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新しい「ふくし」、社会起業、ボランティア、ジェンダー、政治、国際社会開発、などを綴っています。初めてのお方は、「Ittanの取扱い説明書」をご覧ください。

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民主党を中心とした政権へと交代した日本の政治。様々な混乱が生じても、絶望なんてしちゃいけない、そう思っていました。しかし、今回の「岡田幹事長がマニフェストの見通しの甘さを謝罪」という報に接し、敢えて、絶望を表明せざるを得ないということになりました。



 



 



この今日(721日)の謝罪を、額面通りに受け取るべきではないという意見もあると思います。特例公債法の成立をにらんだ、上辺だけの発言とも見る向きもあるでしょう。もしそうであるなら、尚更無責任な発言だと思うのです。有権者をここまで侮辱した、発言だと思うのです。あなた方政治家は、何のために政治家を志し、どういう思いで政治を動かそうとしているのでしょうか。その思いのかけらも感じられない発言だと私は感じています。



 



 



岡田幹事長は、記者会見の冒頭発言で「民主党のマニフェスト2009年の中で、実現できなかった政策がある理由として、政策の必要性、実現の見通しについて、検討が不十分なところがあった。大幅な政策の変更を行おうとしたことに伴う歳出の増加に対し、裏付けとなる歳入の増加となる補助金の見直しが進んでいない」という旨のことを述べています。そして、「今後は補助金の見直しを進めるとともに、復興対策とマニフェストの重要性を比較し検討することが必要」と述べています。



 



 



記者会見では中間的な報告と言うこともあってか、どこでどう見通しが甘くなったのか、今後どうしていくかということは全く具体的な話はありませんでした。ただ、マニフェストの見直しをするのであれば、復興対策をアリバイにするのではなく、理念・基本方針をもっと煮詰める作業と具体化がということが必要なのではないでしょうか。



 



 



というわけで理念・基本方針について見ておきたいと思います。民主党の2009年のマニフェストの冒頭部分で、どのような政治をしたいか、どのような社会を作りたいか述べています。



 



 



「国民の目線で考えたい」「横につながりあうきずなの社会をつくりたい」「居場所を見出すことのできる社会をつくりたい」「国民の生活が第一」という思いは、震災があろうとなかろうと政策をつくり、法律をつくるということの根っこにあるのだろうと思います。今後の政策の土台となるべき、理念・基本方針をどう考えているのか、ということが記者会見では全く語られていません。



 



 



その話を抜きに、見通しが甘かった、お詫びしますでは、話はすまないのではないでしょうか。子ども手当に関わる理念でいえば、「社会全体で、子育てする国にします」との宣言を、今はどのように考えているのか、説明すべきでしょう。所得制限をかけることは、財源の観点からはやむを得ないという意見は一理あるのですが、理念の具現化という観点からは、大幅な後退との意見もあります。



 



 



もし前者の観点に立って政策をつくるなら、後者の観点に立った指摘に対して、責任ある説明が必要なはずで、民主党の誠実さそのものが問われることになるでしょう。



 



 



奇しくも子どもの貧困問題が叫ばれる中で、高校の授業料無償化など、具体的な政策効果が見られた政策もあります。しかし、目玉政策でもある子ども手当をめぐる議論の迷走は、親御さんを中心に不安を与え、政治に対する不信感を増大させることにもなっています。自民も公明も建前上は、「社会全体で、子育てをする」という理念には反対していません。であればこの際、この理念をどう具現化するかという観点からも、幅広い、質の高い政策議論を進めるべきです。



 



 



どうも、民主・自民・公明の修正議論の行方をみると、お互いのメンツのぶつかりあいに、子ども手当が巻き込まれている、そんな印象を日に日に強く持ってしまいます。これだけの時間がありながら、何ら具体的な行動が行われていないからです。



 



 



もう1つ。国会の議論を見ていいて、非常に不可解なのはなぜ修正議論が民主・自民・公明の3党だけで行われているのかという点です。今日(21日)の会見について、22日に3党幹事長会談で説明するということのようですが、国会無視の単なるオジサンの駆け引きを見せられているようで、こういう点からも岡田幹事長の発言に対する誠実さを疑わざるを得ないのです。



 



 



少なくとも、国民11人が託した思いを民主党、自民党や公明党だけが担っているわけではありません。共産党、社民党、みんなの党などなど全ての政党、議員が個々に担っているのです。議席をある程度持っている政党だけで議論をすれば、国会運営上はラクなのでしょう。しかし、こうした少数政党抜きの「談合政治」は、大政党が小政党に託した有権者の一票を一方的に「無効票」とする行為であり、政治の在り方として適切ではありません。



 



 



こうした古い不誠実な政治手法を、政権交代後も駆使しているという姿は、やはり政権変わっても、何も変わらなかったのだなという思いを、私は強く持ちました。2009年の選挙にしても、2010年の選挙にしても、有権者は、国民に対していかに政治家があるいは政党が誠実であるかということをよく見ていたと思います。



 



 



私は、震災以降も平気でこうした不誠実な政治手法を3つの主要政党がとり続けることに、猛烈な違和感を覚えるとともに、日本の未来をつくる重要な土台の1つである政治に絶望を感じています。寄付税制の進展、NPO法の改正で「やればできる」という思いをほんの少し持っていましたが、今日の政権与党・民主党幹事長の無責任な発言で、その思いはなくなりました。



 



 



今政治の世界では、菅総理やめろの声が根強くあるようですが、政治家11人が総理を責める前に、自らの主張と行動を振り返り、日本の未来と今の現状をどう考え行動するかということを語り、動き出すべきです。総理が1人辞めても、日本の政治は変わらないでしょう。日本の社会を本気で変える・支える役目を担おうというなら、政治家11人の意識と行動を変えることを積み上げていくべきです。



 



 



しかし、今の政治家や政治にはそれを期待するのは、無意味なのでしょう。

我が家は他の方から見れば「大家族」という部類に入る。我が子10人に、弟3人ルームメイト4人、そして自分。



 



