会社の駐車場に停めてある車の中で、シートに背中を埋めた。

 

ヘッドレストに頭をもたげ、しばらくそうしていた。

ひとり。

 

たばこを吸って、一息つく。

 

目を閉じて、開け放した窓からの横切る風が暑さを涼しさに変えるころ、どこかで小さく蝉の声が聞こえた。

それが妙に、、、記憶の奥のほうへ刺さるのを感じた。

スマホの小さな文字が、あと少しはこうしていられることを告げている。

 

 

 

 

 

 

不思議だ。

やっぱり。

何かのつながりを感じてしまう。

彼女の伝える文字の中に、娘の名前を見つけたのだ。

 

そうして、忘れもしない彼女の娘たちは、ぼくの家族やぼくと、‛おなじように’つながっている。

 

それで。

蝉の声も、彼女の伝える文字も記憶も、すべてがつながっているように思える。

同じなのかもしれない―。

そう思える。

 

たかだか数十回近くの季節を繰り返しただけで、ひとは何度も同じような季節にめぐりあう。

懐かしいそれらは、間違いなく‛初めまして’のことたちではなく、いのちに刷り込まれた記憶たちなのだ。

 

 

今。

めぐりあうひとたちのほとんどと、きっと来世もめぐりあう。

その次も。

そのまた、次も。

そう思えば、物理的なつながりなど、たいした問題ではないことに気付く。

 

知っているのだ。

知っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

離れられるわけがない。

おかしくて、ひとり微笑ってしまう。

 

風の中に。

流れる雲の隙間に。

日差しのなかに。

蝉の声に。

人は、知っていることを、

知ってきたことを、

いのちが覚えてきたことを再確認するー。

 

そうして、安心する。

 

 

 

だから―。

手を伸ばせば。

いつもここにいる。

いつもそこにいる。

彼女にも聞こえるだろう。

蝉の声が。

 

届くだろう。

ぼくのこの、思いが。

 

(きっと、今。おなじ旋律があたまの中をはしっている。)