荒畑寒村の『谷中村滅亡史』(岩波文庫)を読了。
谷中村のことは、
足尾銅山鉱毒事件や田中正造のことと共に、
小学校の社会科の授業で習った。
(そうした学習は、現在も全国的に行われているのだろうか?)
我が地元・栃木県は、
それらの問題・事件の舞台なので、
小学生の頃、旧谷中村跡地や足尾銅山、
田中正造の生家を見に行ったことがあり、
その記憶は今も脳裏に鮮明に刻まれている。
とはいえ、小学校で学習する内容は、
子供にも理解しやすいよう、ある程度簡略化されているわけで、
事件の詳細をあまりよくは知らないというのが正直な所だ。
足尾銅山鉱毒事件や田中正造のことと共に、
小学校の社会科の授業で習った。
(そうした学習は、現在も全国的に行われているのだろうか?)
我が地元・栃木県は、
それらの問題・事件の舞台なので、
小学生の頃、旧谷中村跡地や足尾銅山、
田中正造の生家を見に行ったことがあり、
その記憶は今も脳裏に鮮明に刻まれている。
とはいえ、小学校で学習する内容は、
子供にも理解しやすいよう、ある程度簡略化されているわけで、
事件の詳細をあまりよくは知らないというのが正直な所だ。
足尾銅山鉱毒事件に始まり、
谷中村の滅亡までの様子が詳細に記された、
この『谷中村滅亡史』を読もうと僕が思い立ったのは、
今年が田中正造の没後100年であるということもあったが、
先日古書店で購入した
田辺聖子・著の評伝『ゆめはるか吉屋信子』の冒頭において、
谷中村のことが約70ページにも渡って記されており、
谷中村の滅亡までの様子が詳細に記された、
この『谷中村滅亡史』を読もうと僕が思い立ったのは、
今年が田中正造の没後100年であるということもあったが、
先日古書店で購入した
田辺聖子・著の評伝『ゆめはるか吉屋信子』の冒頭において、
谷中村のことが約70ページにも渡って記されており、
興味を惹かれたからだ。
吉屋信子と谷中村。
一見無関係なように思えるが、
谷中村の村民を強引に立ち退かせるため、
土地収用法の適用を村人たちに迫る
下都賀郡長の職にあったのが、
吉屋信子の父・吉屋雄一なのである。
吉屋信子と谷中村。
一見無関係なように思えるが、
谷中村の村民を強引に立ち退かせるため、
土地収用法の適用を村人たちに迫る
下都賀郡長の職にあったのが、
吉屋信子の父・吉屋雄一なのである。
『谷中村滅亡史』には、次のように記述されている。
【これより先き、一月二十六日、下都賀郡長[吉屋雄一]は村民を藤岡町役場に召喚して、「もういくら騒いだとて駄目だから、この際従順に買収に応じたが宜しかろう、何時までも愚図々々して居ると土地収用法を適用するぞ」と、傍若無人に暴言を放ちたり。】
【これより先き、一月二十六日、下都賀郡長[吉屋雄一]は村民を藤岡町役場に召喚して、「もういくら騒いだとて駄目だから、この際従順に買収に応じたが宜しかろう、何時までも愚図々々して居ると土地収用法を適用するぞ」と、傍若無人に暴言を放ちたり。】
吉屋信子は、
郡長の家を訪れた田中正造に頭を撫でられたと、
『私の見た人』において書いているそうだ。
おそらく村民を強引に立ち退かせようとすることに
抗議をするべく訪ねてきた田中正造と、
幼き日の吉屋信子は遭遇したのだろう。
郡長の家を訪れた田中正造に頭を撫でられたと、
『私の見た人』において書いているそうだ。
おそらく村民を強引に立ち退かせようとすることに
抗議をするべく訪ねてきた田中正造と、
幼き日の吉屋信子は遭遇したのだろう。
選挙で選ばれたのではなく、
お上の任命によって下都賀郡長として赴任してきた吉屋雄一は、
あくまでも中央政府や栃木県庁の命令に従う
役人の一人に過ぎず、
問題の根源は、もっと深い。
荒畑寒村は、この著書において、
足尾銅山鉱毒事件および谷中村の滅亡を、
中央政府と資本家による「組織的罪悪」と厳しく断じている。
つまり政治家と企業との癒着の構造は、
今も昔も変わらないのだ。
お上の任命によって下都賀郡長として赴任してきた吉屋雄一は、
あくまでも中央政府や栃木県庁の命令に従う
役人の一人に過ぎず、
問題の根源は、もっと深い。
荒畑寒村は、この著書において、
足尾銅山鉱毒事件および谷中村の滅亡を、
中央政府と資本家による「組織的罪悪」と厳しく断じている。
つまり政治家と企業との癒着の構造は、
今も昔も変わらないのだ。
古河鉱業による
足尾銅山周辺の森林濫伐が原因となって洪水が発生し、
さらに廃石・鉱屑の不法投棄によって
鉱毒を含んだ水が渡良瀬川の近隣一帯に広がり、
川魚は死に、農作物は枯れ、人々は病んでいく。
本来は古河鉱業の不法行為を
政府が取り締まらなければならぬはずだが、
政府の重鎮と古河鉱業の経営者との間に姻戚関係があるため、
中央政府は民衆を助けるどころか、
鉱業側の責任を追及することなく、
むしろ擁護するかのごとき態度ばかり取るのであった。
そこへ敢然と異議を唱えるのが義人・田中正造であり、
国会で質問を投げかけるが、