 



むすこたちからは「おとーちゃん」、弟やルームメイトからは「いったん/いたっつ」と呼ばれている。頼りにならないおとーちゃんのおかげで、むすこたちはのんびり、ゆったり、のびのび暮らしております。



 



 



そんな我が家ですが、あの東日本大震災以来、ちょっと困ったことに遭遇しています。今日はそこらへんのところを敢えて書いてみたいと思います。(けっこう、つれづれなるままに書いています。いきなり話が飛んだりもしますが、ご容赦を。)



 



我が家のむすこたちは、全員「ハーフ」です。亡くなった妻はフランス人だったからです。で、髪は全員ブロンドです。(生まれた時は黒かったむすこもいましたが、すっかりブロンド。)容姿はすっかり「外国人」なわけです。



 



フランスと言えば、世界的な脱原発の方向に逆らっての原発強化・推進の政権の国。長男は小学校2年、二男、三男は小学校1年なのでだいたいそこらへんの事情をなんとなく耳にしています。(どういうことなのかどこまで把握しているのか正直わかりませんが。)ただ学校で、クラスメイトから、「お前の国は、放射能を出してるんだろ~」というような会話になるそうなのです。あーやっぱりなと。フランスのサルコジさんが原発推進を明確にしたときから、ここらへんの不安はあったのです。なんか子どもたちがわけのわからんことを言われ、傷つくだろうなというのは。担任の先生は、そこんとこを個別にケアをしてくださっているので、過剰な心配をすることはないのですが。


ただ、子どもたちの間でも正しい情報をインプット・アウトプットしてほしいという思いは持っています。で、フランスの原発政策に関する情報、日本の原発の動向などについて、自分もリサーチする努力をしています。

ただ、日本の情報に関して言えば何が正しいかということがわからないので、子どもにも伝えることが難しい状況でもあります。むやみに不安を増大させるわけにもいかないし、かといって情報にはアンテナをはっておいてほしいとも思っています。

我が家は原発事故に振り回されています。むすこたちは心が振り回されています。いくつかエピソードを。

東京の水道施設から放射性物質が発見されたとき、我が家もてんやわんやな事態に陥りました。その様子をまじかでみていた、むすこたちですから不安がるのも無理はないなとは思います。そして、自分のもう1つの母国との差、違いに感覚的に混乱するのではないかとも、そのとき思いました。

まだまだ小学校の低学年なのでわからない部分も多いだろうし、一方で周囲の雑音もあり、敏感にならざるを得ないのだと思います。

フランスから日本からの退避勧奨のメールが来た時も、おいおいおい、こういうのを簡単に出してくれるなよと、おとーちゃんはけっこう悩みました。一時的にでも飛行機に乗れる(長時間のフライトに耐えうる)子どもたちだけでも、フランスに返した方がいいのではないかとも思いました。でも日本の国難のときに、フランスにかえしてしまうことが子どもたちの人間関係に傷をつけてしまうのではないかとも考えたりし、弟たちとも相談して、日本への残留を決意するに至ったというエピソードもあります。

正直、原発の政策については脱・原発がいいのか、原発維持がいいのかわかりません。ただ、もうフクシマと同じ事故を起こしてはならないというのは確かでしょう。そのためには、原発事故発生時の訓練を学校教育現場でも早急にしてほしいと思っています。これだけ騒がれているのにこの種の訓練をしないのはなぜか、また「不安を煽る」からしないのでしょうか。しかし、地震も津波もいつやってくるかわかりません。一刻も早く、実施しなくてはいけないのではないかと考えています。

世界では原発が今後も重要なエネルギー源となるのは、明らかです。しかし、これから育っていく存在である子どもたちの安全な環境を守ることも、視野に入れて様々な対策を講じてほしいものです。


原発問題で振り回される我が家のむすこたち、そして、住み慣れた土地をはなれた子どもたち、外で遊べない子どもたち。様々な子どもたちが原発問題で心の中に不安を抱えています。今原発の事故対応に当たっている政府・東電の方々、子どもたちの安全確保と、不安の解消に、誠実に、迅速に取り組んでください。


 ふろむ:とあるシングルパパ

先月は、書きたいことが山ほどあったわりに何も書かずに過ぎてしまいました。GW後半の初日、今日は家でのんびりするので、少しまとまった文章をかければいいなと思っています。



さて、私の周囲には仕事の関係もあってか、今回の東日本大震災で被災地支援、被災者支援にあたっておられる方が実に多い。このGWもかなりの人が被災地入りされ支援をされている。私は発災直後に2度被災地入りして以降、現地に入ることを控え、後方支援に当たっている。もう1つは、これからの自らの動き方などについて思案する時間としていた。

それ以外にも、ミニ勉強会などの場で、被災直後の様子などをお話しさせていただいたりし、被災地の状況の発信に少しでもお役に立つよう、微力ではあったが動きまわった。東京へ戻った後は、職場で計画停電や震災ボラの対応などに振り回されることも多かった。まさに日本全体が「非常時」になってしまったと感じている。



さて、NGOの活動も再開し大学の授業も始まる中で、どう継続的に支援に携わるかということは大きな課題になりつつある。私のポジションは決まっている。いまできることを全力でする、そしてプラスアルファできることを被災地支援、被災者支援としてやる、というスタンスだ。いまできること(やらなければいけないこと)を、削って支援をする、最初はそれでもいいし、むしろそうなるだろう。しかし、今回の震災の影響は極めて大きく、日本社会全体のパラダイムの転換が求められているともいわれる規模だ。長期的な視野に立った行動が必要だ。



さて、今回支援に行ったという人のお話を様々お聞きするに、「温度差」を痛感することがある。東日本と西日本の温度差、被災現地に行った人とそうでない人、行政と被災住民との温度差、大人と子どもの温度差、世代間の温度差、ボランティアに関する温度差などなど、あげればきりがないのかもしれない。


