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Ittanics

新しい「ふくし」、社会起業、ボランティア、ジェンダー、政治、国際社会開発、などを綴っています。初めてのお方は、「Ittanの取扱い説明書」をご覧ください。

NPOのスタッフをしながら、大学の教員をしているIttanと言います。当然ながら、本名ではありません(笑)いろ


んな活動を日々していて、本名を名乗るよりも比較的、親しまれるだろうということで、Ittanで通させて頂いており


ます。




タイトルに特に意味はありませんが、ブログの目的はざっくりと以下の通りです;


(1) 人がほっとするような温かい記事を書く


(2) 「知」の共有化


(3) 自分の思考の言語化



Ittanのプロフィールはざっとこんなかんじです:



神奈川県・川崎市に生まれました。かなり生まれるのが早すぎたのか、極小未熟児として世にデビュー。という


わけで、運動機能や体幹機能にその面影が残っています。親の転勤・転職などに伴って、北海道へ。その後、


小学校から三重に。小学校時代は、やんちゃに度が過ぎたのもあり、児童養護施設、児童自立支援施設で過ご


した経験もあります。中学からは中高一貫の学校に進学しました。



小学校時代の施設暮らしで、「自分にできること」に強く執着したことを覚えています。今もそうなのですが。この


執着は「自己肯定」のシャワーを浴びたいという想いでもあったと思います。施設暮らしで、同じ思いを共有でき


る人たちと出会えた、これが1つ自分を変えるきっかけになったと思います。



その後も、「自己受容」という課題と向き合いつつ、高校生活を送りました。高校からは、インターアクトクラブの


設立に携わり、自らの社会的役割を模索するきっかけになりました。いろいろな人と出会う機会にもなりました。


大切なパートナーと出会い、大学時代に子どもを授かりました。



高校3年の時、障害学生支援の勉強会などで出会った友人とともに、「すまいるWAVE」を結成。初めて自ら「発


信」する居場所を得ることができました。



大学時代、非施設型病児保育の立ち上げや、24時間子ども居場所事業の立ち上げなどをすまいるWAVEで行


いました。大学での専攻は社会福祉。いろんな友人とここでも出会い、遊びました。今でも大切な友人が多くい


ます。大学では障害学生支援や留学生支援など「大学のダイバーシティ」の問題に取り組みました。中でも障害


学生支援に関しては、かなりほろ苦い体験をしています。


ダイバーシティへの取り組みが目にとまったのか、知己のある方からゲストスピーカーとして招聘されたり、共同


研究に参画させていただいたりもしました。



大学卒業後は、障害学生支援とジェンダー学を学ぶためにアメリカ留学も真剣検討したのですが、子どもが小さ


いこともあり、この時点では断念。


とある大学の先生方から、「共生社会論」の講師を引き受けてくれないかとのことで、大学の講師になりました。


他方で、NPOとは違う働き方をして、自らを鍛えるために会社員としても働くことにしました。


NPOでも引き続き勤務し、「子ども本位のソーシャルワーク」の実現を目指して、リービングサポートセンターの


立ち上げや、シングルパパのサポート事業などに、携わりました。また事務局のマネジメントにも取り組んでいま


す。


2年間を経て、大学から2009年度より准教授として仕事をするように要請があり、引き受けることにしました。自分


にとっては思いがけないお話でしたが、NPOでの実践と大学での研究・教育に真摯に向き合っていきたいです。


2010年6月には不慮の事故によって、大切なパートナーを失い、自らもシングルパパとしての日々を過ごしてい


ます。



ちなみに・・・使用言語は、日本語、英語、フランス語です。最近では、韓流スターと会ってコミュニケーションをし


たいという欲望に駆られ、韓国語を勉強しています。


中学から大学までちゃんとした受験勉強はしていないおかげ?なのか好奇心旺盛です。特技やら趣味にはこん


なものがあります:



