第41代OPBF 東洋太平洋ライト級王座(防衛0)
戦績:25戦21勝(16KO)3敗1分
1982年 6月14日 - )は、日本 の元プロボクサー 。東京都 港区 出身。前OPBF 東洋太平洋ライト級 王者、前日本 同級王者。横浜光ボクシングジム 所属。明治大学付属明治中学校・高等学校 、明治大学 卒業。
2001年 9月29日 、プロデビュー戦をスーパーフェザー級 で行い1RKO勝利を収める。
2002年 11月9日 、5勝1引分の成績で東日本フェザー級新人王 決定戦を熊野和義と行うも、6R判定で敗れ初の黒星を喫す。この試合後ライト級 に階級を上げる。
2007年 4月21日 、その後12連勝(8KO・2TKO)で日本ライト級1位にランクされ、王者長嶋建吾 に挑戦するが、10R判定で敗れ戴冠ならず。
2008年 3月15日 、1戦1勝の後長嶋が世界挑戦のため返上し空位の日本 ライト級王座決定戦を中森宏 と行い、2RKO勝ちを収め戴冠。2006年11月のタイ修業で石井を指導したウィラポン・ナコンルアンプロモーション も試合終了とともにリングインし、祝福した[1] 。
2008年7月6日 、初防衛戦を川瀬昭二と行い、3Rには川瀬、4Rには石井が流血する激しい試合となったが3-0の判定で防衛に成功。
2008年12月20日 、OPBF 東洋太平洋ライト級王者ランディ・スイコに挑戦。6Rには鼻から大量に出血するなどの苦しい展開となったが、10R2-1の判定勝ちで王座を獲得した。
2009年 1月16日 、OPBF東洋太平洋王座を防衛することなく返上。
2009年4月4日 、チャンピオンカーニバル で日本ライト級王座の2度目の防衛戦を三垣龍次 と行い、タオル 投入による9RTKOで王座を失った。5月26日、自身のブログで現役引退を表明。その後、横浜光ジムでトレーナー を務めている。7月4日 、後楽園ホール で引退式が行われた。
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