神戸の次の日。
クタクタの足を引きずるように、前を行くふたりの上司のすぐ後ろ、
ちょうど真ん中あたりを付いて歩く。
真後ろを歩くぼくのスペースを作ってくれているのだ。
そういう人たち。
お前も常務と同じ方向に帰るんだから、こういう機会も多いだろう。
たまには愚痴ってスッキリすりゃーいいのに。
と、右先を歩く上司が言う。
新人の頃から、一番目をかけてくれている先輩上司だ。
この人が、何の後ろ盾も無いぼくを、いっぱしのところまで引き上げてくれた。
三人揃って出張に行き、疲れも溜まりきって尚鞭打って、
昨日は羽田からの帰り道、当然飲んだ。
今日は都内の出先からの帰り道、また飲んだ。
サラリーマンって、そういう生き物。
ぼくは、苦し紛れに微笑むだけで言葉に詰まる。
それは、信条じゃないのだ―。
らしくない―。
とも、少し違うけど。
左先を歩く取締役が言う。
こいつは、いつも一切愚痴らないんだ。
だからきっと、そういうタイプの人間で、きっといろんなことを呑み込んで生きている。
でも、そうだから俺もあえて聞かないんだ。
世の中には、そういうタイプの奴もいる。
少し笑いながら左の上司は続ける。
だから、頼むから溜めたものをいっぺんに吐き出さないでくれよと、俺はいつもビクビクしながらこいつと飲んでいる。
恐縮した。
少なからず、取締役に気を遣わせていたことに。
へぇ、俺なんていつも尖って言いたいこと言ってっから、分からないなぁ。
と、右の上司。
それはそれ。
と、左の上司。
続いて歩くのは、面目ない苦笑だけだ。
きっと、運だろうと思う。
仕事のできる、できないではなく、身にふりかかる様々な選択の結果などは。
つまり、サラリーマンの出世する、しないなんてのは。
だから、どれだけ素晴らしい人たちに巡り会い、共有できて来たのか。
そこだ。
だから、愚痴なんてのは意味がない。
言ったって変わるわけでなし、
愚痴って出世するでなし、
問題が、解決するでなし。
つまり―、
あまり人に期待するでなし。
サラリーマンなんてのは、毎日のように裏切られる世界だ。
身に降りかかる問題の解決の糸口は、いつも自分自身の内にある。
見方を変えれば、世界は180度ひっくり返る。
問題は問題でなくなり、糸を手繰り寄せるのも手放すのも自分自身の選択だ。
間違えたら、糸がプツリと切れるだけ。
それで、職を失うでなし、
自分を失うでなし。
誰かに寄りかかって、体を預けることをしない。
ただ、立ち止まりはする。
消化が良い方とは思えないので、良く咀嚼することを心がけている。
そうすると、自然と無口になり、だからぼくはあまり口数も多くない。
黙っていることは、必ずしも良いことでは無い。
何を思い、何を伝えればよいのか、そしてそれをどのタイミングで言うのか。
言葉を選んで話してくれるのが良くわかるから、居心地が悪くない。
悪くないから連れまわす。
お前もそうだろうが―、と、左の上司が右を向いて言う。
だから評価に偏がないなんて事は言い切れない。
人って、そういうもんだろう?
だから悪いが裏切らないことは約束できるが、タイミングは推し量るしかないんだよ。
と、左の上司。
言葉尻に、なおも右と後ろに気を遣っていることが分かるので、この人はやっぱり取締役なのだと、ぼくはおもう。
どんなに尖った才があっても、バランス感覚が伴っていなければ上には立てない。
まぁ、そうですね。
と、右の上司。
今日の肴は右の上司が、この春上がるはずの場所へ上がらなかったことを、
ぼくが左の上司へ訴えたことに発した。
どうしてなんですか?
正しいことが正しいと評価されないことには、未来(さき)は無いのと同じじゃないですか。
と、酔いを武器に訴えた。
同時に、自分はここまでの人間だと自覚しているから言えたのだ。
この先は見えないし、たとえ見えなくてもいい。
身の丈ってやつをを、自分の限界を知っているので、だからこそやけくそにもなれる。
下っ端の勢いってのは、それでいい。
結局、おなじ人間のすること。
取締役も上司もぼくも、おなじ人間のすること。
だから、能力の差なんてたいした問題ではない。
走るのが速い子と、勉強の出来る子の能力など比べようがないのだから。
どこで、生きていくのか。
誰と、出会うのか。
生きる道は様々だ。
そして、選択も様々だ。
良く分かっている。
上がるはずだった場所へ上がらなかったことに、理由など探したってないのだ。
少なくとも、今回の件の答えはぼくの内にはないのだ。
あるとすれば、サラリーマンとしてのすべての理。
数字だ。
しかも、結果としての数字ではなく、タイミングという数字。
天文学的な。
推し量れない、割切れない数字。
つまり、運だ。
それでも左の上司は言った。
右の上司が席をはずした際に。
心配しなくても、時機は巡ってくる―。と。
そう言われても尚食ってかかったのは、ぼくの右の上司に対する想いだ。
一枚も二枚も上を行くひとへの、こどもじみた駄々だ。
それから他愛もない話をし。
言葉を選びながら。
それでもぼくは、まったくもってかなわないひとたちと出会い、生きていることを知っている。
ぼくをとりまくすべての人たちが、ぼくを形作り、縁取り、ぼくという人間を浮かび上がらせている。
それは、運だ。
出会っていなければ、まったく違う今がここにあった。
まったく違う人間が、ここに居た。
だから―。
酔いの口上とはいえ、一切の後悔などない。
良く咀嚼し、良く味わうことだ。
そこに、人生の楽しみは、ある。
すべてにおいて。
「段取り9割、対応1割。」
これが右の上司の口癖であり、信条だ。
覚えておきます。
と、言いながら、ぼくは胸の内でサイコロを振っている。
楽しまなくては。
愚痴を、愚痴ともさせてくれない人たちと歩きながら、
苦笑だけがトボトボと後に続く。
しかし―。
人に期待しないと言いながら、おおいに期待しているのだ。
そしてぼくは、明日に向かって賽を振る。
賽の目は、当然ながら読めない。
読めないからおもしろい。
だがしかし、そろそろ人のために賽を振らなくてはならない時は近い。
それは、覚えなくてはならない。
出したい時に、出したい目を出す力。
それは、実力。
運も呼び寄せる力。
努力。
いつからか。
仕事は自分のためではなく、お金のためだけでもなく、
続くひとのためとなっている。
自らが賽になっていることもある。
それでもなお、続けなくてはならない。
幾たびもそれを乗り越えてきた、目の前を歩く酔いどれふたりは、
それでいて、とてつもなく遠く、でかいひとたちのように思えた。
改札をくぐるとき。
「どうでもいいけど、おしっこしたい。」
と、左の上司が言う。
こどもか―。
と、ぼくはひとりごちながら、苦笑ではなく微笑った。
駅は、似たようなサラリーマンで溢れている。