・スポーツ観戦:アメフトやサッカー、アイスホッケーなどを見に行きます。


・囲碁:高校時代に東海大会に出たことがあります。


・カラオケ:つい最近までは、週3日くらいでいってました。NEWSやミスチル、福山雅治などをうたってます。


・スキー:大学時代からやっています。白馬、志賀高原などによく行きます。


・カフェ:一人で入って、1人で満足できるお店が好き。三軒茶屋や恵比寿、駒沢公園によくいます。


・京都&神戸:いろんな思い出があるところなので、年に1度は行くようにしています。



≪Disclaimer≫


1、このブログは、日々感じたこと、思いつきを書き綴っています。ですので、以下の事項にご留意ください。


2、思いつきなので、ころっと言ってることが変わることがあります。それに伴う批判は、甘んじて受け入れます


が、「責任とってよ~」って言われても、困ります。


3、務めている職場の守秘義務を核とする職業上の義務を超えない範囲で書いているので、歯切れが悪いなっ


て感じることもあるとは思いますが、お察しください。


4、ここに書かれていることは、「個人的」事項です。所属する職場の見解とは基本的に関係ありません。おバカ


なことをしてても、あるいは、偏ったことをしている場合もありますが、ごく私的なことです。


5、このブログでは投資の推奨や勧誘を目的とはしていません。


6、このブログの知的財産権の利用は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに準拠します。学術論文などへの引


用をする場合は一声かけてくださるとありがたいです。


7、コメント、トラックバックはご自由ですが、管理人の判断において削除させて頂くこともあります。削除の判断


に際してはもっぱら自己保身のために用いることもあるのでご了承ください。

昨日の朝日新聞の社説には、大いに疑問を持つ。小沢氏は代表選挙に立候補することすら許されないのは、メ


ディアによる言論弾圧だ。他の読売、日経も非常に立候補に懐疑的だ。小沢氏の政治活動を弾圧することは、


小沢氏に一票を投じた有権者に対する冒涜だ。言論の源泉ともなるメディア自身が、他者の政治活動や言論を


弾圧することが許されていいのだろうか。



今日(28日)の新聞では、若干の軌道修正を朝日新聞は行っているようだが、代表選挙を権力闘争と捉えるメデ


ィア側の根拠はどこにあるのだろうか、挙証責任はメディアにあるが、その責任をメディア側は果たしていない。


政策論議を政局論議にすり替えている、あるいは塗りつぶしているのは朝日や日経、読売、産経などの大手メ


ディアではないか。


新聞メディアは、鳩山氏の復権にもいら立ちをストレートに表現している。福島氏の国務大臣罷免の際も、罷免


するのが遅いなどと多くン新聞メディアが主張していた。


福島氏は、国務大臣としては自らの能力を発揮していたことは、周辺でサポートしていた人たちの話からもよくわ


かる。自殺防止や、セクシャルマイノリティーズの支援、障害者政策の推進、消費者行政の推進など数々の施


策を動かそうとしてきたことは評価に値することだと思う。現在の菅政権では、これら施策はどこかへ吹き飛んで


いる。これこそ批判すべきなのではないか。より市民生活に近い、人間に寄り添う施策の発信がないのは、玄


葉・荒井国務大臣の力量不足のみならず、メディアの「生活感覚」のなさにも起因することだ。


セクシャルマイノリティーズ支援において福島氏をサポートしていた人たちからは、玄葉氏が大臣になってこれら


の施策が吹き飛んだということで、非常に悔しい想いをしていた。


鳩山氏も、「新しい公共」の推進に奔走していた。この理念や施策に共感し、動いていた人たちからも、鳩山氏の


辞任は衝撃を与えた。今やその消えそうな灯火をどうにか残し、また人々の心に温かみが感じられるような灯火


にしていくために、いろんなチャレンジをしている。



そうした鳩山辞任後の政策の動きをメディアはウォッチしているだろうか。できているとは言えないだろう。メディ


アはいつから情報屋になり下がったのか、今多くの若手社会起業家や市民活動に携わる人が人々の心に灯火


を灯すためにがんばっているように、メディアも情報を通じて、人々の心に温かな灯火を灯すことが大切な役割


だったのではないか?今の新聞の記事や報道を見て、メディアがその役割を放棄しているとすら感じる。


メディアに携わる人々に伝えたい、今の新聞やテレビやいろんな媒体は、人々の心に灯火を灯していますか?


