<創世記1:6〜8>
神は仰せられた。
「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」
神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。
そのようになった。
神は大空を天と名づけられた。
夕があり、朝があった。 第二日。
<創世記1:1-2:3>
<イザヤ42:5-9>
<コロサイ1:1-23>
今回は創造の第二日に関してのテーマです。
第二日に関する内容からまず注目したいところは、
7節の「造り」はヘブライ語で「 עָשָׂה(アーサー)」といいます。
創世記1:1では、
「初めに、神は天地を創造された。」の「創造」は、
「בּ ָרא (バーラー)」という言葉が使われていますが、
これは創世記1:7の「造り」と訳された「 עָשָׂה(アーサー)」とは違い、
何か材料を持って造ることを意味しています。
「#1 天地創造の詳細」の記事で説明していますが、
創世記1:1の「בּ ָרא (バーラー)(創造)」の意味は、
創られた宇宙に神の計画を成し遂げる空間をご用意されることを意味しています。
さて、創世記1:6〜8の第二日には、水の中に大空があって、
水と水を分けて、それを天と呼ばれました。
「大空」と 訳された「רָקִיעַ(ラキア)」は、
一般的に地球を覆っている水であると解釈されます。
ところで、この水は大洪水の時に無くなったと言われますが、
聖書はそのような説は支持していません。
<詩篇148:4〜6>
主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。
主が命じて、彼らが造られた。
主は彼らを、世々限りなく立てられた。
主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
第二日には、水の中に大空があって、
水と水を分けて、それを天と呼ばれ、
それは一般的に地球を覆っている水でありますが、
しかしこの水は大洪水の時に無くなったと言われますが、
聖書はそのような説は支持していないのは何故か?
それは聖書で「רָקִיעַ(ラキア)」は「天(空)」を意味するからです。
<箴言8:28>
神が上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、
<詩篇147:8>
神は雲で天をおおい、地のために雨を備え、また、山々に草を生えさせ、
これは大洪水の際、創世記7:11に
「ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、
その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた」
と記されている内容と関わりがあります。
<第二列王記7:2>
しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。
「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。 」
そこで、彼は言った。
「確かに、あなた は自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。 」
「天の水門(創世記7:11)」、
または「天に窓(第二列王記7:2)」と訳されたヘブライ語は、
両方とも「אֲרֻבֹּת הַשָּׁמַיִם(アルボット ハッシャマイム)」といいます。
水と水を分けたところを「大空(שמים/シャマイム)」と呼んでいるのは、
とても興味深いことです。
もちろん、1節の天の「שמים(シャマイム)」とは同じものではなく、
宇宙的観点からの部分的な理解です。
ところで、聖書的に「שמים(シャマイム)」は、
神の御臨在を表すところであり、雲も神の御臨在を表しています。
<出エジプト13:21>
主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。
彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
このような神の御臨在を表す場所は、遠い宇宙にあるのではなく、
私たちが見ている天の空です。
まさに神の御臨在がいつも私たちの共におられることを示しているのです。
前回の創造の第1日に関する記事はこちら。
次回は創世の第3日について記していこうと思います。
多くの人々が天地を創造した主を知り、
イエスキリストを信じ救われますように。
主イエスキリストの御名で感謝して祈ります。
Amen✨
©Shalom Messianic Ekklesia
by Yehoshua Jo