今更、という感じですがAIについての雑文を。

 

私はAIを複数使いこなす出来るDr!というものでは全くなくて、元々かなりアンチAI派です。それが5月頃からChatGPTを課金で使い始めたところの便利さにハマってしまい、今では講演会や健康講話などでのスライドもパワポにチャッピーで作ってもらった一枚絵を貼るのがメインになってしまっている状態です。

使ってみての感想ですが、この情報量のアクセスの速さは自分の中では以前にwikipediaが普及し始めた時の情報獲得効率が飛躍的に上がって知識を得るスピードが増えた!と感じた時以来でそれよりもインパクトは大きいかもしれません。

 

それを踏まえて、子供のAIへの使い方についての自分の感想としては「大学生までは積極的に使わせなくても良いかな、大学生以降になったらむしろ使わせて慣れても良いかも、小学校の頃ならほとんど使わせないようにするな」というもの。

 

その理由ですが、AIがすごいスピードで情報を出力してくれる訳ですよ。となると、それを正しく理解してちゃんと解釈して判断できる、自分の知識を増やしていける、という部分が重要になってくる訳で、結局の所は読解力という自分が積んでいるエンジンスペックが勝負になると思います。wikipediaも読むだけといえば読むだけで、かなりの情報が手に入るんですよ。大多数の人があの長文を読もうとしないだけで。結局はAIも同じ事で、個人が持つ読解力エンジンの違いでAIを鵜呑みにしてわかった気になっている人と知識が金利が膨らむ様にどんどん増えていく人、という風に分かれると思います。

AIは簡単に説明して、といったら簡単にも説明してくれるわけで以前書いたファスト絵本やファスト映画の様に全ての処理を済ませる事も可能なわけです。そして、それに子供の時から慣れてしまう事は問題があると考えています。

 

というわけで、我が家はAIは大人だけが使うもの!といった感じでそれ以上には普及していないのが現状です。しかし情報の速さが飛躍的に増えていくと、おそらくは中学校受験とかもさらに難化していくわけで、ジェロニモ君の時でも大変やろ、、と思っていたのがさらに今からは大変になるのだろうな、と今から10年後とかに受験する人には同情してしまいます。

 

一方で気になるニュースが

米中ともAI規制の方向には行かずにSI(Super Intelligence)に名前を変えると、、。超知能と訳すのかもですが、Super=上位の、という意味もあるので「人間の知能より上位の」とすると釈然としない思いもあります。
1992年チェッカーの史上最高のプレーヤー、マリオン・ティンズリーが当時のAIソフト:チヌークに勝利して
「Chinookはジョナサンによってプログラムされた。だが、私は神によってプログラムされた。」
とコメントしたというのを子供の頃の雑誌:コペルで読んだ記憶があるのですが、その時とは隔世の感がありますね。
もちろん全体の情報処理ではAIの方が人間に優っている事はわかりますが、私は超知能(SI)と呼ぶ気にはなりません。こんな事を書いていたら、20年後位に秘密警察に逮捕されているかもしれませんが、、。
 
蛇足ですが、このAI/SIの話は子供の時に読んだ「火の鳥・未来編」を思い出させます。調べたら昭和42年連載開始で、今から59年前の作品です。約60年前にこれを書いているのが手塚治虫の天才たる所でしょう。
読んでいない方は是非とも読んで欲しいのですが、簡単に前半のあらすじを言ってしまうと、「自然が荒れ果てた地球で、人類は5つの都市に集中して住んでいるのですがそれぞれに都市の意思決定のAIがあり、そのAI同士の争いから人類が滅んでしまう」といったもの。
この当時はニューヨークとモスクワでしたが、今の時代ならニューヨークと北京でしょうね。
超ハイスペックのAIの使い方については想像もつかないのでこんな未来にならない事を祈るのみですが、AIにも昔のロボット3原則みたいな絶対書き換えられないルール、みたいなのが必要になるのかもしれません。