自己満足な報道をしていませんか?



人の行動を批判することは、何かを構築することに比して容易だ。一方で人の心を理解する、いろんな感情に気


付くことは時間がかかるし、容易なことではない。そのギャップをどう認識しているか、その認識の中で、自らの


役割をどう考えているのか、メディアに今問われていることだということを指摘したい。




たいき☆

玄葉氏が民主党の政策調査会長に就任してから、民主党は変わっただろうか。政策立案能力はアップしただろ


うか。政策発信はできているだろうか。玄葉光一郎氏が政策調査会長に就任してから、こういった疑問が膨らむ


一方だ。「論功行賞」で行われた人事の象徴のような人選だったことから、政策面での党内対立を抑えきれずに


いる。


玄葉光一郎氏は、公務員制度改革、男女共同参画、少子化、新しい公共を所管する国務大臣である。しかし、


どのような政策を発信するのか、各所掌の分野からは、何一つ見えない。テレビに出演しても、そういった所掌


の話は出てこない。単に一部の人を批判するためだけに、持論を発信する姿勢が顕著だ。


玄葉光一郎氏は、国務大臣就任時に、男女共同参画や少子化、新しい公共を所管することに消極的だった。


これまで、民主党の小宮山洋子氏はこれら問題のスペシャリストだったが、この玄葉光一郎氏の姿勢には何の


お咎めもしていない。民主党の政調部会も、発信力のなさを指摘していない。玄葉光一郎氏がなぜ消極的だっ


たかと、友人であるとある国会議員によれば、政策調査会長の業務で多忙だということを主張したらしい。政策調


査会長になろう人間ならば、これら課題の重要性が認識されてしかるべきだ。



これら政策の重要度の認識はすなわち「市民力」だと考えている。市民とどうかかわり、どう社会を成熟させてい


くかということを民主党はどう考えているか問われているのだ。この点に関して言えば、まだ、社民党の福島みず


ほ党首のほうが、政策の発信、調整ができていた。



今、今後の日本の立ち位置を考えた時、市民力は重要だ。民主党は生活が第一と言っている。しかしもはや生


活を行政だけで支える時代ではない。市民力が生活を支える重要な要素になりつつある。その市民力にどう向


き合うのか、民主党に問われている。




たいき☆

お盆休みということで、ブログをしばらくお休みさせていただきました。今日からまた復活です。




今日、大阪・高槻市の小学生3年の女の子が、なくなった。警察は自死の可能性が高いとみている。通っていた


小学校の校長は、いじめはあったが死亡との因果関係は現時点では不明という趣旨の話をしている。



東京・練馬区の中学3年の男子生徒がトイレに監禁した事件で、川崎輝久・中島まゆみの2名の被告に懲役3年


を求刑した。角材で100回近く暴行したり、ライターオイルを垂らして火をつけるなど凄惨な暴行を加えたことが


公判で明らかになった。



もう1つ、岡山中央署は16日、岡山市の児童養護施設の元指導員の花岡良容疑者を強制わいせつ致傷容疑で


逮捕した。この容疑者は、今年3月16日午後9時ごろ、勤務先の児童養護施設で、就寝時間に、小学3年だっ


た男子児童(9)の下半身を触り、嫌がって逃げ出した男児の腕を引っ張って、床の上を引きずり背中に約2週間


の擦り傷を負わせたとされる。

 


警察は3月下旬に男児の母親から相談を受け捜査していた。同署によると、花岡容疑者は「触ったが、ふざけて


やった。引きずってけがをさせたことは間違いない」と供述しているという。同署は他の児童にも同じような行為を


していたとみて調べている。



事件は様々だけれども、いずれも子どもが被害にあっている。「子どものいのちを守る」このもっとも根源的とも


いえるアクションを、みんなで起こさなくてはいけない。子どもの虐待に関しては48時間以内に安否確認するよう


厚生労働省が通達を出したが、実施できる体制を早急に整えるべきだ。



子どもの自殺、韓国でも小中高生の自殺者数が200人を超える(2009年)ことがわかり、衝撃を与えている。


OECD加盟国の中で人口10万人当たりの自殺者数がトップになったばかりで、まさにこの報道は、追い打ちをか


けた格好になった。



児童養護施設・子どもに関する施設での虐待、暴行は後を絶たない。改善措置の具体化を進めなくてはいけな


い。子どもによるSOSをキャッチできる制度・仕組みを具体化させることも必要だろう。



「子どものいのちを守る」、このことは世界中で、最も大切な課題だ。今やらなくては!!



