬉しいと思う鈴木教禅でした。