今日は、隣市にある古書店へ行きました。
いろいろ物色した末、筑摩書房の
いろいろ物色した末、筑摩書房の
『現代日本文學全集』の第93巻、「現代譯詩集」を購入。
タイトルに「現代」とありますが、
実際のところは、明治・大正時代から昭和初期までの訳詩が
実際のところは、明治・大正時代から昭和初期までの訳詩が
収められております。
この本は非常に優れものです。
なにせ、新聲社の「於母影」、
上田敏の「海潮音」、「牧羊神」、
永井荷風の「珊瑚集」、西條八十の「白孔雀」、
高村光太郎の「明るい時」、有島武郎の「草の葉」、
北原白秋の「まざあ・ぐうす」、堀口大學の「月下の一群」、
佐藤春夫の「車塵集」、山内義雄訳詩集、
日夏耿之介の「海表集」を、1冊に収めた本ですからね。
日本の代表的な訳詩集をかなり網羅してます。
全体的に見ると、フランス詩が多いでしょうか。
なにせ、新聲社の「於母影」、
上田敏の「海潮音」、「牧羊神」、
永井荷風の「珊瑚集」、西條八十の「白孔雀」、
高村光太郎の「明るい時」、有島武郎の「草の葉」、
北原白秋の「まざあ・ぐうす」、堀口大學の「月下の一群」、
佐藤春夫の「車塵集」、山内義雄訳詩集、
日夏耿之介の「海表集」を、1冊に収めた本ですからね。
日本の代表的な訳詩集をかなり網羅してます。
全体的に見ると、フランス詩が多いでしょうか。
まあ、中原中也や小林秀雄らの
ランボー訳詩集が無いのは残念ですけども。
ランボー訳詩集が無いのは残念ですけども。
エドガー・アラン・ポーの「大鴉」を、
西條八十と日夏耿之介の訳で読み比べられるのが嬉しい。
先程、パラパラっと目を通したところ、
「白孔雀」の中の米国新詩抄に
ヂョン・グールド・フレッチャーという詩人の
「母音」という詩が載っていました。
その1行目は、
「白孔雀」の中の米国新詩抄に
ヂョン・グールド・フレッチャーという詩人の
「母音」という詩が載っていました。
その1行目は、
「Aは光と陰影(かげ)、Eは緑、Iは青、Uは紫と黄、Oは赤、」
これって、ランボーの詩のパクリ?
母音という聴覚的なものを、色彩と結びつけるのは、
まぎれもなくランボーの詩とそっくり同じ。
母音という聴覚的なものを、色彩と結びつけるのは、
まぎれもなくランボーの詩とそっくり同じ。
ちなみに、ランボーの詩「母音」(堀口大學・訳)の1行目は、
「Aは黒、Eは白、Iは赤、U緑、O青よ、母音らよ、」
となってます。
ランボーが「母音」を作ったのは1871年10月。
そして、フレッチャーは1886年にこの世に生を受けてます。