そんな中、被災地に行った人たちの声の中で、被災地の現場をみればもっと本気で支援をしなくてはいけない、関わろうという気になる、という声が多いように思う。私も、そのひとりだった。道路を隔てただけで、被害状況に差がある、きれいな松林が一本残してすべてなくなっている情景をみれば、そう追い立てられる気持ちも十分に理解できる。


東京に戻ったときに、とある友人と話をした。その友人は、聴覚に障害があり、普段は下肢障害のため車いすを常用している。いわゆる重度障害者という部類に入る。その友人と被災地の状況、障害のある子どもたちの状況、施設で暮らす子どもたちの安否などについて、話し込んだ。


その話の中で、友人(以下、Tさん)がこんなことを言っていた。Tさん「震災が起きて、多くの人が支援活動をしている姿を見ると、現地に行くことすら叶わない障害者の自分は無力感でいっぱいだよ」私「なんで??できることあるじゃん、被災地でもそれ以外でも」Tさん「先日とある方(以下S氏)に、今被災地に行って支援しない人の見識を疑いたくなる、被災地はそんな状況ですよといったあと、Tさんは仕方がないですよね、その体では、と言われた」まーずいぶんストレートに物をおっしゃる方がいるもんだと思う。



ある意味、S氏の言われたことってのは、こういう状況ではよくありがちなんだよとも思った。今でこそ、被災地に行かなくてもできる支援が強調されている。一方で重度の障害を持つ人などは支援に関わることに非常に大きな制約があって極めて難しかったりする。

私も福祉の現場や教育の現場に立つ人間として、こういう「仕方がないよね」というような光景にはよく出くわすのだ。福祉職、すなわち対人援助職である仕事に、日常障害のある人、つまり支援される側の人間が就くことは、多くの対人援助職に就く人(ですら、と言った方がいいかも。)の思考の範囲から外れていたりする。そこには、援助する側は、正常でなければいけないという「暗黙の前提」があるように思う。

こうした東日本大震災などにおいて、正常である人(健常者)ですら、支援が難しい状況であるから、障害のある人が支援できないというのは「仕方がない」ということになるのだろう。



しかし、被災地を回ったときに感じたのは、ピア的つながりに基づく代弁役割がとてつもなく必要だということだ。被災直後は、どこにだれが避難しているか、安否状況も含め確認が取れない状況だ。そうした状況において、障害のある人の少なくない方が、避難所で過ごすことすら、回避し家財道具が崩れた中で、生活を送っているという状況だった。未曽有の被害の中で、情報も物資も不足する中、孤立する障害のあるかたたちの状況。そんな状況下にある人を、側面から支えてきたのが、障害のある人たちのネットワークだった。同じ障害を抱えているからこそわかるニーズをネットワークで共有し、協力してくれる人たちに訴える、そうした行動が多くあった。つまり、被災地に入っての支援ニーズも、被災地の外からの支援のニーズも「障害のある支援者」に対してあったということだと思う。




その一方、私は支援する状況にない人たちを批判する、今の少なからぬ風潮は少しばかり寂しく感じている。いろんな思いを抱える中で「支援する状況にない」ということなのだろう。例えば、重度障害のある人たちの多くが、なかなか支援をするという状況にすらたどり着かない状況にある。そういう人たちは仕方がないよねと言っていってしまうのは簡単だろう。でも決して「支援できない仕方がない人々」ではないのだ。


日本が震災によって、社会的な変化を求められることになるだろう。今は未曽有の災害に苦しんでいる状況が様々な媒体で感じ取れる。しかし、前述の重度障害の人たちは、様々な「障害」を乗り越え、あるいはぶつかりながら日々を暮らしている。ある意味苦しんでいる状況という意味では共通しているのかもしれない。しかし震災前までは、なかなかそうした重度障害の人たちの苦しさに光が当たることはわずかだった。今回、ひとつになろうとか、がんばろうと日本全体に対して、連帯を呼びかけているメッセージがメディアで流れている。


もし、本当にそうだとしたら、日々の暮らしにおいて、障害にぶつかっている人たちにも光があたり、そして、かつて糸賀一雄さんが述べたように重度障害のある人たちが世の光になるような社会になるよう、支援のパラダイムの転換が図られることを願ってやまない。まさに障害のある人が「仕方がない人」になることのない社会にしていかなくてはいけない、そう感じた。




そんなこんなで、いろんな人がいるし、できることをやっていこうぜ!!とTさんと会話。といっても手話なのだが。手話って意外にうるさい。なぜって?手の動きが結構目立つ。Tさん曰く、大学の授業で音が出ないからと手話で友人と話をしていたら、「私語をやめなさい!!」と先生から怒られたことがあるとか(笑)



カフェでずーっと周囲も気にせず、話し込んでいたら結構注目を浴びましたが、とても熱い被災地支援と障害者という熱いテーマになってしまいました。



GWも後半戦。我が家も5日は、外へ出かける予定。みなさんも道中お気をつけて。






福祉社会デザイナー Ittan

















東日本大震災、被災地では多くの方が家族や親しい人の安否確認をし続けている。数々の救出現場を見てほっとする思いになったり、悲しい知らせを聞き、辛い気持ちになったりする。



私は震災翌日、被災地の自治体より、救援要請を受けて被災地に向かい、災害対策本部の支援、避難所運営の支援、要援護者の支援に携わっている。



被災地の自治体とは、亡き妻との思い出の地でもあり、私たち夫婦が学生時代の様々な学びのフィールドとなった場である。私は卒業後も、様々な場面でお世話になった。昨年の6月に妻を亡くした時は、様々な福祉制度について献身的に説明をしてくださったり、行政機関につないでくださったり、本当に感謝しきれないほどのケアをしてくださった。


救援要請が来たときは、今こそ自分の持てる力を生かす時と考え、できうる限りの準備をし、車に飛び乗った。途中道路状況が悪く、到着に時間がかかったが無事にたどり着けた。


