いってつの適当なMotor Sports ブログ -2ページ目
レース界で立て続けに悲劇が起こったわけだが・・・
ブログやツイッターなどを見ていて、不思議に思うことがあった。

その出来事を悲しむ文章を書きながら、事故映像が見れるよう動画やアドレスを添付している記事をよく見かけた。そのミスマッチ感がなんとも気になった。

人が亡くなっている事がわかっているうえでその映像が投稿、添付され、そしてその事に対して多くのレースファンはクレームを付けない。そして「人が亡くなった」というその衝撃映像を、レースファンでない者さえも率先して視聴しに来る・・・。

常識的に考えれば、人が命を失ったであろうその瞬間の映像なんて、怖くて観れないのが普通なのに、レース映像だと比較的そういった感想が持たれない。果たしてこれはどうしてなのだろうか。

結論から言えば「死亡事故すら、いや死亡事故だからこそ、エンターテイメント性の価値が上がった」という事になる。
当然この意見を快く思わない人も多いとは思うが、そういう人も実際のところ「気づかないうちにエンターテイメントにしてしまっている人」は多いと思う。
「クラッシュもレースの醍醐味だが、死亡事故は起きてほしくない」、そう思っていたとしても、いざ死亡事故が起こればその映像を見たがる人は多い。それは「クラッシュがエンターテイメント」だと認めているというなによりの証だ。「クラッシュ」して「人が亡くなった」こういう解釈な人が多いのだろう。そして人が亡くなった事を重要視する人は、こう繋げて解釈しているのだろう。「人が亡くなったクラッシュ」と。

これは良いとか悪い、好きとか嫌いという話ではなくて、どうもそう思うのが一般的な考えなんだろうという事。そう思ってる人を責めようとかいうことじゃない。
ただ、人命が失われているという事態であったことは間違いない。
その映像を興味本位やエンターテイメント性だけを求めて添付閲覧する事を少し考えてみてもいいのではないかと思う。
俺としては、それがレースファンにとってスタンダードだとしても、やはり残酷なイメージを感じてしまう。そしておそらく、自分もその中のひとりなのだろう。
言いたいことは1週間前に書いた。そしてなにも変わらない。

二度とレースで人命が失われるのを見たくないのなら悪いことは言わない。レースを見るのをやめたほうがいい。その瞬間がいつくるかわからないから。

非情、冷酷と思われるかもしれない。
俺だって、レースで人命が失われるのをこれ以上は見たくない。
でも奇麗事や希望だけを無責任に語りたくはない。
レースがある限り、いつかまた悲劇はやってくるはずだ。

覚悟がいるのは選手や関係者だけじゃない。見ている側も「そういう光景」を直視するかもしれないという覚悟は常に心の中に閉まっておいたほうがいい。「それじゃ楽しめない」と言うのなら、やはりレースを見るのはやめたほうがいい。
来年、F1に女性ドライバー・・・?
・・・・ふざけるな、と言いたい。

確かに実績のないペイ・ドライバーは過去にもたくさんいた。
でも、今はこの言葉以外に浮かぶものは無い。

この女性ドライバーがF1に出場できるそれなりの成績があればなにも文句は言わない。しかしそんな実績など、どこにもない。

この女性ドライバーが8月にテストをしていたことは知っていた。
それはバーニー・エクレストンの尽力が多大にあったらしい。
テストはバーニーがオーナーであるポール・リカールで行われ、そのテストにバーニー自身が同席していたという。商業的な理由からだろうが、女性ドライバーがF1に出場する事をバーニーは望んでいるという。
しかしタイムは非公表。なぜかはわからないが、それなりのタイムが出ていたのならおそらく手動測定だったとしてもタイムは掲載されるはずだ。それが無かったということはおそらくまともなタイムは出ていないのだろう。

なぜ俺がこの事に激怒するか。
それは先週のインディカーでの事故に対するF1側の反応だ。
「技術の未熟なものが多数出場している事に疑問を感じる」
そういう意見があった。

仮にそれが事実だとして、それではこの何も実績も持たない女性ドライバーをF1で走らせようとする行為はそれと違うとでも言うのだろうか・・・?
何も違わない。話題集めのため、金稼ぎのために走らされるこの「客寄せパンダ」ほど「未熟」という言葉がぴったりなドライバーはいないではないか。