たいき☆

気の早い話だけど、来年度から医療系の学部で「医療福祉論」「子どもの医療と福祉」を受け持つことになった。


友人の教員から、医療留学に行くから引き受けてくれということだった。本務校での講義を一部どなたかにお願


いする形になるが、お引き受けすることにした。



医療の領域に関する学部での講義は、初めて受け持つことになるので、今のうちからいろいろと学習を深めてい


る。たいき☆の専門領域は「子ども・若者」だ。そのコアをもとに今はいろんな科目を担当させてもらっている。東


京慈恵会医大付属病院の勤務医だった、小林達之助医師が引き起こした不同意堕胎という罪。この話を講義の


中で取り上げてみようと思っている。小さな小さないのちに人は、医療に従事する者はどう関わるべきなのか、こ


の事件を出発点にいろいろ考えてみたいと考えたからだ。


この事件、いろいろ考えなくてはいけないことが多い。(前回の記事がこちら )小林達之助医師は、病院でも人気


があったとされ、社交的な性格だったとのことだ。現在の妻との結婚が破談になることを恐れて、今回の行為に


及んだということだが、裁判長からは自己中心的、身勝手だと指摘されている。しかし、判決は執行猶予付きの


判決だった。


血液内科の医師で、仕事の評判も悪くなかったそうだ。医師である人間がなぜ??よくこの事件の報道で聞か


れたフレーズだ。今回の事件では医師としての知識も活用して今回の行為に至ったという点でも、非常に印象が


悪くなった。しかし、医師も人間なのだ。であればよくもあるし、いろんな感情をもった人間がいる。今回は仕事外


での感情を仕事で得た知識を活用して不同意堕胎を行った。職業倫理にもとることはいうまでもない。職業倫理


をどう育むことができるか、対人援助職にあるものにとっては特に重要な課題だ。


自らの感情と向き合うことができるかどうか、それが課題に対する答えの1つだと考えている。今の自分の状況


や感情をきちんと見つめること、これは脳のクーリングにもつながるし、今後の方策を練るための貴重な時間に


もなる。ともすれば、医療や福祉の現場では、業務の繁忙さのあまり、チームワークが意識されず、問題の共有


化やリスク管理に重大な支障をきたすケースがある。


周囲の人間関係への相互依存を意識することができれば、ストレスや負の感情に対しセルフコントロールができ


るといわれている。他方で、裁判長の指摘では、自己中心的・身勝手ということだったが、自らを守る(保身)とい


うことは、人間の本能的能力だろう。そのうえで、他者との関係において自分はどういう存在なのか認識できてい


ないという裏返しでもある。



人生において仕事は大切なファクターだ。仕事を通じた人間関係もたくさんある。医師という社会的な「ブランド」


のある仕事をしていれば、より自分の立ち位置を気にするようになるのは仕方がないのではないか、そう医療S


Wの友人が話してくれたことがある。



さて、たいき☆はちゃんと「医療と福祉の現場で働くことの意味」や「子ども・若者のいのちにどう向き合うべきか」


伝えることができるだろうか。自分にとっても正念場だ。





たいき☆

最近、新聞メディアの質の低下が著しい。新聞メディアは、きちんと国民のニーズをつかもう、本質はどこにある


のか探る姿勢がない。



◇核軍縮に消極姿勢の読売新聞・産経新聞


核軍縮は、世界の流れだ。唯一の被爆国である日本が被爆体験をもとに、核軍縮の中心にならなくてはいけな


いのは自明の理だ。北東アジアの情勢に目を向ける必要性はあるが、その対応のためになぜ「核」を持ち出す


必要があるのか、産経新聞の主張には論拠がない。世界の動きは明らかに核軍縮だ。核抑止力を賛美すること


は、北朝鮮をも利する主張だとさえいえる。


読売新聞も秋葉市長の平和宣言は「現実を踏まえた議論とは到底言い難い」と切り捨てた。ここでいう「現実」と


