<創世記41:14>
そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。
<イザヤ 29:1〜16>
<黙示録 7:1〜17>
今回は「パロの夢」について。
ここでパロの夢を解き明かすために、パロの前に立たされたヨセフのことを詳しく見たいろ思います。
とりあえず、給仕役の長の説明は省略して、創世記41:14から調べていきます。
14節で「ひげをそり」と訳されているところを現代的に考えると、トーラーの理解とは距離があります。旧約聖書の中で「(ひげ、髪)をそる(גָּלַח/ガラー)」と記されているところは、
・創世記41:14、
・民数記6:9、
・申命記21:12、
・士師記16:17,22、
・レビ記13:33、14:8、
・IIサムエル 10:4(I歴代19:4)、14:26、
・エゼキエル44:20
などです。
IIサムエル10:4では、
「そこでハヌンはダビデの家来たちを捕え、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあた りまでにし、彼らを送り返した。(新改訳)、(I歴代19:4)」
と記されているように、アモン人がダビデの使者を辱めた出来事を描いています。また、レビ記14:8では、
「きよめられる者は、自 分の衣服を洗い、その毛をみなそり落とし、水を浴びる。その者はきよい。そうして後、彼は宿営にはいることができる。しかし七日間は、自分の天幕の外にとどまる。(新改訳)」
と記されているように、きよめをあらわす意味として使われています(レビ13:33、民数記6:9、19、申命記21:12)。
士師記のサムソンの場合は、「髪の毛をそる」ということは、神の臨在がない意 味として使われています(約束を守らなかったから)。しかし、ここでは、衛生的意味とし て使われたとラビたちは説明しています。
実際、古代エジプトの壁画などに描かれているのを参考にすると、エジプト人はほとんど髪の毛を剃っています。さらに、彼らは眉毛も剃って化粧をしていました。古代文献によると、古代エジプトの男女は、髪の毛を剃り、かつらを被っていたと伝えています。
ここで、考えられることは、ヨセフの髭を剃ったことは、衛生 的なことと共に囚人の身分からの回復を意味すると推測できます。もちろん、まだ夢を解き明かし、完全に身分が変わったわけではありませんが、これから地下牢とは関わりがないことを示すように考えられると思います。
<創世記41:16>
(新共同訳)
ヨセフはファラオに答えた。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」
(新改訳)
ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」
(口語訳)
ヨセフはパロに答えて言った、「いいえ、わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう」。
ここで注目したいところは、それぞれの訳でのヨセフの答えです。
先ほども言及したように、この箇所はヨセフの信仰の成熟をあらわすところです。ここで説明したいことは、ヨセフの信仰の話より、言葉の使い方に ついて考えたい。「神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。(新改訳)」ということは、どういう意味なのか、神と契約の当事者でもないパロを祝福されるということなのでしょうか?まず、それぞれの訳を比べてみようと思います。
<創世記41:16>
אֱלֹהִ֕ים יַעֲנֶ֖ה אֶת־שְׁל֥וֹם פַּרְעֹֽה
(エロヒーム ヤアネー エット シャローム ファラオー)
創世記41:16のヘブライ語はこのように記されていますが、英訳は下記のようになっています。
<KJV>
God shall give Pharaoh an answer of peace.
(神はパロに平和の答を与える。)
<NIV>
but God will give Pharaoh the answer he desires.
(しかし、神は ファラオが望む答えを与えてくださる。)
<CJB>
God will give Pharaoh an answer that set his mind at peace.
(神はファラオに、彼の心を平安にするような答えを与えられます。)
<YLT>
Without me -- God doth answer Pharaoh with peace.
(私がいなければ、神はファラオに平安をもって答えられる。)
そしてタルグームの英訳では、
<Targum PJ>
but from before the Lord shall be an answer of peace unto Pharoh.
(しかし、主の前からは、ファロに平和の答えが返ってくる。)
と訳しています。
またギリシャ語聖書のLXXは
「τοῦ Θεοῦ οὐκ ἀποκριθήσεται τὸ σωτήριον Φαραώ.
(Without God an answer of safety shall not be given to Pharao.)
