『倭と日本建国史』(鹿島曻)より
のちのち話は繋がりますので、しばらく唐突な感じですが、古代の歴史をちょっとBC3500年頃、クル国周辺のジャングルにいたナーガ族(蛇族、シュメール人の子孫)や瓦人(倭人)の
祖のカッシート人を教化したバラモン=インドラ教もしくはヒンドゥー教の高僧こそが、檀君朝鮮教の創作者であった。
※クル国のバラモン(アーリア人の修行僧)がクル国周辺のジャングルにいたナーガ族と接触して、双方の精神的妥協により「檀君教」が成立。
つまり、檀君朝鮮とはクニの名前ではなく、檀君教を奉じる韓民族が、インドを経由して集団的に移動した歴史を総称したものであり、いわば「檀君朝鮮教団」とでもいうべき同一神(ダゴン神=バール神)を信奉する韓人グループの教団名であった。
やがて2世紀に、この檀君教(ダゴン教)が卑弥呼(日巫女、公孫氏)の鬼道となり、扶余人らの邪馬壱国が東遷して近畿地方の秦王国(伊勢国※)と共存し、更にインド伝来の熊野信仰とも融合して、7世紀の倭国の神道へと発展していったのである。
※前身は糸島の伊勢国(福岡県前原市)と思われる。
「ダゴン神」
『三国遺事』、他の引用より
「檀君桓因は帝釈天桓因ともいう」と述べているそうですが、「帝釈天桓因」とはシャクラ・デヴァーナム・インドラというヒンドゥー神でインドラ(因陀羅)とはカッシート人やミタンニ人(アーリア人系)のインドラ神のことで、フェニキア人のダゴン神やユダヤ人のヤーヴェ神とも同一神のようです。
「檀君」とは、ダゴンの君(キミ、神)で、その子が牛頭神バアル
(=日本史のスサノオノ尊のモデル)だそうです。
のちに、「檀君国=朝鮮国」のように誤解されていきますが、じつはフェニキア人によって全世界に広げられた「ダゴン教=バアル教」だったようです。
牛頭の「バアル神」像といえば、旧約聖書に繰り返し出てきますね。
「ある=(ユダヤの神)を信じ崇めよ、そして偶像は崇拝してはならない」と言われたにも拘らず、ユダヤの民は何度も何度もその禁を破り
長い長い年月の中で繰り返し偶像を崇拝してしまいます。その時の偶像がまさに牛神(=バアル神)だったのです。
「古代日本の黎明期」
「某書」からの抜粋による紹介
(※部分は、理解を助ける為に私が挿入しています。)
先史文明を海没させた(※ヴュルム氷期終焉後の)「大洪水」のすぐあと脱出することとなった。(中略)港川人(※ドラヴィダ人由来の古モンゴロイドである「ワジャック人」とメリッハ人由来の
ヒクソス人から生まれた「エブス人=プロト・フェニキア人」との混血人種)は、舟で北上し、
フィリピン・台湾・沖縄を経て鹿児島(大隈半島・桜島)へ上陸した。
やがて縄文人となった港川人は、約1万1000年前に、姶良郡から始まって、日向(宮崎県)や
阿蘇(熊本県)などの各地へ広がっていった。
約3000年前~4000年前頃まで、苗(ミャオ)族やシュメール人もヴェトナムから農耕文化を
持って次々に渡来し、港川人の文化圏に参入した。(※彼らが縄文人を形成?)
同じ頃、港川人は八重山列島西端の与那国島南端沿岸寄りの海底に、半神半人の「人面岩」を残している。そのことは、海中考古学者によって明らかにされている。
ほかにも、沖縄各地に、久米島のウテイダイシ太陽石や沖縄・浜比嘉島の線刻画、
ロゼッタ・ストーン(※沖縄版ロゼッタ・ストーンという意味)などの巨石文化の跡を残している
(沖縄県立博物館)。
そのなかのロゼッタ・ストーン(※前出)の線刻画と「押戸石」(※阿蘇山頂にある。)の線刻画が、
じつによく似ているのである。
VIP&セレブ専門。医師、弁護士、CA,秘書など、選ばれた方のための結婚相談所。厳選された会員の中からお相手をご紹介。羨望婚ならM’sブライダル・エグゼクティブ ![]()
田村淳プロデュースの結婚相談所・お見合い・婚活応援サービス【マスクdeお見合い】
![]()