救援要請を受けるにあたり、NGOの仲間、大学の関係者の方々、そして息子や弟の理解と協力があった。それなくしては、ありえなかった。



シングルパパでもある自分が、余震が続く東京で子どもたちを残して行く不安もあった。その不安を取り除いてくれたのは長男のあっくん(4月から小学2年)だった。恐る恐る話をしたら、「がんばって、いっぱい子ども助けて来て」と言ってくれた。あっくん自身も不安だったろうに、笑顔で送り出してくれたことがうれしかった。



被災地の状況は報道以上に、壮絶な現場が多くあった。しかし自衛隊、警察、消防の方々はじめ多くの方々がその現場にわけ入り、捜索活動に従事されている現場を目にし、気を引きしめ、役場入りした。役場もかなりの混乱状況で、様々な情報収集にあたっていた。





今回の震災では、Twitterが有効なツールとして機能していたし、被災者を勇気づけるあるいは役立つサイト・アプリが震災の夜には次々と誕生した。一方でモバイルに接続していない人との情報格差も浮き彫りになった。これは今後の課題だろう。




また、災害時要援護者の対策は今後も重要な課題の一つだ。先日には福祉ネットワークが障害のある方の被災状況などを取り上げて、事態の深刻さが少しずつ認識されてきている。今後も様々な支援体制を構築する必要があり、NPOとの連携なども密にしていく必要がある。



ボランティアの動きも、活発だ。様々な団体が早期に動き始め活動を開始している。一方で今回は、自治体機能が消失した地域もあり、受入体制を十分にくむまでには至らない地域もある。被害も甚大で今まだ被害が甚大な自治体では、災害発生時の初動対応に追われている。




また広範囲の被害になっていることから、報道されない地域は物資が行き届かない事象もかなりの数に上っている。また、一部で報道の在り方についても疑問が寄せられたりもしている。被災者にとって必要な情報提供とは何か、メディア側についても今後検証が求められる。




私は、今回の救援に当たっては、初動の対応支援以外に要援護者や子ども、若者の支援、ボランティアの受け入れ支援などに携わる。要援護者の情報提供はどうしても後回しになってしまう。(首相官邸の記者会見の手話もつくまでに時間を要したこと等。)支援が最も必要な人でもあるにもかかわらず、現在の状況すら知らされない、アクセスできないという状況は解消していかねばならない。




また、地域の支援者も被災をしていることもあり、なかなか十分な支援体制を組めないという事情もある。そうした時に、NPOの皆さんの力が大いにお借りしなくてはと思っている。そのための受援態勢を構築することに全力を傾けていきたい。




息の長い関わりとなりそうだが、前を向いて笑顔を忘れずに取り組んでいきたい。




最後に、このブログの執筆中に悲報があった。私の所属するNGOのスタッフが今回の震災で8人が亡くなったというものだ。小学校時代からの親友や私のキャンパスライフを支えてくれた友人もいる。何より志をひとつに、地域のためにがんばって活動しようとしてきた仲間を失ったという現実に向き合うことができない。




震災が私たちにもたらしたもの(今後もたらすもの)は何だったのか、そして私に何をもたらすのだろうか。






大切な仲間はじめ、震災で亡くなられた方に心からお悔み申し上げます。



願わくば、希望の灯火が日本や被災した方々のこれからの日々に温かく灯っていると信じたい。




















もうこんなに月日がたってしまったのかという印象です。2年間あっという間でした。まず皆さんに伝えておきたいのは、まだどこのどいつかもわからない私のゼミを希望して下さり、ありがとうございます、ということです。そして、いつも頼りなく、チャラチャラしている私を温かく見守って下さったみなさんに本当に感謝しています。




リーマンショック以降の厳しい就職戦線の中就職活動を走り続けた人、研究の種探しに没頭した人、部活に汗を流した人、人それぞれで個性あふれるみなさんでした。その輝きにいつも元気をもらい、励まされたのは私でした。




グループ研究、個人研究、フィールドワークなどの研究成果を今回まとめることができたことは、みなさんの人生にとっては一瞬の時間だと思います。しかし、研究を通して出会った出会い、笑顔、つらさ、しんどさはみなさんにとって大切な心の糧になるでしょう。人の心を受け止め、向き合い、壁にぶつかり、壁を乗り越え、その体験を人に伝えるという過程をみなさんはしっかりと向き合っていました。




様々な格闘を経てある確信に達したもの、それが論文だと言えます。その論文には様々な「気付き」が盛り込まれています。いろんな格闘を経る中で様々な気付き、アンテナを張っていないと、確信には至らないということです。




私はみなさんにこのゼミを通して、「気づきのこころ」をもってほしい、そのことを意識していました。人々の生活の中には様々な社会的背景があったり、社会問題なるものが潜んでいたりするのです。表層に現れる事象の根っこを勇気を持って探ろうとする心、それこそが気づきのこころだと私は考えています。




私が大学の教員になったのには、「気づきのこころ」もった人が増えれば、もっと安心して暮らせる、そしてのびのび暮らせる社会になると考えたからです。もちろん一足飛びにはいかないとこですが。長い時間をかけて挑むことになりそうですが、皆さんを無事に送り出すことができて、そのスタートラインに立つことができたのではないかなと考えています。




でも正直寂しいです。だとしても、人は巣立っていくもの、皆さんの更なる成長に期待しています。私も皆さんと再会した折には、もっと成長できていいるように地道の努力をしていきたいと思います。



人生いろんなことが起きます。いろんな出会いがあるでしょう。時に逆風にあうこともあるかもしれません。でもその逆風に帆を立ててれば、あなたにとっての良い風になるでしょう。もちろん帆を立てることはエネルギーを使いますが、自分と自分の未来を信じ、帆を立ててください。未来は必ず開かれるはずです。




大切な2年間をほんとうにありがとうございました。



みなさんの最高の笑顔を思い浮かべながら、筆を置くことにします。




(2010年度第1期生ゼミ論集 前文より)

















