手塚富雄・訳の『ゲオルゲ詩集』 | さすらい人の徒然日記

さすらい人の徒然日記

マイペースに更新中

『ゲオルゲ詩集』(手塚富雄・訳、岩波文庫)を読了。

シュテファン・ゲオルゲ(1868~1933)の詩は、
世紀転換期のクラシックの作曲家たちが盛んに歌曲化している。
僕はそうした曲を通じて、ゲオルゲの詩に接触してきた。
代表的な例は、
アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)による
歌曲集『架空庭園の書』と、弦楽四重奏曲第2番であろう。
後者は、第3楽章と第4楽章にソプラノ独唱があり、
「私は他の惑星の大気を感じる…」と歌われる第4楽章で、
曲が無調の世界へと突入していく。
シェーンベルクの弟子、アントン・ヴェーベルン(1883~1945)も
ゲオルゲの詩による歌曲を数多く作っている。
無伴奏合唱曲「軽やかな小舟にて逃れ出よ」も名曲。
同じく弟子の一人、アルバン・ベルク(1885~1935)は、
ゲオルゲの詩による歌曲は作っていないようだが、
演奏会用アリア『ワイン』において、
ボードレールの詩をゲオルゲがドイツ語に訳したものを
テクストとして用いている。
ついでに言うと、彼ら、新ウィーン楽派の作曲家たちと
親交があったツェムリンスキー(1871~1942)も、
後期の歌曲においてゲオルゲの詩を用いている。

海外文学の詩作品は、
訳されたものだけを読んでも、
その魅力を充分には味わえない。
詩は、異なる言語に訳された瞬間、
その作品固有の「言葉の響き」というものが失われてしまうからだ。
それだけに、上記の歌曲作品を収録したCDを買うことにより、
ブックレットに掲載された原詩を読むことが可能なのは
非常にありがたい。
原詩を読みさえすれば、
どのような響き、どのようなリズムを備えた詩であるか、
ある程度理解できるからである。
それでも、近代詩ともなると、
写実主義時代の抒情詩とは異なり、
その内容が難解さを増しているため、
原詩にざっと目を通しただけでは、
詩に込められた意味を理解するのが容易ではない。
そこで、日本語訳詩の存在が重要になる。

ドイツ文学者の巨人ともいうべき手塚富雄(宇都宮市出身)は、
ゲオルゲの全詩集から84篇の詩を選び、訳している。
それはゲオルゲが遺した詩の中にあっては
一握りのものでしかないが、
ひとつひとつの訳詩を見ていくと、
手塚富雄が言葉を慎重・入念に選んで訳していることがよく分かる。
ゲオルゲの詩が持つ、芸術至上主義的な耽美性、
理想主義的な孤高性、硬質的とも言える厳しい造形性が、
日本語に訳された詩の中からも、たしかに伝わってくるのだ。

この訳詩集を読んでいくと、
象徴主義的な要素を持つ初期から
予言者的性格を持つ後期に至るまでの、
詩人ゲオルゲの作風の変遷も見えてくる。
全体を通して受けた印象を述べると、
ゲオルゲの詩は鉱物的と言えるだろう。
シェーンベルクやヴェーベルンらが
ゲオルゲの詩に強く心惹かれて歌曲化していったのは、
厳格な楽曲形式を好む彼らの音楽的志向性が、
ゲオルゲの詩が有する鉱物的硬質性と
うまく合致したからではなかろうか。

この文庫本に収録されているのは、
先に述べたとおり、ゲオルゲの詩のごく一部でしかない。
かつて『ゲオルゲ全詩集』(富岡近雄・訳、郁文堂)が
発売されていたようだが、現在は残念ながら絶版らしい。
ゲオルゲの詩作品の全貌を多くの人が知るためにも、
復刊が望まれる。