先日ある友人から、元朝参りに行った「鹿島神社」の前の道路が県道だと聞きました。

マップで調べて見ると、県道R194号線であると分かりました。
このことが、ずっと疑問に思っていたことにヒントをくれました。
疑問に思っていたこととは、この地域の「出島村史」に書いてあった、徳川光圀がこの地域に一度だけ巡遊に来たときの道順です。
道順は、小川から舟に乗り、井石に着いた。
そこから宍倉に行き、さらにあしきに行き、
あしきから舟で玉つくりに行った、とあります。
「日乗上人日記」
井石から宍倉までの道は、現在の井関から馬場山(宍倉の一部)の県道の道かと思っていましたが、
なんか変だと思っていました。
この道は、新しくできた道に違いないと。
(ローカルな話題ですみません)
元に戻って鹿島神社の前の県道は、県道にしてはずいぶん細いです。
幅は4m~5mぐらいで、センターラインなどずっとありません。
八木(井関)の方はもっと細いです。
ひょっとして県内で一番細い県道ではないかと思います。
そんな細い道が、なぜ県道なのでしょうか?
この道は、今でこそ交通量も少ないのですが、昔は幹線道路だったのかも知れません。
この前歩いた住吉神社があるところは、八木というところですが、そこが、井関の地内であることも知りました。
つまり、徳川光圀が歩いた井石から宍倉への道は、
八木から鹿島神社につながる現在の細い細い県道R194号線に違いありません。
そこで、今日は、水戸黄門で有名な徳川光圀がかすみがうら市に一度だけ巡遊したときの道を歩きました。
(前書きが長くなりました)
ルートは、井関地内八木から宍倉の「鹿島神社」前です。
スタートは、R194号線がよくわからず、先日「住吉神社」に行った時とめた駐車場から始めました。

ほどなく左前方に堤防に停まっている車が目に入りましたが、さらに堤防の左の方に舟留まりがあります。水戸黄門はそこいらに舟を止めて、宍倉方面に向かったのです。

ここは、水戸黄門が歩いた道だと思います。

幅は3mくらいで、普通乗用車が交差できません。
因みに、おともはいましたが、史料によれば、「助さん」「角さん」ではありませんでした。
~続く~