政治の混迷が続いている。民主党は小沢元代表に対し、異例の不定期の党員資格停止処分を決めた。一方で、菅内閣の支持率は20%前後に低迷。松木謙公農林水産大臣政務官が辞意を23日表明し、内閣のメンバーから「反菅」ののろしがあがることになった。



また1年もたたずに、総理が交代するということにどうやらなりそうだ。しかし、日本のメディアの姿勢には、内向き傾向が強く、敵を作って徹底的にやっつけるということを世論やメディアの権力を根拠にやってのけるようだ。


他方で、税制改正など予算関連法案の成否も瀕死の重傷を負っている。公明党や社民党が反対の姿勢を決定しており、国民生活への影響が少なからず出ることが、もはや既定路線となりつつある。


その予算関連法案の中に、寄付税制の改正も含まれており、NPO関係者が気をもんでいる。有志議員の間からは、寄付税制を切りだして成立を図るべきだとする意見もあるようだが、現実的には財務省は慎重姿勢のようだ。



私は、今の政治やメディアの状況を見るにつけ、日本において寄付文化の進展が必ずしも社会問題を解決することに十全に機能するとは考えにくく、不安視している。



もう1度政治とメディアの話に戻そう。



ここ何代か、総理が1年ほどで交代することが続いている。支持率は交代した時が一番高く、1年たてば20%というのが、一般的となりつつある。最近の例外では小泉総理ぐらいだろうか。政策課題が山積する日本では、様々な課題に取り組もうとしても、いろいろな壁にぶつかり、果断な判断ができないことが、国民の支持を失う主な要因といえる、しかし、その裏には「果断に判断できない」ことを切り出し、猛攻撃するメディアがいるということも押さえておきたい。



その一方で、年末に登場した「タイガーマスク」を集中的に報道し、タイガーマスク運動への共感を呼び起こす役割もメディアは果たすことになった。



顧みれば、メディアは衆議院選挙のときは政権交代を煽りたて、今度は煽りたてて誕生した政権を叩き潰すような報道・主張を展開している。



昨今の様々なメディア、政治状況、選挙の動向をみるにつけ、誰かを集中して持ち上げたり、たたき落としてみたりと、いわば「一点集中」「寄らば大樹」とも言える国民性が芽生えてきているのではないだろうかとさえ、危惧している。まさにエネルギーを一気に放出するかのごとくの民意のエネルギーは、裏を返せば、日本社会に根付いてしまった閉そく感だといえる。



不安定な雇用、脆弱な社会保障、先進国内での経済的地位の低下など、日本全体がネガティブ思考に陥るような社会問題が未だに光が見えないことそれが閉そく感の主要な成分だろう。その閉そく感が、人々の社会的孤立(排除)の状況を悪化、硬直化させ、「無縁社会」「孤族」といったような言葉を生み出してしまっている。



そうした社会問題の解決にあたろうとする人たちも一方ではいる。最近注目を集めているのは社会起業家やNPOの業界に携わる人たちだ。



NPO関係者にとって寄付文化の進展は、長年の悲願だ。規模の小さいNPOも多く、2007年の内閣府の調査では回答に占める22,6%もの団体が年間収入が100万以下である(内閣府 平成19年度市民活動団体基本調査報告書)。さらに平成21年度の市民活動団体基本調査においては、回答したNPO法人全体の収入に占める、寄付・会費はそれぞれ、5,5%と6.8%だ。(一方で認定NPO法人では、寄付金が収入に占める割合は59,1%。今回の税制改正では認定NPOへの移行がより移行しやすくなるような改正も併せて盛り込まれてる。)



私は、今回の「税制改正」や認定NPOに認定要件の緩和には賛成である。しかし、このまま寄付文化がうまく育めるのか、寄付文化の進展が社会問題の解決に一役買うのかと問われれば、かなりの不安を持っているし、感じている。



このままの日本の寄付文化であれば、「問題を問題として認定しない限り、うまく機能しない(寄付が集まらない)」ということになりはしないかという不安である。



タイガーマスク運動の伝播は、社会に児童養護施設の存在を再認識させられた。他方で、同世代が通う、肢体不自由児施設、情緒障害児短期治療施設、児童自立支援施設などへの共感は広がらなかった。社会的に(メディアが)取り上げないと、寄付が集まりにくいということを表した結果ではなかろうか。


子どもの問題でいえば、待機児童の問題や病児保育の問題は社会起業家などの活躍もあり議論についての市民権をゲットしてきたが、障害児保育への注目は集まらず、抱えている問題への議論も僅少だ。同じ年齢であるにも関わらず、子どもの福祉とは別枠で捉えられ、苦しんでいるパパ・ママが少なからずいる。施設卒業後のキャリア形成・進学問題についても、東京では先駆的に取り組んでいるNPOがあるが、その施設の対象に上記の施設はあげられていない。

同じ世代の子どもで、抱えている問題の多くは共通しているものだったりもするのだが…。



本当に必要支援や忘れられた子どもたちへの支援をどうしたらいいのだろうか、問題は何も子どもに限らないが。社会から忘れられている問題、隔離されている問題にどう光を当てて向き合っていくか、これこそが、社会問題解決に必要な土台であり、文化だろう。


社会には様々な問題がある、「一点集中」「寄らば大樹」といったエネルギーの放出だけでは、見過ごし隠されてしまう問題も潜んでいる。寄付税制がそうしたエネルギーの放出の1つになり下がるのではなく、誰でも気持ちよく、自らの信じるところに寄付ができる、これこそが寄付文化の目指すところであり、寄付税制がそうした制度に育っていってほしいと切に願う。





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福祉社会デザイナー Ittan



















先日、2011211日・12日にNHKで取り上げられていた「無縁社会」特集。私自身は、無縁社会という言葉の定義が曖昧すぎて、理解しづらい言葉だと感じている。





無縁社会が投げかける問いは、社会的排除の問題ではないかと考える研究者も多いようだ。12日のフロア発言でも同趣旨のものがあった。

もしそうであるならば、社会的排除に直面している人は、一連の特集で取り上げられているような、2030代の失業した男性というようなモデルはごく一部にしか過ぎない。シングルファミリーや、障害のある方々、在日外国人の方々、セクシャルマイノリティの人たち、買い物すらできずに困難に直面している人々など、実に多様な人たちがいる。





