今、F1は分裂の危機を迎えている。
大幅なコストダウンを急激に推し進めるモズレーと、現代F1の質を守ろうとするチーム連合との抗争は溝を埋めるどころか深くなっていく一方のような気がする。
この騒動がどのような結末を迎えるのか。
もしも本当に分裂がされた場合、どのようになるのか。
未来の事はもちろん分からないが、予想することはできる。
参考として、アメリカン・オープン・ホイールレースの分裂とその結末について書いてみよう。
アメリカでは CART (Championship Auto Racing Teams)という団体が、俗に言う『インディカーレース』を運営してきた。
1990年代には世界的にもF1と同等の扱いと認知度を得て、F1を走っていたナイジェル・マンセルを筆頭に国際化の波が広がっていた。
インディーといえばオーバルレースを想像するが、そのころのインディーではロードやストリートのラウンドが増えてきていたのも国際化の要因だったのかもしれない。
しかし、それを快く思わない者もいた。
インディーはアメリカのものであり、オーバルのレースこそがアメカンレーシングである。
そう頑なに信じた者がいたのだ。
伝統的なレースを開催するインディアナポリス モーター スピードウェイ (IMS) である。
IMSは1994年、2年後の1996年より独自の新しいカテゴリーを発足させることを発表する。
それは、インディー500を糧としてオーバルレースのみを展開するオープンホイールレースシリーズだった。これがインディ レーシング リーグ (IRL) である。
CART側は分裂を避けるためにIMSと話し合いを続けるが交渉は結局物別れに終わり、アメリカンオープンホイールレースの分裂は現実のものとなった。
『インディ』の商標はIMSが持っていたため、CART側はその名称を使用できなくなり、以降、チャンプカーと呼ばれることになる。
とはいえ、アメリカンオープンホイールの人気はCART、すなわちチャンプカーのほうが分裂後も高かった。
それまでのインディを支えた名門のほとんどはチャンプカー側であったのが大きな原因だ。
IRLは発足初年度は年間3戦という少なさ。以降、開催数は増えていったものの、目玉となるのはインディ500のみ。それでは太刀打ちできるはずもなかった。
さらに言えば、IRL発足当初はわからないが、少なくとも2000年ころからはCART側のチームがインディー500に出走することも許されていた(もちろん、車体はIRLのものを使用してだが)ため、わざわざ鞍替えする必要もなかったのだ。
ところが、2001年末、状況が変わり始める。
CART側が2003年からのエンジン規定変更を発表したのだ。
これまでチャンプカーが使用してきたエンジンは2.65Lのターボエンジン。それを2003年より、3.5L NAエンジンへと変更するよう決定したのだ。
しかし、問題だったのはこれがエンジンマニファクチャーの承諾なしに、独断で決められたことであった。
その当時、CARTにはホンダ、トヨタ、フォードの3メーカーがエンジンを供給していたが、
ホンダは実質1年しか開発期間がなく、それではとても間に合わないということで反発
(2年間は必要というのがホンダの言い分である。これはCARTのルール改正が行われる場合、通常2年の猶予が設けられるというのが一般的だったかららしい)
また、フォードも同様に反発をしていた。
唯一、トヨタだけは2003年からのNAエンジン使用を承諾していたようだ。
もし、ここで事態が収束していたのなら、エンジンはトヨタのワンメイクになったとしても、CARTはそれほど痛手を受けることはなかったのかもしれない。
なにせ、当時のトヨタエンジンはCARTの中でも最強のエンジンであったからだ。
しかし、CARTはそれを望まなかったようだ。
エンジンワンメイクにするのが嫌だったのか、それともトヨタという非アメリカ企業のワンメイクというのが嫌だったのか。
その真相はわからないが、とにかく、CARTは2002年中盤、2003年以降も2.65L ターボエンジンを継続使用すると発表したのだ。
しかし、コロコロと決定を覆すCARTのやり方が腹に据えかねたのか、ホンダもフォードも継続参戦に難色を示す。
もっとも、これにも理由があるらしく、2001年にターボエンジンの過給圧を制限するポップオフバルブという部品の規定をCRAT側の独断で決められたというところからCARTへの不信感があったということらしい。
なんとかフォードの残留にはこぎつけたものの、ホンダは2003年からのIRL移籍を表明。
(IRLのエンジン規定はCARTが変更しようとしていた3.5L NA。 ということは、ホンダはなんだかんだ言いながら2003年以降もCARTへエンジン供給をする可能性はあったということだと思う)
また、トヨタは規定変更が覆された時点でCART残留の芽は絶たれ、IRLへの移籍を余儀なくされる格好となった。
エンジンのゴタゴタは参加するチームにも不信感を植え付けることとなったようだ。
数々の名門チームが、2003年からのIRLへの移籍を表明したのだ。
ちなみに、ペンスキーはそれより1年早い2002年よりIRLへと移籍をしているが、これはメインスポンサーであるフィリップモリス・USの影響らしい。
2001年当時、ペンスキーはインディ500にも参戦していたが、2カテゴリーで同一のスポンサーをすることは禁じられていたらしく、インディ500ではマルボロカラーが使えなかったらしい。
そういう経緯もあり、IRLと同様にアメリカンモータースポーツはオーバルこそが本質であるというフィリップモリス USの考えにより、ペンスキーは2002年、IRLに移籍したというふうに言われている。
これは想像であるが、もしかしたら2003年に各チームがIRL移籍を決断したのは、名門ペンスキーを追随するという意図もあったのかもしれない。
いずれにせよ、2003年を機に、アメリカンオープンホイールレースの勢力は、IRLに大きく傾いたのだ。
この騒動がきっかけでCARTは一気に勢力を落とし、2003年度末に破産、別団体にすべての資産を売却して消滅した。
CARTの後を継いだ団体は『チャンプカー・ワールドシリーズ』としてシリーズを継続するも、2007年開幕前、タイトルスポンサーであったフォードより、スポンサードする価値がないと見限られる。
当時のチャンプカーシリーズはストリートコースばかりであり、オーバルのレースは開催されていなかったため、アメリカでの地位は得られなかったのだ。
一方、繁栄を誇るはずであったIRLにも陰りが見え始めていた。シボレー、トヨタのエンジンマニファクチャーは撤退し、ホンダのワンメイクになっていたし、なによりNASCARが大幅に勢力を増大。アメリカンモータースポーツファンの圧倒的支持を得ていたからだ。シリーズに参戦するチームも減っていた。
2005年よりロードコースでの開催も始まり、ドライバーも国際化してきた。海外開催こそ日本での1戦のみだが、アメリカンモータースポーツの伝統を守るといったIRL当初の信念は薄くなる一方であり、そういったことからもインディ離れが加速したのかもしれない。
いつしか、NASCARに対抗するため、アメリカンオープンホイールレースの統合を望む声が高くなっていった。
そして2008年開幕前、ふたつのシリーズは12年ぶりにひとつになることが決定したのだ。
ちなみに、チャンプカー側へIRLが車両を無償供給したことを見てもわかるように、IRLがチャンプカーを吸収した形での合併統合であった。
ただ、チャンプカー側のチームすべてがIRLに参加したわけではない。ロード、ストリート主体だったチャンプカーだけに、それは仕方のないことであろう。
以上がインディ分裂騒動の内容と結末です。
ちょっと長くなったので、ここで1回切ります。
次回は、このことから想像するF1の将来について書きたいと思います。