は何か、向き合うべき「現実」は犠牲者・被害者の苦しみではないか。その苦しみに向き合わずして、核軍縮を表


向きに主張する姿勢は、平和を希求する世界の人々の想いを踏みにじるものだ。



◇沖縄への思いに寄り添うことをしない新聞各紙


産経新聞、日経新聞、読売新聞ともに、辺野古への基地移設を推進する立場だ。日本に自衛隊は必要だ、むし


ろ拡充すべきだとたいき☆は考える。しかし、米軍については、近い将来撤退させるべきだと考えている。少なく


とも、普天間・嘉手納は無条件撤去が必要だろう。そのうえで日本の国防政策上必要な負担を沖縄にお願いす


べきで、間にアメリカが入ると、日本の主体的な防衛ができなくなってしまう。自国の事は自国で行う、北東アジ


アの情勢が緊迫化しているなら、なおさらである。


しかし「本土復帰」の条件だった「本土並み」の条件はいまだに満たされず、過剰な基地負担を課せられている


実態を直視しない上記3紙の主張は、沖縄の想いを無視していると批判されても仕方がない。産経新聞に至って


は、米軍兵士による暴行事件に関するコラムで、被害者批判を展開するなど性犯罪への認識の軽さも露呈して


いる。どこまで「アメリカ依存」なんだろうか。夜、お酒を飲んではいけないのか。そんな想いを抱いた人はたくさ


んいたと、沖縄在住の友人が大学のゼミで話していた。




当事者意識を踏まえず、「国の論理」を振りかざす(依存する)姿勢はメディアとしては疑問を持つ。


メディアの役割とは何か、各メディアは真剣に向き合うべきだ。そうでないと、メディア離れは加速する一方だ。





たいき☆

学の仕事で大学に行くことはよくあることなんだけど、やっぱり外国。なんかドキドキする。大学に行って、学

校教育などにおける、性教育の教授法の現状を視察することに。日本とアメリカでは大学のシステムが少し違う


ので、ちょっと理解しがたい部分もあったんだけど、歴史の深みが違うなーと思った。



30年近い年数を経て6単位のコースに成長した、「LGBTの人々」というコース。日本の大学では、クラスターと


して、科目を編成したりすることについて、あまり意識されていないように思う。実学志向が進む中で、1つの科目


で完結することが、学問の理解につながるかは議論の余地があるように思う。



少しわき道にそれたが、教育機関で社会的な問題をどう取り扱うかということは重要な課題で、いくつもの課題に


直面しながら、単位数を拡大させていった。LGBTの人々が、どういった有形・無形の差別、偏見にさらされてき


たか、日本の高校までの教育環境を考えれば、大学でこうした問題に正面から向き合う時間をあえて作ること


は、教育機関における社会問題の再生産の歯止めにつながるし、人間的成長や学自己の問の専門性を高める


ことに寄与することだ。



性同一性障害に伴う社会的不利に苦しむ若者もいる。ゲイであろうとバイであろうとそこらへんの苦しみは変わ


らない。教育や福祉の現場に立つ者として、人間の多様性の理解が必要なんだけど、日本ではなかなかうまく


いかない、なぜだろうか。




Ittan

最近、仕事の忙しさにかまけて、なかなかじっくり物事を考えていく時間がない。が・・・最近もいろいろ子どもをめ


ぐる論評がある。今日始まるドラマ「GOLD」でも主役の天海が演じるのは、子どもには忍耐を覚えさせることが


最も大事、そんなことを言っていた。



たしかに忍耐は必要だ。だけど、、、忍耐だけで人は生きていけない。「子どもに忍耐を求める親ほど、情けない


ことはない」とある友人の大学教員が語っていた。信じる何かがあるかどうか、人に対する心配りがあるかどう


か、たいき☆はそれこそが一番大事だと思っている。忍耐だけでは、生きることにプラス思考は働きにくくなる。そ


れを子どもたちは教えてくれている。



前述の友人と共同で、施設養護の処遇下にある子どもに、実態調査を行った。今の施設の暮らしへの満足度を


数値化したものだ。その結果、子どもの多くが、周囲に比べ忍耐を強いられていると感じているというものだ。ま


