日本Sウェルター級、新井恵一(高崎)が2009.10.26、現役引退を公表した。
私の携帯の着信履歴を見ると、10.6、『新井恵一』とある。
忘れもしない。武士道ボクシングの写真をPCで編集していた時だった。
開口一番「引退します!」
元気な声だった。
「もうボクシングはやりつくしました。
もう二度とやりたくないってくらいやりつくしました!!!」
その数週間前、新井恵一より着信があった。
「TRADさんは引退するときって、どんな感じだったんですか?」
タイトルマッチを二度も経験したトップボクサーに、私のような四流、五流ボクサーの体験が
役に立つものかと思いながらも、自分自身の引退決意のエピソードを真摯に話した。
32歳、頭で描いたイメージと実際に身体が動くイメージのギャップ。
20代のころには毎日あった、練習した後に感じる、何かしら成長した!と思える感覚が
30代になってその割合が少しずつ少なくなり、
32歳はそれを否定しながら、必死に走って走って、追い縋るようにボクシングにしがみつき
33歳になって、どんなに練習しても
いや、練習すればするほど成長のスピードより衰えるスピードが急激に増したように感じられ
それでもその現実を否定し、必死にしがみついたものの年下のホープに完膚なきまで
(無傷なところがないまで徹底的に)スパーで打ちのめされ、私はプロボクサー人生に見切りをつけた。
34歳の誕生日だった。
引退を決めた翌日、いつもの調子で朝の5時に目が覚めて、サウナスーツに着替えて玄関まで行ったが
靴を履くときに、「あ、もう走る必要ないんだ!」と苦笑い。
今日からもう縛られるものは何もないんだー!!楽だー!!!という喜びと
ああ、もう俺はプロボクサーじゃないんだ。もう二度と後楽園のリングには立てないんだ・・・という切なさ。
そんな相反する思いの苦笑いだったように思う。
そんなとりとめのない低レベルな話をトップボクサーの新井恵一はしっかりと聞いてくれた。
新井恵一との出会いは私からの熱烈なラブコールだった。
あなたが一番好きなボクサーは誰ですか?という問いに対して私は間違いなくこう答える。
「新井恵一!」と。
そりゃあ、私がボクシング始めるきっかけとなったセレス小林さんや
理想形であったリカルド・ロペス選手もいるが
そういった次元とは別の次元で私は
新井恵一という人間が
新井恵一というボクサーに心を奪われてしまったのだ。
引退を決め、もうボクシングとかかわることはないだろうなあと思いながらも
昔所属していたジムの後輩である音田隆夫(真闘→一力)の試合を応援にいった際、
対戦相手である新井恵一のファイトに、
自分が置き忘れて行ったボクシングへの思いを
再びドン!!と突き返してくれたような気がしたのだ。
そして私も兼ねてから親交のあった川崎タツキさんとの一戦。
タツキさんを引退に導いたのは新井恵一である。
タツキさんは新井恵一との一戦があったからこそ引退を決意できたという。
タツキさんと新井恵一との試合。私は涙でリングがずっとうるんでいたことを思い出す。
新井恵一の試合は、私の心に何かを訴えかける。
ボクシングから離れよう、逃げようとしていた私の心を
何度となく呼び戻す。
正直、後楽園に行くのも
ボクシング観戦するのも
写真を撮るのも、
そこにあきらめ切れない私の未練が
今でもシャッターに宿る。
それでも今、私がこうやってボクシングの写真を撮ったり、後楽園に通う毎日があるのも
新井恵一との出会いがあったからだと思っている。
日本Sウェルター級タイトルマッチ、大曲戦。
新井恵一は完全に日本タイトル、あのライオンのベルトに指をかけていた。
しかしその刹那、マットに散った。
そして野中戦。
またしても・・・・・・。
ついにチャンピオンベルトという称号を腰に巻くことは叶わなかった新井恵一。
現役生活、お疲れ様・・・・・とはまだ言えない。
言えるのは
「ありがとう」
その一言だけである。
戦績:22戦14勝(4KO)7敗(4KO)1分
2009.10.26 引退