F1は確かにオーバル・インディよりは安全だ。しかしそれは【確立】の問題。F1が100%安全だということではない。未熟なドライバーを走らせれば重大事故が起こる可能性は高くなる。それはF1だろうとインディだろうと、いや、どんなレース競技でも変わらない。

あんな事故が起こった今だからこそ、「ドライバーの質」を重要視しなければならないのではないか? そうでなければ犠牲となったダン・ウェルドンが浮かばれない。だから俺は怒るのだ。

・・・まあ、決まったわけではない。
こんな馬鹿げた話は絶対に実現してもらいたくないものだ。
yahooでモータースポーツ系のページを見ていたら・・・

$いってつの適当なMotor Sports ブログ-1

そうかー、もうあれから21年も経ったんだねぇー。
このレースはテレビで見てたけど、最後のほうはガソリン残量が相当きつかったんだよね。「大丈夫か?!」ってテレビの前でハラハラしてた。
でも残り数周になって出された「EASY」のボードサインは忘れられないなあ。
なんせそのサインは、テープを貼り付けて文字を作った「急造品」(笑)

まあ、確かにトップ4が潰れた結果ではあるれども、それもレース。
3位でゴールした瞬間はやっぱり嬉しかったなあ。
嬉しかったし、唖然ともしてたかも。
前年度は全戦予備予選落ちしてた男が、まさか次の年に表彰台なんて思ってなかったから。

・・・ということで、21年前(1990年)の10月21日は・・・
「鈴木亜久里が日本人ではじめてF1の表彰台に立った日」なのでした。
なんのことかは、おそらく言わなくてもわかってもらえると思うが・・・

今朝方のインディ最終戦、自分はネットでライブ視聴していましたが、レースがスタートしてから「これは相当に危ない」と感じていた。

ちょうど、2009年にタラテガで行われたNASCARのレースをはじめてテレビで視聴したときの模様と酷似していたからだ。3列縦隊で編隊を組みながらの超高速接近戦。
それと同じような状況が、今日も目の前の画面で繰り広げられている。違うのは重いクローズドボディではなく、軽いオープンホイール・フォーミュラ・・・。

どう見ても危険としか思えなかった。NASCARのときもスタートした数周後くらいに大規模なマルチクラッシュが発生し、逃げ場のない後続車がどんどん追突していく様を見ている。それと同じことがフォーミュラで起こったらどんな大惨事になるのか、予想することはそれ程難しいことじゃなかった。
・・・そんなことが起きないように祈ってはいたのだが・・・・。

ダン・ウェルドンは不運だった。「たら・れば」を言っても仕方ないことなのだが、ここは冷静に状況を自分なりに考えて書かせてもらう。
自分が思ったのは「もし単独でフェンスにぶつかっていれば、命を落とすまでには至らなかったのではないか」ということだ。

彼のマシンは前方でクラッシュに巻き込まれた他のマシンに乗り上げて宙を舞った。だが、ここでは「舞っただけ」のように見える。もしここでそのまま路面に落下していれば。これがひとつめの「たら・れば」。
ところが、そうならなかった。不幸にも彼が着地するであろう場所には他のマシンがいた。ウェルドンのマシンの左側と相手のマシンの右後方で接触、ここで力の向きがフェンスの方向へと変わってしまう。更マシンには回転の力も加わってしまい、しばらく滑空した後で回転しながらフェンスにぶつかる。もしも力のかかる方向が変わっていなければ。これがふたつめの「たら・れば」。

でも、最大の不運だったのはちょうどフェンスに激突するその瞬間に、ウェルドンのマシンに目掛けて他のマシンが吹っ飛んできて激突した事だと思う。それも1台ではなく2台だった。
1台はウェルドンと2度目の接触をしたマシンだった。彼のマシンはウェルドンのマシンの横側に激突している。そしてもう一台は後方から突っ込んできた。そのマシンも後方で前のマシンに追突していた。そしてそのまま最高速に近い速度で路面を滑走、追突のせいでサスも捥げているであろうそのマシンが減速できるはずもない。そのスピードを維持したまま、そのマシンはウェルドンのマシンと激突・・。
フェンスに2台のマシンの激突衝撃。これが同時にウェルドンのマシンに加わったことになる。状況から見ると、そのときウェルドンのマシンは横転した状態でフェンスに到達したのだろう。そんな状態でそれだけの力が加わったら・・・・。彼のマシンだけロールバーが破壊されていたのはそういうことなのだろう。