それが効果無しだと悟ると、国会議員を辞め、
やがて明治天皇への直訴へと至るのである。
足尾銅山周辺の森林濫伐が原因となって洪水が発生し、
さらに廃石・鉱屑の不法投棄によって
鉱毒を含んだ水が渡良瀬川の近隣一帯に広がり、
川魚は死に、農作物は枯れ、人々は病んでいく。
本来は古河鉱業の不法行為を
政府が取り締まらなければならぬはずだが、
政府の重鎮と古河鉱業の経営者との間に姻戚関係があるため、
中央政府は民衆を助けるどころか、
鉱業側の責任を追及することなく、
むしろ擁護するかのごとき態度ばかり取るのであった。
そこへ敢然と異議を唱えるのが義人・田中正造であり、
国会で質問を投げかけるが、
それが効果無しだと悟ると、国会議員を辞め、
やがて明治天皇への直訴へと至るのである。
住民の声を無視し続ける政府の態度に、
業を煮やした住民たちは、ついに怒りを爆発させる。
それが世に言う「川俣事件」だ。
渡良瀬川周辺地域に住む人々は、
陳情を目的としての上京をおこなうべく、雲龍寺に終結し、
大規模な集団を形成して
業を煮やした住民たちは、ついに怒りを爆発させる。
それが世に言う「川俣事件」だ。
渡良瀬川周辺地域に住む人々は、
陳情を目的としての上京をおこなうべく、雲龍寺に終結し、
大規模な集団を形成して
「押出し」(現在で言うデモ行進?)を始めるが、
すぐさま警官らによって制圧されてしまい、
参加者の一部は逮捕されたうえ、裁判にかけられてしまう。
(結果として起訴無効にはなったが…)。
すぐさま警官らによって制圧されてしまい、
参加者の一部は逮捕されたうえ、裁判にかけられてしまう。
(結果として起訴無効にはなったが…)。
この滅亡史を語る荒畑寒村の口調は、
激烈な怒りに満ち、荒々しい。
剥き出しの感情が文章の隅々にまでみなぎっており、
冷静かつ客観的な報告に徹するドキュメンタリーとは
かなり趣きを異にしている。
しかしながら、法を無視し、住民を次々と欺く、
政府の不法ぶりの数々を知れば、
政府・資本家を厳しく糾弾する荒畑寒村の怒りの感情は、
もっともなことだと感じるだろう。
激烈な怒りに満ち、荒々しい。
剥き出しの感情が文章の隅々にまでみなぎっており、
冷静かつ客観的な報告に徹するドキュメンタリーとは
かなり趣きを異にしている。
しかしながら、法を無視し、住民を次々と欺く、
政府の不法ぶりの数々を知れば、
政府・資本家を厳しく糾弾する荒畑寒村の怒りの感情は、
もっともなことだと感じるだろう。
足尾銅山鉱毒事件を世間に広く知られるのを恐れた政府は、
谷中村の一帯に貯水池を作り、
問題の存在自体をもみ消そうと画策する。
その計画を遂行するうえで邪魔となる谷中村民を追い出そうと、
彼等はあの手この手を企てるわけだが、
そのやり口たるや、もはや政府のすることではない。
住民に恫喝・脅迫をおこなって買収を迫るのは当たり前。
荒くれ者を送り込んで住民達の漁具を盗ませたり、
谷中村を洪水から守る堤防をわざと破壊して
水害によって住民たちを追い出そうとしたりする。
さらに買収に応じた住民たちの移住先が
農耕に適さぬ不良地であったり、
地代や建築費が約束通りに支払われなかったり、という具合に、
谷中村の一帯に貯水池を作り、
問題の存在自体をもみ消そうと画策する。
その計画を遂行するうえで邪魔となる谷中村民を追い出そうと、
彼等はあの手この手を企てるわけだが、
そのやり口たるや、もはや政府のすることではない。
住民に恫喝・脅迫をおこなって買収を迫るのは当たり前。
荒くれ者を送り込んで住民達の漁具を盗ませたり、
谷中村を洪水から守る堤防をわざと破壊して
水害によって住民たちを追い出そうとしたりする。
さらに買収に応じた住民たちの移住先が
農耕に適さぬ不良地であったり、
地代や建築費が約束通りに支払われなかったり、という具合に、
非常に不誠実である。
もはや悪党そのものの、なりふりかまわぬ姿勢だ。
もはや悪党そのものの、なりふりかまわぬ姿勢だ。
政府と企業が手を組み、
住民無視とも言うべき政策を推し進めた結果、
多大の被害をもたらした例を挙げると、
近年では福島の原発事故が記憶に新しい。
あらゆる生物にとって危険極まりない放射性物質を扱う原発は、
ハイリスク・ハイリターンな技術なわけで、
放射性物質を瞬時に無害化できる技術を
人類が発明・発見できていない以上、
「安全神話」など、あり得ない。
しかしながら、
住民無視とも言うべき政策を推し進めた結果、
多大の被害をもたらした例を挙げると、
近年では福島の原発事故が記憶に新しい。
あらゆる生物にとって危険極まりない放射性物質を扱う原発は、
ハイリスク・ハイリターンな技術なわけで、
放射性物質を瞬時に無害化できる技術を
人類が発明・発見できていない以上、
「安全神話」など、あり得ない。
しかしながら、
「絶対に事故は起きない」という幻想をでっち上げ、
全国各地に原発建設を推進してきた責任を、
事故後、いったい誰がとっただろう?