EUの定義では、社会的排除とは以下の事項である。



(1) 貧困による参加の阻害、学習機会の不足、または差別の結果として、社会の隅に追込まれるプロセス。
(2) 仕事、収入や教育の機会、社会やコミュニティのネットワークの活動から阻害される。
(3) 権力者や意思決定機関へのアクセスから疎遠にする。
(4) 日々の生活に影響を与える決定について無力感を感じる。





番組ではドラマ仕立てで、単身者世帯の急増と少子高齢社会について「悲惨さ」という旋律で長々と流していた。モチベーションが下がるのがすぐにわかった。あれは無責任。何も政策を打たないとこうなりますよ、ぐらいの前提は話してもらわないと。



個別的に、ケアが必要な人たち対する政策は、日本ではあまりにも乏しい。その原因はどこにあるか。「標準的な」世帯という「幸せな家庭像」に基づいて、政策が打たれている。北欧のように、シングルマザーでも安心して、幸せに暮らせるようにするという政策立案の出発点が異なっている。

幸せな家庭像から排除された場合は、まず自分から声をあげ、政策へと結びつけていかなくてはならない。しかし、上記の定義から見て、それが可能なのかと言われると疑問符を付けざるを得ない。







以下、社会的排除に直面する人たちの状況を2つあげてみたい。



大妻女子大学の石田光規さんの論文によれば、「悩みを相談できる人」がいない人は、死別・離別などにより単身者の町村部に住む男性に多いとされる。性別役割分業の家庭というモデルから、放り出された男性は、人と人とのつながりから、疎遠になってしまうということだ。



もう1つ疎遠の状況を説明しよう。資料が古くて申し訳ないが、シングル・ファミリーに関する調査結果(厚生労働省「平成10年全国母子世帯等調査結果の概要」 平成13年)によれば、母子世帯に比べ父子世帯は、福祉相談窓口への利用実績がかなり低いことがわかる。また、「今後利用したい」とする回答も、父子家庭は母子家庭に比べ低いことがわかる。他方で、母子世帯にしろ、父子世帯にしろ、遺児手当や修学支援を望む声は多い。行政機関が、父子世帯の実態すら把握できていない、把握しづらい状況がある。そうした父子世帯の側への情報提供の不足が、父子世帯への制度利用への動機づけダウンと言う負のスパイラルができあがってしまう。そうなれば、収入低下などを招き、結果として、社会的排除状態に直面することになる。



他方で、離婚件数は増加しており、高齢社会は一層深刻化するだろう。つまりは幸せな家族像の崩壊が始まっていると言っていいだろう。







他方では、縁は失われていないという指摘もある。(ここら辺の所は、勉強不足で論述するに値する材料を持ち合わせていない。)



無縁社会の根っこには、少子高齢社会や多様化する家族、若者世代の孤立感を背景にしつつ、社会政策の構築の対象設定のズレがあるのではないかと考えてみた。そう考えれば、無縁社会という曖昧な言葉の流布が、政策責任をぼかしてしまうのではないかという危惧につながっている。

縁という極めてパーソナルに捉えられやすい言葉が流布することによって、問題の個人化、自己責任の過剰な押し付けに議論の結果が収斂されてしまうリスクがあるように思う。





ただ、社会的排除という言葉や政策も、排除する・される側を区別し二項対立を煽るリスクを抱えている。



いずれにしても、無縁社会という言葉から連想されるであろうイメージを、「ぼんやーり日本社会を社会病理が覆い尽くしている」と捉えると、政策の方向性を見誤るだろう。社会問題を社会問題とたらしめんとしている根っこについて、明確にしておかないと目指すべき解決策が明確にならず、重苦しい恐怖感・孤独感を煽りまくるだけになる。





無責任な言葉の流布だけでは問題は解決しない、そう強く感じた2日間だった。





(参考文献)



European Union, Joint Report on Social Inclusion 2004, European Union, 2004


・石田光規「誰にも頼れない人たち――JGSS2003から見る孤立者の背景」『季刊 家計経済研究』73号、2007

・真田、宮田、加藤、河合「図説日本の社会福祉」2004


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福祉社会デザイナー Ittan































大学で、障害児教育の科目や共生社会論を受け持っている自分としては、最近気になる話題がある。





「障害を特別扱いしないで。脳性マヒの息子を普通学級に通わせたい」両親の訴えが実現、介助看護師を小中学校に派遣成田市



という話題。



脳性マヒで体が不自由、会話も不自由という男子学生。その医療的ケアや食事介助に当たるため、巡回看護師を自治体が学校に派遣するとのこと。

この議論に入る前に、少し自分の経験も踏まえながら、「普通学校」と「障害児学校」の役割などについて考えてみたい。





私も脳性マヒという障害を有している。記事に書かれている男子学生と違うのは、歩くことは困難ながらも歩けるし、言語でのコミュニケーションには支障はない。であるが、就学前教育から高等学校での教育まで、普通教育と障害児教育、施設内教育を行き来していた。私が学生の頃は、まだ「特別支援教育」ではなく、「特殊教育」であった。



就学前教育(幼稚園・保育園に相当)は、多くを「特殊教育」で過ごした。小学校の2年までは、普通学校、小学校3年から5年までは、肢体不自由児施設暮らしながら、養護学校に通学。さらに、小6は普通学校という変遷をたどっている。中学以降は、普通学校と施設内教育を経験している。



私の親は、第一義的には、自らの意向を最大限尊重する姿勢を示している。なので、この変遷には8割くらい自分の意思であるということは表明しておきたい。そのうえで、就学前教育では、同級生はたった1人しかいなかった。しかし、その分いろいろ保育士さんに目をかけてもらった。親がそばにいない寂しさはあまり感じなかった。その後、一度普通学校にチャレンジしてみようとの親の意向に乗っかって、地域の学校に通うことになる。