これが自分なりの今回の件に関しての結論なのだが、正直そんなことはどうでもいい。
正直、どれだけ安全性を高めたとはいえ、今回の事故は防ぎようがなかったし、今後もきっと起こると思う。仮にクローズド・ボディの車でも今回のような状況では、おそらく助からない。コックピットごと押し潰されてしまっているだろう。

結局「モータースポーツは危険なスポーツ」なんだ。
いくら安全性を追求しても「絶対」は無い。 そしていざ事が起きればこういった死亡事故が起こる可能性はやはりどのスポーツよりも高い。まして体を露出させている2輪レースやフォーミュラレースならばなおさらだ。それは否定できない。

自分たちファンはそのことを忘れてはならないが、そういった悲惨な事故を目撃してこのスポーツのファンから離れていくとしても批判できるものではないだろう。ファンでいるのなら常にリスクが伴っているということを忘れないでいてほしい。
・・・やはり、それがレースという世界なのだから。
Yahooにて面白い記事を見つけた。

高出力高回転バイク「そういう時代じゃない」 本田技術研究所鈴木常務

この発言に対して、コメント欄には批判の言葉が圧倒的だったのだが・・・。

ここからは、あくまで俺の個人的考えとして読んでもらいたい。

鈴木常務がなにを言いたいのかというと
「高回転高出力の大型バイクは趣味で所有するものですらなくなった」
・・・ということではないだろうか。
サーキット走行ではじめて本領を発揮するバイクを市販車として売っても、本当の性能を体感してもらえないのであればそれはやはり「飾り」でしかない。造り手としてはおそらく「本領を体感してもらえてこそ初めて楽しみがわかってもらえる」というスタンスなのだろう。楽しみをわかってもらえなければ趣味にすらならないと。

ただ思うのは、常務は決して「性能を落とす」と言っているわけじゃない。
そこのところを勘違いしている人が多いのではないだろうか。
「乗って楽しいバイクを作る」ということは、企業の方向性としては決して間違ってはいないと俺は思う。
「街乗り」のような実用粋を重視すると言っても、それは文字通りではない。
「街乗り」とはおそらく、一般道で楽しいと思えるレベルということだと思う。
たとえば「流す領域」で楽しさをいちばん体感できるレベルに持っていこうということではないだろうか。

要するに「バイクを走らせる楽しさをより多くの人に体感してほしい」ということではないだろうか。
それもただ走らせるだけではなく、ちゃんと自分で扱っていると体感すること。
それが「走る楽しみ」だと言いたいんじゃないだろうか。
そしてそう思ってもらえることが最大の喜びなのだろう。

運転する楽しさをより体感できる方向性に持っていく事が悪い事だとは俺は思わない。
ただ残念ながら、その方向性はバイク販売にはマイナスにしかならないだろう。
どうもYahooのコメント欄を見ているとそう思う。

「所詮、大型バイクなんて趣味の乗り物なんだから」
そんな書き込みをよく見かけたのだが、これはなによりのバイクへの冒涜のように俺は感じる。
それがまかり通るなら、バイクは本当にマニアだけの乗り物になってしまう気がする。
が、残念ながらそう考える人は多いようだ。
そういう人は当然今回の発言には批判的になるだろう。

また、性能うんぬん以前に大切なことを忘れている。
バイクの存在自体が一般的にあまり良いイメージを持たれていないということだ。
たとえば、あまりバイクに興味ない人にバイクの第一印象を聞いてみたとして
おそらくいちばん多いのは「危険な乗り物」という答えだろう。
「事故したら死んでしまう気がする」というイメージが大きいのではないだろうか。
そこをどうにかできなければ当然だが新規顧客も増えはしないのではないだろうか。
昨日(本日早朝)のインディ500決勝レースの話ね。
朝方には詳しく書かなかったけど、もう書いてもいいっしょ(笑)

全体的にはは本当に淡々と進んでたんですよ、大きなアクシデントも特に無く。
コーションもそこまで出るわけでも無く。
日本人としては、佐藤琢磨が100周年記念大会の「リタイヤ第一号」になったことが最大の話題でしょう。

しかし今回の大会、最後の最後にとんでもないドラマが待っていたわけで。
これはおそらく生涯永久に語られるであろう歴史となることは間違いないでしょうね。

残り1周の時点で、トップを走行していたのは JR.ヒルデブランド という、今年インディカー・シリーズにデビューした選手でした。
残り40周あたりで出たコーションがこの大会最後のイエローコーションであり、おそらくギリギリの燃費を保ってそこまで来ていたのでしょう。当然タイヤもタレてきていたはず。