(むしろ、「新たな安全基準」と称するものを作り、
原発を再稼働をさせようとする動きすらあるほどだ)。
さらに言えば、原発で作られた電気をさんざん利用してきた
東京電力管内で生活している人間は(無論、僕もその一人だ)、
電力という恩恵だけを求め、
放射能という危険な物質を扱う施設を
全国各地に原発建設を推進してきた責任を、
事故後、いったい誰がとっただろう?
(むしろ、「新たな安全基準」と称するものを作り、
原発を再稼働をさせようとする動きすらあるほどだ)。
さらに言えば、原発で作られた電気をさんざん利用してきた
東京電力管内で生活している人間は(無論、僕もその一人だ)、
電力という恩恵だけを求め、
放射能という危険な物質を扱う施設を
福島に押しつけてきた責任を
強く自覚しなければならぬだろう。
事故が起きる前に、
「原発は危険だから止めよう」
との声を上げなかった責任は極めて重いのだ。
強く自覚しなければならぬだろう。
事故が起きる前に、
「原発は危険だから止めよう」
との声を上げなかった責任は極めて重いのだ。
そして、大勢の福島の人々が
現在も避難生活を続けている状況があることを
決して忘却してはならない。
彼らが一日も早く故郷へ戻れるために、今何をなすべきか、
それを考え、実際に行動に移すことが肝心だ。
第二の谷中村を、この国に作り出してはいけないのである。
決して忘却してはならない。
彼らが一日も早く故郷へ戻れるために、今何をなすべきか、
それを考え、実際に行動に移すことが肝心だ。
第二の谷中村を、この国に作り出してはいけないのである。
『谷中村滅亡史』は、
谷中村が滅亡した明治40年(1907年)に、
弱冠20歳の荒畑寒村が、田中正造の要請に従って、
一気に書き上げた処女出版の作品である。
この作品の結びの言葉が不穏当だと判断され、
すぐさま出版禁止となってしまったが、
1960、70年代に復刊され、
岩波文庫版も1999年に刊行された。
歴史的資料とも言うべき、こうした書物が
広く読まれる機会を得ているのは良いことだ。
谷中村が滅亡した明治40年(1907年)に、
弱冠20歳の荒畑寒村が、田中正造の要請に従って、
一気に書き上げた処女出版の作品である。
この作品の結びの言葉が不穏当だと判断され、
すぐさま出版禁止となってしまったが、
1960、70年代に復刊され、
岩波文庫版も1999年に刊行された。
歴史的資料とも言うべき、こうした書物が
広く読まれる機会を得ているのは良いことだ。
荒畑寒村は「緒言」において語る
【たとひ谷中村にして滅び終るとも、田中爺にして死するとも、将(はた)また村民悉(ことごと)く四方に離散し去るとも、宇宙に歴史あり、人類に言語あるの間、断じて亡びず、厳として存在するの事実あることを。】
【たとひ谷中村にして滅び終るとも、田中爺にして死するとも、将(はた)また村民悉(ことごと)く四方に離散し去るとも、宇宙に歴史あり、人類に言語あるの間、断じて亡びず、厳として存在するの事実あることを。】
「歴史を学ぶ」ということは、
自らが属する国や民族への誇りや優越意識を
得るためにおこなうものではない。
過去に起きた過ちを二度と繰り返さぬために学ぶのである。
たとえ不都合の事実や負の歴史があったとしても、
自らが属する国や民族への誇りや優越意識を
得るためにおこなうものではない。
過去に起きた過ちを二度と繰り返さぬために学ぶのである。
たとえ不都合の事実や負の歴史があったとしても、
そこから目を背けてはいけないし、忘却してはならぬのだ。
過去の歴史を語り継ぐこと。
それが、現在を生きる人間が持つべき
重要な使命のひとつなのである。