(神なくば、ファラオに安全の答は与えられない。)」
と訳しています。
すなわち、日本語で訳された「繁栄」という言葉は、ヘブル語で「shalom(シャローム)」という言葉です。
興味深いことは、ギリシャ語聖書のLXXで使われている「σωτήριον(ソテリオン)」は、「安全、健康、救い」などの意味です。この言葉は「和解のささげもの」と訳するときにも使われます。 また、詩篇14:7には、「イスラエルの救い」と訳するときにも使われています。
ギリシャ語聖書のLXXのイザヤ26:1は、「救い」という意味であるヘブライ語「יְשׁוּעָה(イェシュア)」の代わりに「σωτήριον(ソテリオン)」 が使われているのは、興味深いことです。
ということは、「יְשׁוּעָה(イェシュア)」という言葉は、主イエスのヘブライ語の名前であるからです。この箇所の英語の訳は、LXXの「安全」 という意味を参考にしたような感じがします。もちろん、ヘブル語の「shalom(シャローム)」には、「平和、安全、救い、完璧」という意味があります。しかし、全体の文脈から考えると「完全(perfect)」という意味で訳す方が、ふさわしいのではないかと思われます。その理由と して、まず、捧げ物に「shalom」が使われる場合、これは完全なものを意味するからです。
また、救いというのは、神との完全な和解を通して、完全な平和を意味します。そのような意味とともに、創世記41:25でヨセフは「神がなさろうとすることをパロに示さ れたのです」と話しているように、パロが見た夢は神から与えられた夢であるように、 その解き明かしも神から与えられると言うことは、「完全、完璧」な解き明かしになります。
ということで、「神がパロに完璧(完全)な答えを知らせてくださる(完璧な解き明か し)。God shall give Pharaoh an answer perfectly (completely)」と訳すことも、提案したいと思います。
もし、完璧な解き明かしがなかったら、どのようなことが起こるのか予想が出来 ¥ずに、厳しい飢饉を迎えることとなったはずです。
ということで、パロに与えられた夢は、エジプトに繁栄を与える目的であるし、それが将来イスラエルの救いに繋がるこ とであるのは間違いないことです。夢の解き明かしについては、前回の記事の中で説明されているので、夢が与える意味を十分理解できると思います。しかし、ラビたちと神学者たち の注解を加えて、少し理解を掘り下げてみたいと思います。
パロが、ナイル川のほとりに立っていたというところに注目してみます。
ナイル川というのは、エジプトの生命線であるので、エジプトの生死に関わることを意味すると考えられます。また、歴史的にナイル川の氾濫はエジプトに豊凶をもたら せました。このような背景を示すのは、
<創世記41:2>
「ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、」
と記されているところの中で、「ナイルから」がそれを意味すると、トーラーの解説者であるChayyim Ibnは説明しています。
後に豊作になることは、ナイル川から与えられる水の供給です。また、凶作の場合は、ナイル川の氾濫、もしくはナイル川の干ばつがあった場合とも考えられるのです。
ここでメシアニック ジューの聖書学者であるAlfred Edersheim氏の著書「Bible History」にある注解を借りることにします。彼によると「葦」というものは、古代エジプトで崇拝された、アイシスという地の女神の象徴であったと言います。
また、象形文字で牛というのは、地、農業、栄養を 意味すると説明しています。
さらに、葦はナイル川ほとりで育てられたが、これの育ち方によって、その年のナイル川の氾濫によって豊作になるのか、凶作になるのかを予測したと言います。しかしながら、パロが「エジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄 せられても」、誰一人も口を開くことが出来なかったことは、神がヨセフをパロの前に 立たせる計画があったからであると説明しています。
このような解釈は、何を意味するのでしょうか。 それはパロの夢の中で神が働いていらっしゃることを教えることでしょう。つまり、この世のすべてのことは、神の摂理の中で行われることなのです。
最後に-----。
今回の使徒聖書(新約聖書)として黙示録7章が取り上げられています。これは、将来イスラエルの完全な回復を描いていると考えられます。
この黙示録7:14に、
「彼らは、 大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです」
と記されています。これは、最後までメシアであるイェシュアにあって、信仰を守りつつ、霊的戦いをした者を言及しているのでしょう。主の再臨は、産みの苦しみを耐えなければならないものです。
主イエスは、このように言われました。
<マタイの福音書24:8>
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。(新改訳)
<マルコの福音書13:8>
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからで す。これらのことは、産みの苦しみの初めです。(新改訳)
パウロは、
<ローマ8:22>
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしてい ることを知っています。
<1テサロニケ5:3>
「人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それ をのがれることは決してできません。
とパウロは話しています。
まさに、主イエスの再臨が近付いているこの時代にふさわしい御言葉ではないかと思います。
今日、私たちは産みの苦しみのように、政治的、経済的、また、色々なかたちで苦しみを受けています。それは、以前には聞いたこともない、テロ、拉致、処刑、 などの想像も付かない事柄が起こっています。
特に、イスラエルを中心とする中近東の 中で起こっています。このようなときこそ、真の信仰、神の約束を信じつつ歩む信仰の戦いが求められるのです。
いつか、必ず、主イエスの再臨とともに、四方からイスラエルを呼び集め、彼らが心から神を拝むようにしてくださること、また、全世界が神を拝むようになること、これが創世記3:15の成就ではないかと思います。
<創世記3:15>
わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
次回は【創世記 41:38〜42:17】を記していこうと思います。
主イエスキリストの御名があがめられますように。
主イエスを信じる兄弟姉妹に平安とがありますように。
トーラーの大切さに気がつく人たちが多く出ますように。
イスラエルが救われますように。
主イエスキリストの御名で祈ります。
Amen✨
©Shalom Messianic Ekklesia
by Yehoshua Jo