た、その忍耐が将来の生活に役に立つと思うかの問いにも、否定的な意見が78%だった。



また、施設職員から教わったことは何かという問いの中では、最も近いイメージは、「忍耐・我慢」だった。この結


果は何を意味するのだろうか。これから必要な分析、追加調査を行わないと結論は出せないが、結果として施設


職員が「忍耐や我慢」を押し付けてくる、子どもはそう感じているのではないだろうか。



自分の中には大いなる疑問が出てきた。


「忍耐」だけで人は生きられるのだろうか。




たいき☆

保育バウチャーに反対しているたいき☆。なぜ反対なのか、勝間和代さん、駒崎弘樹さんや池田信夫さんなど


の賛成論にあえて反対意見を述べていきます。


バウチャーの概要は、前回の記事 でも書きました。バウチャー制度の趣旨全てにたいき☆は反対だといわけで


はありません。しかし、地域によって、保育所の数が異なる現状では、結果として地域によっては子どもや親に


潤沢な選択肢を提供できないことが簡単に想定できる。保育所の数を増やせばいいという人もいますが、今の


国家財政を続ける中では、単純に増やすことはそれこそ過疎地域では難しい。


低所得の世帯においては、保育レベル高い地域に移住したくても、無理だ。すると貧困の再生産を生むことにも


つながる。だからといって、全てが平等で、均質でよいかというとそれはNOだ。バウチャーという手段にこそ問題


があるとたいき☆は考えている。


もう1つ、看過できないのは無認可保育所は、保育の質が悪い、だからバウチャーによって一定基準を満たす無


認可保育所もバウチャーの受け取り資格を得られるようにすれば、質が上がるという論拠だ。まず、無認可保育


所は本当に質が悪いのか??ということだ。、利用料は平均すると月6万くらいだ。費用負担はでかいが、、、そ


の分費用対効果を求める親のニーズにこたえるため、24時間や夜間保育を行うなど、独自の取り組みをしてい


るところも数々ある。何を持って、質が悪いのか明確な論拠を示してほしい。


さらに、独自の取り組みといえば、以下の問題も想定される。


ニーズが「あくまで」相対的に低い障害のある子どもの保育を行うなどの取り組みをしているところに、バウチャ


ーの恩恵は行かない。なぜなら圧倒的に健常児が多いから、ニーズが相対的に低いだけの保育所には、必要


な資金は集まらないことが十分に想定される。



もう1つ反対の理由がある。それは、バウチャーの支給対象である。このバウチャーは、親に対して支給される。


親元にいない子ども、親のいない子どもの保育にバウチャーの恩恵はない。バウチャーは一体だれのための制


度なのか、最終的には子どものための制度だ。結果的に対象から除外される子どもがいることに、多くの賛成論


じゃは気づいていない。これは、子ども手当のときも同じ問題があったはずだ。子ども手当をバウチャーにしてし


まえば、支給対象の問題が一層解決されにくくなってしまう。


またこの問題指摘は、教育バウチャーにも当てはまることを付言しておきたい。



経済評論家の勝間和代さん、病児保育NPO代表の駒崎さんを向こうに回して、反対を唱えるのはすごく勇気が


いるんだけれども、あえて小さな声を拾い上げていかないと、うねりにかき消されてしまう。でもあえて言わなく


てはいけない、施設出身者の声も大切な大切な声だと確信しているから。



たいき☆

10日の厚生労働委員会、実は・・・保育のバウチャー導入を含め検討するとの発言が鳩山総理、長妻厚生労働


大臣が答弁した。。。Twitterでは、駒崎さん(NPO法人フローレンス)、柿沢さん(国会議員・みんなの党)が賛辞


を送っている。



教育バウチャーについては、安倍内閣の時代にこっそり検討されたんだけど、安倍さんが内閣ほうりなげちゃっ


たもんだから頓挫した。教育バウチャー推進派には草刈隆郎さんなどが代表的だ。バウチャー制度をざっくりい


