『文学全集を立ちあげる』(丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士・著)を読了。
架空の文学全集を作ろう、ということで、
そのラインナップを決めるための座談会が、
著名な文芸評論家、文学者である3人によって展開。
その会話に接していると、
文学史を俯瞰的に捉えることも可能でしょう。
ただし、「誰ですか、それ?」という作家の名前も次々に登場するので、
3人の膨大な読書量にひたすら驚嘆します。
(単に僕の読書量が少ないだけですけどね。笑)
世界文学篇と日本文学篇の2つの部分から成り立つ座談会は、
かなりざっくばらんに話が進められ、
本好きなおじさん3人が自身の趣味を丸出しにして、
「この作家の作品はぜひ入れたい」とか
「あの作品はつまらなかった」とか、言いたい放題。
それを読んで、「ああ、なるほど」と納得する読者もいれば、
「なんてことを言うんだ!」と憤慨する読者もいるでしょう。
でも、それでいいと思います。
この本の存在価値は、読み手が
「自分だったら、こういう文学全集を作る!」
という考えを抱くようになることが重要だと思えるから。
で、僕だったら、どんな文学全集を作るだろうか…?
ドイツ文学好きなので、その方面に限定して選ぶでしょうねえ。
でも、文庫本で作品を入手しやすい
ゲーテ、リルケ、ヘッセ、トーマス・マン、カフカは、あえて外すかな。
ドイツ文学というと、長編小説がメインとなりがちなので、
あえて短篇小説や詩を中心に、ラインナップを作ってみたいですねえ。
シュティフターの『石さまざま』、ケラーの『ゼルトヴィラの人々』、
シュトルムの短篇小説(初期よりも、中期・後期をメイン)は、
絶対に入れると思うな。
ええ、個人的に好きなもので(笑)
ハイネを取り上げるならば、詩だけでなく評論もたくさん載せたい。
トーマス・マンは外すけど、兄のハインリヒ・マンは入れたい。
詩集の場合は、原詩と訳文の両方を載せるパラレル・テクストにします。
訳文だけを読んでいる時に感じる、
原詩の音韻を楽しめないもどかしさも、これで解消できるはず。
ふむ、けっこう、あれこれ考えてしまうものですね(笑)