<出エジプト記12:21>

そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。

 

<出エジプト記12:21〜51>

<ヨシュア記5:2〜6:1>

<マタイの福音書28:1〜2>

 

 

はじめに、

この学びをはじめる前に、先に理解して頂きたいことは、現在イースターを日曜日中心に祝っていることは「イェシュアが金曜日に十字架につけられ、日曜日に蘇られた」と言う初期カトリック教会の教理に基づいていることです。

 

このような教理は日曜日を「主の日」として受け入れ、今日まで教会のなかに定着し ています。

 

しかし「主の日」という用語はタナク(旧約聖書)のなかで「メシアによる回復のとき」を示しているし、また使徒の聖書(新約聖書)にはイェシュアの再臨を示しています。聖書全体どこにも、日曜日を指しているとは記されていないのです。

 

 

なぜ教会の中でこのように「日曜日が主の日」として定着されているのでしょうか?

 

 

その答えを探ることはなかなか簡単ではないと思いますが、いくつの理由を挙げることが出来きます。

 

 

まず、歴史的背景を挙げることが出来ます。

それは、1世紀と2世紀に起こったローマに対抗するユダヤ人の戦いが失敗し、CE70年神殿が破壊され、CE135年バール・コールバ反乱が失敗された以降、ユダヤ人はエルサレムから完全に追い出されました。その後、ユダヤ人共同体はラビ中心のユダヤ教に発展していくこととなりますが、ユダヤ人共同体のなかでイェシュア(イエスキリスト)をメシアとして信じる初期のメシアニック・ジューとの間に亀裂が生じました。それ以降、初期メシアニック・ ジューの存在は歴史のなかで消えてしまうのです。

 

 

このような歴史の流れの中で、異邦人世界に伝えられたイェシュアの福音は、ローマを中心に広がっていくことになりました。

 

異邦人中心の信仰の共同体は、初期の使徒たちの時代以降、彼らは徐々にユダヤ的伝統から離れていくようになり、また同時にギリシア文化の影響を受けるようになっていくのでした。そして、4世紀のローマのコンスタンティン皇帝によって、キリスト教が国教として受け入れるようになった以降は、彼らの文化の中で聖書の解釈が議論されることになり、本来のユダヤの伝統的解釈とは遠くなっていったのです。

 

 

つまり、トーラーの御教えを守ることにおいては、自分たちの文化のなかで解釈し、その真意を失ってしまうのです。

 

 

その代表的例として、安息日を中心とする主の例祭に関する理解が誤解され、日曜礼拝とイースター、クリスマスを祝うようになり、その歴史は今日まで続いています。

 

 

このような誤解のなかにおいて、イェシュアの「日曜日のよみがえり」に関する背景を調べることにしたいと思います。

 

 

日曜日に関する誤解を解くために、イェシュアの最後の過越際の背景を詳しく検証することと共に、その出来事の歴史的背景となる出エジプト記12章の内容と、また、レビ記23章に命じられている例祭に関する内容など、聖書全体を探りながら進めたいと思います。

 

確かに、出エジプト記12章の歴史的な出来事は、来るべきメシアの御業を預言的に教えています。また、レビ記23章の例祭も「メシアの御働き」と深く関わりがあるのです。

 

そのような観点から考えると、二千年前にイェシュアが迎えたぺサック(過越)は、すでに預言された旧約聖書の内容と一致すると考えられます。また、その日時が一致すると考えられるのです。

 

 

長くなりますので今日はここで終わります。

 

次回は「イエスキリストのエルサレム入城」という内容で記していこうと思います。

 

 

主イエスの恵みと平安がありますように。

主イエスキリストの御名で祈ります。

 

Amen✨

 

 

©Shalom Messianic Ekklesia

by Yehoshua Jo