当時は、私のようなやや中途半端な障害の重さをもつ人間も、特殊学校で学ぶのが当然だという意向が教育委員会、学校側に根強かった。親としても、最初のスタートくらいは普通学校で、ついていけなくなったら、特殊学校に戻ればいいとの考えだったようだ。なので、親はかなり、環境整備に尽力したらしい。(学校側との調整、どんな配慮・介助が必要か・・・)そうした親の尽力で、普通学校に行けたのだが、結局挫折することになる。予想されたことだが、自己の障害受容という壁にぶつかることになる。クラスメイトの自己の障害への理解は足りないので(ある意味、当然)、幾多の発言に傷つき、まさに普通のクラスメイトとの違いに落胆することになったのだ。

1年の担任の先生はベテランの先生、2年は若かったが、いろんな試行錯誤をしながら、ちゃんと向き合ってくれる先生であった。しかし、3年の担任の先生と「衝突」することになる。あえて詳しい説明は省くが、教員自ら率先してクラスのムードを停滞させ、クラスの負のオーラが充満していた。そのオーラは、ちょっとしたきっかけで爆発し、今でいう学級崩壊に近い状態になっていった。



そういうこともあって、3年の2学期から肢体不自由児施設に戻り、特殊教育に戻ることになる。いろいろ悩むこともあったが2年半は非常にスムーズに過ごすことができた。しかし、特殊教育に対して、同級生自身やその親も含め、不安を持っていた。特殊教育における教科教育で、十分なのだろうかということだ。塾に行くことも、習い事に行くことも許されない環境下においては、同年齢の人たちとの学力格差が広がるのではないか、同級生の親にはそうした不安を共有していたという。同級生(後輩も)のみんなも、私も、いろいろやりたいことがある!!だから「普通学校(進学校)」に行こうぜ!!というのが、ひとつスローガンになっていた。

ただ、共同生活をしてきた仲間との別れは正直受け入れ難く、退所するかどうか非常に迷っていたのもまた事実だ。しばらくすれば、塾に行けるようになるのではとか、習い事もできるようになるのではないかとの根拠なき予想があった。転校を繰り返せば、また1から周囲とのネットワークを作らねばならない、そのエネルギー消費のしんどさから逃げたかったのだと思う。





中学時代は荒れに荒れていたので、割愛。私は、普通学校にしろ、特殊教育にしろ「教科教育」を強く欲していたことを思い出す。特殊教育の現場では、母数が少ない学級集団の中では、学習レベルを一番学習をこなすのに時間を要する人に合わせることになる。そして本来ならば、もっと知識を積みたいという人へのオプションは、極めて乏しい。少なくとも、私が所属していた特殊教育の現場では、大学進学と言うロールモデルは提示されていなかった。それが学生やその親の不安にもつながっていたのではないだろうか。





ただ、私の同級生の中で唯一高校まで残った友人がいるが、彼はその施設で12年過ごした人としては初めて、大学に進学し現在は教員をしている。





さて、本題に戻ろう。障害のある子どもの教育を語るときに必ず出てくるのは、「普通学校」か「特別支援教育」かというものだ。2000年代前半くらいまでは、発達障害という障害を有している人たちの存在はあまり注目されていなかった。多くは、普通学校に通っていた。一方で、身体障害の多く(比較的軽度な障害のある子どもも含むという意味)は、養護学校に行くべきだというのが、「常識」だった。そして、養護学校に行く=「療育」の対象ということであり、教科教育の充実などは、眼中に入ることは極めて少なかったといえる。



そういうある意味での「同調圧力」により、教科教育への渇望を抑え込まれた学生が少なからずいるのだ。逆に、発達障害の場合は、健常児や教員からの「同調圧力」に苦しむケースが多々ある。特別支援学校にしろ、普通学校にしろ、求められる役割は極めて過重になっている。そして、政策的理由などもあり、教育のコストの効率化、学力重視を名目にした教育方法そのもの効率化が図られている。特別支援教育もその一環で登場している。発達障害のある子どもを積極的に、特別支援教育の枠組みに入れ込み教育する。さらに地域利便性の名のもとに障害種別ごとの教育を放棄する、そうした形で「効率化」を進めているのだ。様々な外的要因もあり、学級集団においても、多様な学校への役割をこなすために、「同調圧力」と「効率化」が求められている。いわゆる習熟度別授業などもその線で捉える事が出来る気がしている。





しかし、本来の学校の役割は、教科学習の保障であろう。寺子屋や欧州の中世の宗教施設での教育などでは、まさに読み書きを中心に、教科教育の保障の場であった。しかし、今の学校では、様々な社会問題が学校に詰め込まれ、社会問題の縮図になる中で、教育現場は、翻弄され続けており、教科学習の充実という部分に力点を置けずにいるのが実態ではないか。いじめ・校内暴力、不登校といった集団からの逸脱行動に対しての「同調圧力」が学級内でも高まることにつながる。そうすれば、発達障害や知的障害を有する子ども、中・軽度の身体障害を有する子どもにはうまく立ち回ることができない。結果として集団からはじき出されることになり、学習意欲の減退につながる。





その様々な同調圧力から脱出する方法ないのだろうか。一番大きな問題は「学級制度」の存在そのものだ。いわゆる協調性を身につける場は実は学校(教育)に求める必要はそもそもあるのだろうか。私は、学校と言う「社会」で「社会生活力」を身につけさせることは、本来目的ではないだろうと考えている。学校や学級でなくても別の枠組みで身に着けさせた方がよいのではないだろうか。それが無理なら、学校以外できちんと児童期に教科学習ができる場を充実させるべきではないだろうか。

