今年から新しくコーナーをいただき執筆させていただきます。
ここでは、老若男女問わず、生産者が日々抱えている課題、悩みをこれまで生きてきた世界の賢人がどのような見解を示すか、著者が勝手に想像して書かせていただく誠に自由なコーナーです。
古代から人間の思想はあまり変わっていないようで、エジプトの遺跡には「最近の若いもんは~」と書いてあるとかないとか、、。
私も日本の人口構成からみるとまだまだ若輩者ですが、皆さまが気分転換できる時間を少しでもつくれるよう心がけていきたいと考えています。
さて、人間の悩みは、乱暴な言い方ですが、「健康、お金、人間関係」のどこかに集約されるのではないでしょうか。そこで毎月ひとつずつテーマを取り上げていきたいと思います。早速ですが今月のテーマは若年層、新規就農者、青年農業者が抱える悩み
「自分のやりたいことを親(または生産法人の上司)が理解してくれない。たびたび親と対立する。」です。
具体例をあげますと、「自分は有機農法や草生栽培を目指していて、下草を生やしているが父や祖父がみっともないといって除草してしまう」とか「もう少し経営を見直したいので、施肥も一発肥料にしたいのだが、ちゃんと通年で施肥しないと駄目だと聞いてもらえず、、あえなく断念」とか。結構小さなことから色々あると思いますが。論理的に責めるなら、種々のデータを見せるのも手ですが、生理的に受け付けない事項も多々あるようですね。
ちなみに、ここでは技術的な解決を模索するわけではないので悪しからず(笑)。
親がいなかったら自分が存在しないわけで、その辺は間違いなく感謝するとこなんですが、「あんたなんか産むんじゃなかった!」「産んでなんて頼んでない!」といった親子喧嘩が何十年も繰り広げられている世の中ですから、やはり親子の数だけいざこざがあり、まして経営をともにする家族となれば尚更です。
そこで参考にしたい一人が汎神論で有名なスピノザ、もう一人がブッダです。
スピノザは「人を恨んだりするのは 、自分を含めた人間が自由意志 を持っていると考えてしまうから」と言っています。自由意志は、自分や他人、世界を自分の力で変えられるという意思と言ったら良いでしょうか。しかし本当はそんなものは持ち合わせておらず、他人どころか自分さえも自由に変えることはできないのです。目の前にいる人を出生からずっと観察してきたのなら別ですが、その人の生い立ちは、自分とはほぼ関係なく確立されています。その人の性格は自分の力では変えられませんし、何なら自分の心臓だって自分で止めることはできません。変えることができないと分かるとその状況が楽になりますし、相手を理解することに注力することもできるかもしれません。
また、『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』の中には、以下のことが書いてあります。
「他人の過失を見てはならない。他人のしたこととしなかったことを見てはならない。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」
先程スピノザの項でも述べましたが、よく言う「過去と他人は変えられない、自分と未来は変えられる」というものと近いかもしれません。自分が生きた半生と親の生きた半生、それぞれの時代で考え、見えているもの、善悪の判断、信念、勘違い、が少しずつ違います。まずは少し前の時代がどんな時代だったのかを知ることが大事でしょう。相手の間違いを指摘するのが正義ではなく、目的に近づくために自分は何をすべきなのかを塾考する。人との対立では、ついつい相手の意見を打ち負かすことだけに気持ちが入ってしまいますが、そんなことをしても両者とも損をするだけですね。人生の中で、欠点を指摘した相手が「まあ、それは気づかなかった!あなたが完全に正しい。間違いを指摘してくれてありがとう!」と本気で感謝してくれたことがあるでしょうか?
相手に腹がたつのは相手のことを期待しているから。。自分の言動にフォーカスしてそれが正しいかどうか、もっとより良い言葉、方法、行動がないかを検討する。これが意見の違う相手のことで頭がいっぱいにならずにやり切れる方法の一つ一つとして考えてみてはいかがでしょうか。

