戦績:32戦24勝(14KO)5敗3分
(セレス こばやし、男性、1973年 2月27日 - )は、日本 のプロボクサー 。本名は小林 昭司(こばやし しょうじ)。茨城県 岩井市 出身。茨城県立岩井西高等学校 卒。元WBA 世界スーパーフライ級 王者。左ボクサーファイター。
ポルトガル語 で「青空」を意味するリングネーム の「セレス」は、本人が現役時代に勤務していた冠婚葬祭会社「千代田セレモニー」から取った。主な入場テーマはSTRATOVARIUS の「ANTHEM OF THE WORLD」。
- 幼少時から合気道 を始める。岩井西高校 3年時に国際ボクシングスポーツジム でボクシング を始める。
- 1992年 4月17日 にバンタム級 でプロデビューするも、4R判定負け。
- 1994年 12月17日 、全日本新人王決定戦 へのスーパーフライ級 東軍代表決定戦で佐藤晃 (協栄ジム )に判定負け。
- B級ボクサー賞金トーナメントでスーパーフライ級優勝(同バンタム級優勝者は大和心 )
- A級ボクサー賞金トーナメント 決勝で柳光和博 に判定で敗れフライ級準優勝(同バンタム級優勝者も大和)
- 1997年 9月13日 、日本王座 初挑戦も、同フライ級 王者スズキ・カバト に3R負傷引き分けで、王座獲得ならず。
- 1998年 4月4日 、カバトに再挑戦するも、10R判定負けで王座獲得ならず。
- 1998年9月30日 、カバトに3度目の挑戦。10R判定勝ちを収め、日本フライ級王座獲得。
- 1999年 3月6日 、駒大出身で1995年全日本アマチュアボクシング選手権大会 フライ級準優勝しプロ3戦目で日本タイトル挑戦となる石原英康 に7RKO勝ちし初防衛に成功。
- 1999年7月3日 、寺尾新 に9RTKO勝ちで2度目の防衛に成功。
- 1999年11月7日 、秋田勝弘に3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功。
- 2000年 4月2日 、世界ランカーの浅井勇登 に7RKO勝ちで4度目の防衛に成功。
- 2000年8月20日 、日本王座在位のまま両国国技館 にて世界初挑戦。WBC 世界フライ級王者マルコム・ツニャカオ (フィリピン )に挑むが、引き分けで王座奪取ならず。この一戦は採点ミスがあったため本来は小林が勝利していたとされる(日本フライ級王座保持したまま世界初挑戦→ツニャカオ戦後に一時的に八尋史朗 との5度目の防衛戦が内定→1階級上げての世界再挑戦が決定し王座返上=八尋戦はお蔵入り)。
- 2001年 3月11日 、横浜アリーナ にて2度目の、そして事実上最後の世界挑戦。WBA 世界スーパーフライ級王者レオ・ガメス (ベネズエラ )を左フックで10RTKO勝ちに降し、世界王座獲得。
世界のベルトを腰に巻き、インタビューでは「俺が本当に世界チャンピオン?」と愛嬌たっぷりに言ってみせた謙虚な王者。
リングを降りる際、ベルトを落としてしまうハプニングもあったが、頭をかき、舌をだして観客を大いに盛り上げた。
- 2002年 3月9日 、日本武道館 で行われた2度目の防衛戦で21戦全KO勝ちのアレクサンデル・ムニョス (ベネズエラ)に8RTKO負けを喫し、王座陥落。この試合を最後に引退(徳山昌守 の5度目の防衛戦の相手として名前が浮上していたが、本人が固辞)。
引退後
レパード玉熊 同様に古巣・国際ジムでのトレーナー生活を経て、千葉県 柏市 に「セレス小林ボクシングジム」を2003年 11月に開設。その一方で、日本テレビ のボクシング解説も務める。また、太田プロダクション とも契約を結んでおり、芸能界 でのタレント 活動にも参加。