小説を書いた理由(其の弐) | 一斗のブログ

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2011年6月15日に小説を出版しました。
出版をするにあたっての様々なエピソードや心の葛藤、病気の事等書きました。今はショートショート(超短編小説)やエッセイ等を載せています。宜しくお願いします。

絵を描くのが好きな僕が、突然描けない状況になった時ふと頭に浮かんだのは小説でした。


何となく病院の無機質な天井をボーっと眺めていたら、今までは絵本で使える様なのストーリーしか思い浮かばなかったのですが、その時は何故か小説になる様な内容のストーリーが頭の中に浮かんできました。



勿論、起承転結すべてが完璧に思い浮かんだというわけではありません。


起と結だけでした。


あとは、何となくおぼろげな感じでした。


でも、何故か完成させられる自信がありました。その理由はその時はわかりませんでした。


ちっちゃな本当にちっちゃな大学ノート(百均w)に、出だしの一言を書きだした途端活字嫌いだった筈の僕とは思えない程ペンが進みました。


妙な感覚を覚えました。


楽しいというか、これから先を考えると病気の事も頭にあり完成に至るまでは大変な作業になるという事はわかっていましたが、何故か僕の心は余命一年弱という重みさえ忘れ、躍っていました。



起承転結の起承まで書いたところで、もしかしたら移植が受けれないというあまり受け止めたくない情報が耳に入りました。



死に対する恐怖は当時にはありませんでした。


先の記事にも書いた様に、どこかで死を受け入れている自分が居ました。


ただ、だからと言ってこれといってすることも無く、ただ淡々と小説を書き続けました。




さすがに小説のゴールは見えていても、途中をうまく最後の走者まで繋げれるか、というのがはっきりとした自信が自分の中に無くて思い切って一番書きたいゴール(小説の結の部分)を書いてみようと思い、それを実行しました。




病状は悪化するばかりです。




無理も無いです。


だって、書いていたのは消灯後の豆電球の光の中で書いていたわけなのですから。






そして、周りの状況はというと、大学病院への転院が決まり両親や僕に関わる人たちはものすごく前向きな表情で僕のところへお見舞いに来てくれる様になりました。


が、僕の中ではとても不安感が襲ってきていました。


それは、大学病院という入院したこともない環境の中でこの小説の執筆活動が出来るのだろうか、ということで頭がいっぱいになりました。





でも、それは僕の取り越し苦労でした。


大学病院での生活は、それまでの病院と違い、おそらく他の病院と違い意外と自由が許される環境にありました(手術をするまでは)。


なので、僕は一生懸命起承転結の転と結の部分を何度も何度も書いては破り、書いては破りという過程を経て何とか小説らしい作品に仕上げることが出来ました。


しかし、知人に読んでもらった感想や自分自身が改めて読み直してみて、全く矛盾点が多過ぎる作品にしかなってないと気付き、そこからは本当の意味での僕だけの編集作業の始まりでした。






2010年7月6日、21時消灯。


僕が納得いく『キヲク』という作品が出来ました。


翌日、僕は手術室へ入り生体肝移植を受け、意識がはっきりとするまで数日を要しました。


知人に頼んで、小説『キヲク』は出版社の方に送ってもらっていました。





僕自身、小説を送ったことすら覚えてないくらい術後のきつくて辛い日々が続きました。


どれくらいの時間苦しんだのだろうと後から考えてみると、完全に大丈夫だという状態になるには約二週間掛かっており、僕はやっと普通の病棟のベッドの上に居ました。




病棟での生活は、術前と同じで今度は小説という何か目標も無く、ただただ毎日が過ぎていく、そんな日々を送っていたある日、東京の出版社から一通の封筒が届きました。


僕は、おそらくその封筒を嬉々といた表情で破く様に開き、目を通しました。


すると、全国出版という言葉が自分の目に止まりました。






涙が出ました。







僕はまだその時、点滴が減ったといっても8本程ぶら下がっており、その状態で受け取ったその内容は僕を泣かせるに十分たるものでした。


そこから先、出版に至るまではまた次の記事で書こうと思います。




今回はこの辺りで失礼致します。










一斗