えば、「目的を限定したクーポン・金券」を利用者に渡し、利用者がサービスを利用したいと思うところにそのクー


ポン・金券を渡す。となれば・・・事業所はクーポン獲得のために様々なサービスを実施・向上させるということに


なる。競争環境が生まれることによって、サービスの質が向上するということだ。



しかし・・・たいき☆は保育バウチャーには反対だ!!前に書いた記事では懐疑的な見方もあると書いた気がし


ますが・・・。(⇒前の記事 )世の中の潮流に逆らって、まして気鋭の社会起業家の駒崎さんや多くの学者さんを


敵に回しますが・・・それでも反対!!です。でも・・・駒崎さんはリスペクトですけどね☆



なぜ反対か、以下理由を申し述べます。


まず、保育という1福祉サービスにのみバウチャーを導入するということだ。100歩譲って、バウチャーを容認す


れば、幼稚園との整合性をどのように考えるのだろうか。少なくとも保育所だけを対象にするバウチャーでは、子


どもへのサービス内容に幼稚園と保育所の間で大きな格差を生むことになる。幼稚園と保育所の一元化が進ま


ない中での導入には反対だ。


もう1つ、保育所サービスを事実上受けられない、あるいはバウチャーの恩恵を受けられない子どもが少なから


ず出てくるということだ。具体的ケースが大きく言えば2つある。1つは、低バウチャーで運営に困るような事業所


が出てきた場合、在籍する子どもへのサービスをどのように確保するのか、まさかバウチャーですべての運営


資金を賄うシステムにはしないだろうが、低バウチャーの事業所がサービスが向上するための手段がバウチャ


ーが低ければ選択肢が限られることにもなる。少なくともバウチャーの最終行使は、サービス利用後の評価とし


て行うべきではないだろうか。


2つは、児童養護施設や乳児院も概ね同様のサービスを担っている部分がある。幼児期の子どもは施設で保育


を受けるケースがあり、そうした子どももバウチャーは行使できるのだろうか。まさか今の日本社会にいる大人に


そんな器はありません!!同種のサービスを利用する子どもへその制度の果実が受け取れるような状況でな


いと著しく不公平だ。この事例にはには肢体不自由児施設なども含むのは当然だ。


6歳児までの子どもの育ちの環境は、全体的な・構造的問題を有している。一部の保育所や保育サービスを実


質限定した制度だけでは、そこから果実を受け取れない子どもが出てくる。全体の問題を考えたときに、バウチ


ャー制度は不十分だ。


保育サービスのためには、「幼保一元化」が最重要であるし各種児童福祉施設における保育サービスの人的・


質的向上が必要だ。100歩譲って、バウチャーを導入するならそれら対策をとった後の話だ。国が責任を持つ


べき水準・費用(財政負担)を明確にすべきだろう。そのうえで、保護者の保育の経済的負担の軽減を図る施策


が必要だというのがたいき☆の基本姿勢だ。



もう1つ、気になる点がある。


バウチャー制度が導入されて、低バウチャーになった時に、しわ寄せがくるのは子どもたち・・・。ほんとうにこれ


を全て受け止める必要が、子どもが受け止める必然性があるのか。例えば、低バウチャーになったときに、どこ


の保育所でも障害のある子どもは今まで通り対応ができるようになるのだろうか。現実問題として不可能ですな


んてところが出てくるのではないか。高バウチャーのとこでも引き受けるとは限らないことも十分想定できるので


すが。


とっても気になるのです、駒崎さん、柿沢未途さん。。。まさか障害児保育とこのバウチャーとは別問題だとはい


わないでしょう。障害があっても保育サービスを利用するケースは十分あるんです。ただ、東京都はたいき☆と


は全く違う見解を有しているようですが。



「保育」と「バウチャー」うまく結び付くかどうかは、実はそれ以前の問題・哲学が重要な気がしている。


とりあえず、現時点でたいき☆は反対!!です。



たいき☆