そうすれば、同調圧力は緩和され、発達障害や知的障害、身体障害を有する人たちの知的好奇心を満たすことができるようになるだろう。そうすれば、より社会参画のチャンスが広がることになり、社会全体にとってもポジティブな影響が出ると思うのだが。





次回は、普通学校と特別支援教育かの対立的論争に対して考えてみたい。





(相変わらずまとまってないので、後日加筆訂正する予定。)





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福祉社会デザイナー Ittan








































広島の秋葉市長が4期目の出馬を取りやめる判断をした。その判断について動画サイトに投稿した。朝日新聞と


毎日新聞は、秋葉市長の姿勢を痛烈に批判してる。私は、今回の新聞の社説は、単なる自己保身にしか聞こえ


なかった。ネットメディアが拡大してきており、情報発信源も多様化する中で、新聞の存在感は低下しつつある。


そうした中で、「ネットを活用しない人」もいるのだから、記者会見せよという主張は、一見すると正論に聞こえる。


しかし、ネットメディアでは基本的に、思いのすべてをネットに乗せることができる。編集はされないかわりに、ち


ょっとした表情・しぐさなども映し出す。文字には起こしづらいニュアンス・雰囲気も伝え、その人の発信したい思


いの深さが伝えられる。文字では、字数制限などもある中で、編集者(新聞)が必要ない部分はカットされる。編


集者にとって、必要ない部分が、当事者にとっては重要だったりする。最近では、編集者にとって必要な部分が


読者にとっては必要ない部分だったりしている現状がある。


読者との意識のかい離が、新聞メディアに対してあるいはテレビメディアに対して強烈な批判となって、巷で吹き


荒れている。そうした批判に耳をふさぎ、目をふさぎ、心を閉ざすようでは、大手メディアはその存在意義を失うだ


ろう。今回の秋葉市長の退任記者会見拒否は、メディアの姿勢を問うている。にもかかわらず、記者会見しない


から批判するという短絡的、メディア至上主義的な主張は、やはり誠実さを欠いている。



もう1つ、記者クラブ制度はもう廃止すべきだ。記者クラブが情報を独占する仕組みであり、メディアの既得権益


になっている。記者クラブ制度があるからこそ、権力をチェックする機関でありながら、権力に過度に依存すると


いうことになっている。記者会見はフルオープン化し、多様なメディアで権力をチェックする、こうした形でないと、


良質な成熟した社会を構築することは難しくなっているのではないだろうか。



メディアの調査報道の能力低下も言われて久しい中で、単なる批判ではなく、社会とメディアとの関係、メディア


の役割について顧みることがメディアに求められている。


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福祉社会デザイナー Ittan

タイガーマスク運動が共感を生んでいる。全都道府県にタイガーマスクが来たらしい。この運動やその周


辺領域されている「新しい公共」についての議論も実は沸騰しているようだ。


私は、全国児童養護施設協議会が出している「児童養護施設へのご厚意にかかわるお礼とお願い」に


は、何か違うという想いを持っている。猛烈に嫌悪感すら感じている。


全国児童養護施設協議会は1950年に設立された団体だ。全国都道府県及び指定都市のの社会福祉


協議会から推薦された、施設の代表者や学識経験者から構成されている。



疑問に思う点をいくつか、あげてみたい。


1つ、なぜ、寄付先をを赤い羽根共同募金会に限定したのだろうか、という点。ここ10年、児童養護と


NPOの結びつきが強まっている。寄付方法も多チャンネル化している。「LIVING IN PEACE」ではユニー


クな寄付プログラムを行っている。都道府県の窓口に、直接持ってくなんて方法もある。一番ニュートラ


ルな方法を書いたつもりなのだろうが、「それしか方法がない」というわけではない。



もう1つ、なぜこの協議会がこのリリースを出したのか、ということ


※ 正直、この点は話題からそれるので、別エントリーにします・・・。



今回のモノを寄贈するという行為、匿名の行為について、様々な意見がある。


「モノを寄贈するのはよくない!!」という意見がある。施設側の事情も考慮してほしいというのが根っこ


にあるらしい。1年生がいないけど、ランドセルが送られてきたら困るという声もあった(実際、断ったらし


い。=産経新聞=)。でも、モノの活用方法はいろいろあるわけで、それを入所している子どもたちが主


体的に考えるのが、いいんじゃないかなと思う。大人だけの判断で、断ることは絶対に避けるべきだ。


モノを送るには、必要数、タイミングが重要だ。タイミングを間違えば、せっかくの善意が生かされないと


いうことになる。必要数も、本当にそれは使ってもらえるのかということ含め、事前に確認するとベター、


と思う。


災害救援に携わるNGOの関係の方からは、怒られるかもしれないが、現金じゃなきゃダメ!!という主


張には懐疑的になる。ひとりひとり能力をいかした支援、サポートという形での寄付・寄贈・支援もある。


そうした支援も災害救援・児童養護のみならず、いろんな分野で役に立つ。モノの支援も必要なときだっ


てある。



「匿名の寄付行為は教育上よくないから名乗り出てほしい!!」という意見もある。神奈川新聞の記事


12日付の記事では、児童養護施設の職員さんが、「伊達直人ではお礼のしようがないので、名乗り出


てほしい」と主張している。本当に名乗り出ることだけが、顔の見える関係で教育指導上よいことにつな


がるのか・・・。騒いでほしくない、たいしたこともしていないから・・・、そんな「日本人らしい控え目な恩


返し」なのだと思う。ホームページや広報誌で、ありがとう、元気にそして、大切に使ってます!!ってこ


とを伝えるという方法もあると思うのだが。


この種の話のときに、職員や施設長が前面に出すぎじゃないのかと思う。子どもたちにあてた寄付・寄


贈なのに、大人が出てくる。子どもたちがこの匿名の寄付をどう思うのか、ということを踏まえて、子ども


たちの想いを施設職員は代弁すべきだと強く感じる。



今回もあんまりまとまりはないけれども、想いをすんなり受け止めたい、そんな想いで私はいる。



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福祉社会デザイナー ittan