残り1周のホワイトフラッグが振られ、誰もが彼の勝利を確信していたと思います。
1~2ターン、バックストレート、何事もなく、彼は栄光へと走っていました。
そこに現れた「邪魔モノ」。そう、周回遅れのマシン。

2位との差はそれなりにあり、ヒルデブランドが周回遅れをかわさなくても勝利は変わりません。
しかし、彼は周回遅れをアウトから抜きにかかります。

そのとき、彼がどうして周回遅れを抜きにかかったのかはわかりません。
インディカー・ルーキーであるが故の「経験の無さ」からなのかもしれませんし、カッコいい形でチェッカーを受けたかったのかもしれません。
あるいは速度差がかなりあった事も事実で、かわす事以外の選択肢は彼の脳裏になかったのかもしれません。

・・・しかし、それは間違った選択となります。
ラストコーションから約40周。アウト側の汚れは酷いものだったようで・・・。
彼のマシンはチェッカー目前の、最後の第4ターンでウォールにクラッシュしたのです。
しかし、幸いというかなんと言うか、ほぼ真横の状態でヒットしており、彼のマシンはそのまま壁沿いを滑りながらチェッカーを受けることとなります。

正直に言いますが、自分はこのとき「クラッシュしながらもヒルデブランドが勝った」と思っていました。自分は英語実況のネット配信で視聴していたので状況がよくわからなかったのです。
それはそれでドラマチックな幕切れですが、事実は違っていました。
壁沿いを滑るヒルデブランドのマシンを、2位のダン・ウェルドンが抜いて真っ先にチェッカーを受けていたのです。

それにしても、なんという結末だったのでしょう。
ヒルデブランドは「パンサー・レーシング」からの出走でしたが、パンサーの昨年度ドライバーはウェルドンでした。そこらへんもちょっとだけ興味深いです。



まあ、詳しくは動画貼っておくのでそちらで確認してください。


ところで、ファイナルラップでのアクシデントによるトップ陥落。
この衝撃は、自分の中では20年ぶりのことです。

ちょうど20年前、1991年の6月第1周末に行われた、F-1カナダGP。
先頭を走っていたナイジェル・マンセルが、残り半周というところで突然スローダウンしてリタイヤしたのです。
本人はメカニカルなトラブルが原因と言っていますが、一説には「観客に応えようと手を上げたときにキル・スイッチに当たって切ってしまった」という噂もありまして・・・。



こちらのほうも、動画を貼っておくことにします。
なんでこんな時間に更新しとるのかといえば・・・

インディ500の決勝レースを見てたから。

しっかしそれにしても・・・。

レースとは、最後の最後まで分からんもんですな!!

100周年記念の大会は、まさに「奇蹟」の幕切れでした。

そして佐藤琢磨も、100周年大会の記念すべき「第一号」として名を残しました。

さすが、「期待を裏切らない男」です。

以前から思ってたことなんだけどさ。

今年のインディ・ジャパンやMoto-GPは開催できなくても仕方ないだろうなあ、って思うのさ。


もてぎのオーバルは地震の影響でコースに段差が出来たとかなんとか。

改修技術はあるだろうし、まだインディジャパンまで日があるのだから十分に修復可能だとは思うけど、今年限りで不要となるオーバルコースを改修するのは、会社としては無駄だと思うだろうね。

まして震災の影響で自動車業界も大打撃を受けているわけで、余計に無駄な出費は避けたいだろうし。


ロードコースのほうにもやっぱり地震の影響はあったみたいだけど、こちらは現在改修工事中だとか。

Moto-GPは去年に引き続き4月から10月に延期、とはいえ開催の予定はある。

インディのほうも、オーバルがダメならロードコースで開催を検討してる、なんて噂もあるみたいだけど。

とはいえ、果たして開催できるかどうか・・・・。


やっぱ、原発から距離が近いってのがねえ・・・。

まして海外では日本よりずいぶん原発事故を重く受け止めているみたいだし。

そりゃやっぱり「そんな近いところにできれば行きたくない」と思うのは、ある意味当然かと思うのさ。


もちろん、こちらとしては開催してほしいけど、もし中止になっても文句は言えないよなあ。

Moto-GPは鈴鹿で代替開催って手もあるにはあるんだろうけど、改修されたとはいえ西コースはほとんど当時のままなわけで、安全性を理由に外した手前、実現は難しいだろうなあ。