大きな事を成し遂げるために、力を与えてほしいと神に求めたのに
「謙虚と学ぶ様にと、弱さを授かった」

より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに
「より良きことができるようにと、病弱を与えられた」

幸せになろうとして、富を求めたのに
「賢明(道理にかなっていること)であるようにと、貧困を授かった」

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに
「得意にならないようにと、失敗を授かった」

人生を享楽(思いのままに快楽を味わうこと)しようと、あらゆるものを求めたのに
「あらゆることをよろこべるようにと、命を授かった」

求めとものは、何一つとしてあたえられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
こころの中で言い表わせないものは、すべて叶えられた
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ


上記に事は、ニーヨーク大学のリハビリテーション・センターの壁に書かれていたそうです。
しかし、作者は不詳だったそうです。

私もある倫理法人会に入っている人にこの用紙をもらいました。

私の思いと現実そのものなので、共感してブログに書きました。

この中で私の人生で一つない文章は、
愛する女性といつも一緒に暮らせるようにと求めたのに
「女性のこころが分かるようにと、ふられる事を経験させられた」

小さい頃、人の本当の幸せってなにかな?どうして人は争うのかな?なんて真剣に考えた時に、身もこころも健康になる事だと思いついた。

「どんなに偉くなったって、人ひとり助ける事が出来なければ何も意味が無い」と思い続けていました。

そうしたら、大病をして地獄の生活が待っていた、本当に人の苦しみを知る事が重要だったのと、それを乗り越える力が必要だったので、神様は地獄を与えてくれたのだと思います。

本当にこの文章のように、何もしなくても幸せを感じる時が増えたのは、神様が与えてくれた事である。

そして最後に、作者不詳だと言う事です、「私がこの文章を書きました」なんて言う事も無く、人の為になっている。

私も人に宣伝をするのがとても苦手で、上手くありません、ブログでもFBでも見てくれる人は多くないと思いますが、この作者の様な人は多くいます。

私も初心に返って、一人でも私の文章を読んで頂ければ、幸いだと思い様にします。

※この写真は、HPで無料の写真があったので載せました。