『立原道造・堀辰雄翻訳集』 | さすらい人の徒然日記

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『立原道造・堀辰雄翻訳集 ―林檎みのる頃・窓―』
(岩波文庫)を読了。

この本は、昨年の秋に買ったのですが、
ようやく読み終えました。
集中的に読めば、数日で読了できる1冊ですけれども、
彼らのオリジナルの詩や小説の世界を知るべく、
途中、『立原道造詩集』や『堀辰雄集』などを読んでいたため、
思いの外、時間を要してしまいました。

さて、この翻訳集ですが、
立原道造の方は、シュトルムの短篇小説を4篇、
リルケの詩を3篇、それぞれ収録。
一方、堀辰雄の方は、ルイズ・ラベのソネット集からの5篇、
ノワイユ伯爵夫人の詩「生けるものと死せるものと」、
コクトオ(ジャン・コクトー)の詩「聖歌」、
アポリネエル(ギョーム・アポリネール)の短篇小説が7篇、
リルケの叙事詩「旗手クリストフ・リルケ抄」、
リルケの小説「マルテ・ロオリッツ・ブリッゲの手記」の冒頭部分、
リルケの詩集「窓」の訳と、その解説的エッセイが収録。

この本を買った昨年の時点における僕のお目当ては、
立原道造の訳によるシュトルムの短篇小説でした。
シュトルムは僕にとってお気に入りの作家の一人ですので、
「林檎みのる頃」の本邦初訳である立原道造・訳は
大いに心を惹かれる存在でした。
他の「忘れがたみ」、「ヴェロニカ」、「マルテの時計」も
当然興味深い存在。
岩波文庫の関泰祐・訳や新潮文庫の高橋義孝・訳などで
読んだことがある作品ですから、
それらとの読み比べをしてみようというわけです。
とはいえ、立原道造の訳は、彼がドイツ語を学んで間もない
22歳の時におこなわれたものであるせいか、
誤訳がいくつかあります。
例えば「マルテの時計」には、
「マルテはひとりぼっちのときにも退屈で苦しむことはなかった。とはいえおりおり外に向かってはかの女の生命に何の目的もないことを感じては苦しかった。」
という文章で出てきますが、
この「かの女の生命」の「生命」の部分は、
英語のLifeに相当する、ドイツ語のLebenを
「人生」や「生活」ではなく、「生命」と訳してしまった初歩的なミスです。
もっとも、この立原道造・訳による「マルテと時計」は、
正式に出版されたものではなく、
翻訳草稿として残っていたもののようですから、
立原道造が24歳で夭折していなかったら
訳文を手直しをしていた可能性があったかもしれません。

堀辰雄のほうは、
ドイツ文学とフランス文学の両方に造詣がある人に相応しく、
独仏の近代作家の作品によって大半が占められています。
でも、その翻訳の中心を成すのはリルケですね。
ルイズ・ラベとノワイユ伯爵夫人の詩は、
リルケがドイツ語に訳したものを、
堀辰雄が日本語に訳した作品です。
また、『マルテの手記』の名で知られる
「マルテ・ロオリッツ・ブリッゲの手記」も、
冒頭部分だけとはいえ、本邦初訳のもの。
堀辰雄が抱くリルケへの愛と尊敬の感情が
訳文の隅々から感じられます。
その最たるものは、「旗手クリストフ・リルケ抄」ではないでしょうか。
これは『旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌』を訳したもの。
「抄」の字が付いているものの、実際は全訳で、
翻訳権の問題を回避するために、そのような処置をしたとか。
なかなかややこしいですな(笑)
『旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌』は、
パウル・フォン・クレナウ、ヴィクトル・ウルマン、フランク・マルタン、
ジークフリート・マトゥスなどの作曲家が音楽家しているそうです。
堀辰雄の訳し方も、
「騎りつつ、騎りつつ、騎りつつ、日ねもす、夜もすがら、日ねもす。
騎りつつ、騎りつつ、騎りつつ……
そうして意気はいよいよ衰え、ふるさとはいよいよ恋しい。山はもうまったく見えぬ。」
という具合に、言葉の響きがなかなかリズミカル。
文章の背後から、近代管弦楽の多彩な響きが、
渦を巻いて聴こえてくるかのような感覚を抱きました。

巻末にある高橋英夫の解説で指摘されているように、
立原道造の訳にも、堀辰雄の訳にも、
誤訳という瑕疵が存在していることは否定できません。
しかしながら、彼らというプリズムを通して、
シュトルムやリルケの作品が放っている光を見つめるのは、
非常に面白いものです。
そこには、日頃親しんでいる文庫本で目にするような訳文とは
少し違った魅力が隠れており、
作品が持つ叙情性や詩的情緒を充分に堪能させてくれます。