<創世記49:22>

ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。

 

<エゼキエル 37:15〜28>

<ヨハネ福音書 16:25〜33>

 

 

今回は「ヨセフに与えられた祝福」について。

 

 

さて、創世記49:22〜26の内容は、ヨセフのための父ヤコブの祝福の言葉です。

 

 

<創世記49:22〜26>

22 ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。

23 弓を射る者は彼を激しく攻め、彼を射て、悩ました。

24 しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルのなる牧者による。

25 あなたを助けようとされるあなたの父の神により、また、あなたを祝福しようとされる全能者によって。その祝福は上よりの天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福。

26 あなたの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘のきわみにまで及ぶ。これらがヨセフのかしらの上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭上にあるように。

 

 

一見、この内容もメシアニック預言のように伺えます。

 

特に24節の「しかし、彼の 弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による」というのは、私たちを混乱させる内容です。

 

 

ここで「牧者」と訳された「רׂעֶהr(ロエー)」は、名詞ではなく、「(家畜を)飼う」という意味の過去形の動詞です。

 

ところでラビたちは、「岩」と訳された「אֶבֶן(エベン)」は、父を意味する「אב(アブ)」と息子を意味する「בן(ベン)」が一つになった言葉を意味すると言います。すなわち、イスラエルの家族を意味するということです。

 

したがってヘブル的思考から考えると、この部分を

 

「ヤコブの全能者によって、イスラエルの家族 (岩)を世話した」

 

と訳せるわけです。

 

すなわち、ヤコブはヨセフが全能なる神の御助けによって、エジプトで自分の父と兄弟たちを扶養したという意味です。

 

 

ところで、 本文の内容を古代賢人たちは、どのように理解していたのでしょうか?

LXXの翻訳は明確です。

 

 

<創世記49:24>

七十人訳聖書(LXX)訳

But their bow and arrows were mightily consumed, and the sinews of their arms were slackened by the hand of the mighty one of Jacob; thence is he that strengthened Israel from the God of thy father;

 

(しかし、彼らの弓と矢は力強く消費され、彼らの腕の筋はヤコブの力ある者の手によって緩んだ。それゆえ、イスラエルを強くする者はあなたの父の神からである。)

 

 

さらに、注目したいのは、1歴代5:1に

 

 

<1歴代誌5:1>

(新開訳)

「その長子の権利はイスラエルの子ヨセフの子に与えられた」

 

<1歴代誌5:1>

NASB訳

「his birthright was given to the sons of Joseph the son of Israel」

(その生得権は、イスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。)

 

 

と、マソラーにしたがって訳されているが、興味ふかいことに、ギリシャ語聖書のLXX(七十人訳聖書)は

 

 <1歴代誌5:1>

αὐτοῦ ἔδωκε τὴν εὐλογίαν αὐτοῦ τῷ υἱῷ αὐτοῦ ᾿Ιωσὴφ υἱῷ ᾿Ισραήλ,

 

と訳しています。

 

つまり、LXXを訳した70人の賢人たちは、「長子の権利」を「祝福」と訳したわけです。そのわけとは、ヨセフの子孫に長子に与えられるような多くの嗣業が与えられたと理解したからです。

 

 

 

最後に--------。

 

私たちがトーラーの学びをしている中で、最も大事であると考えているところ は、メシアに関わる学びです。それは、創世記3:15から始まったメシアによる回復です。

 

 

<創世記3:15>

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

 

 

ところで、今でも多くのキリスト教の神学者らは、創世記3:15のメシアニック預言を、イェシュアの初臨だけに極限してしまう傾向があります。しかし、このメシアニック預言は聖書全体を貫きながら、メシアの初臨と再臨を預言しています。このような神の預 言と御教えにもっと霊の目を開き、イェシュアの再臨を迎える準備をしたいですね。

 

伝統的にイスラエルでは、エルルの月のはじめから心から悔い改めて、神に近付くように角笛を吹き鳴らします。これはメシアを迎える意味を持っているのです。もちろ ん、ユダヤ人はメシアの再臨ではなく、メシアの初臨を迎えると思っているかもしれません。でも、伝統的、聖書的解釈として、メシアを迎えるということには、異議がありません。 彼らがメシアによって悔い改めるとき、すなわちメシアである主イエスを真のメシアとして、またイスラエルの王として受け入れるときこそ、メシアの再臨に繋がるのでしょう。

 

そして、メシアであるイェシュア、主イエスがイスラエルの王として、宇宙の王と して勝利の中ですべてを回復し、平和の中で治めてくださるのでしょう。

 

 

 

主イエスキリストの御名があがめられますように。

主イエスを信じる兄弟姉妹に平安とがありますように。

トーラーの大切さに気がつく人たちが多く出ますように。

イスラエルが救われますように。

主イエスキリストの御名で祈ります。

 

Amen✨

 

 

©Shalom Messianic Ekklesia

by Yehoshua Jo