いいなぁ
いいなぁ
あんなふうにできて
いいなぁ
わたしもそれ
してみたいなぁ
って感じて初めて
自分もそれを
やってみたかったんだ
っていうことに
気づいたりする
でもその
"モヤモヤざわざわ"を
感じたくなくて
せっかく感じた"いいなぁ"を
瞬時にかき消して
なかったことにしがちだ
ハッピーちゃんが
HTLのメンバーの
いろんな活動を
毎日ストーリーズにアップして
紹介してるんだけど
それを見て
ハッピーちゃんのアカウント
タグ付けするのいいなぁ
って思ってた
けっこう前から(笑)
でもその気持ちを
見て見ぬ振りしてたなぁ
その紹介されてる人たちって
ハッピーちゃんに
見つけてもらうのを
ただ待ってるだけじゃなくて
自分のしている活動を
ちゃんとハッピーちゃんの
目に届くように
自ら一歩
行動をしてるんだよね
だからこそ
ハッピーちゃんに
見つけてもらえるし
場合によっては
シェアされる
っていうことが起きる
わたしなんかが…
どうせやっても…
って指くわえて見てるだけじゃ
なーんにも起きない
"やりたい"
っていう気持ちにしたがって
自分のために
なにかにトライしてみる
っていうことよりも
うまくいかなかったときの
ダメージを考えて
最初からやらない
ってそんな損得の
"得"の方を選ぶってことは
子供のころから
すでにやってた
小学生のころ
鼓笛隊の指揮者を
選ぶ場面で
"わたしなんか"が
発動した
だれかが
「えりちゃんが背が高いし
いいと思う」
って言ってくれたのに
「いいよいいよ」
って心にもないことを
言ったことを
今でも覚えてる(笑)
ほんとは
やってみたかった
もっと他の人からも
声が上がったら
って期待してた←
でも
あこがれてた指揮者は結局
他の子に決まって
わたしはそれほど人気のない
中太鼓を自ら選んだ
それと同じような"遠慮"を
その後の人生でも
ちょくちょくしてきた
だれかを
イヤな気分にさせて
自分が悪く
思われるくらいなら
ほんとうに欲しいものは
手に入らなくてもいい
その思いは
やがてわたしの人生全体への
"あきらめ"に
なっていったように思う
シンデレラプロジェクトの
ダンスのメンバーとして
ハッピーちゃんから
メッセージをもらったとき
ストーリーズにアップした
ブログ記事に
いつもはしない
タグ付けをした
自分から一歩
動いてみた
「わたしなんかが…」
っていう遠慮をやめて
「そうしてみたい」
っていう自分の望みに
素直にしたがってみた
だから
現実もそれに応えるように
動いていったように思う
望ませてあげたんだよ
自分に
"ハッピーちゃんに
届いたらいいなぁ"
っていう望みを
ないことにしなかった
"望む"って
めっっっちゃパワフル
人生を動かす
力がある
反対に
"遠慮"はそのパワーを
奪うんだよね
遠慮すれば
波風立たないかもしれない
でもその代償に
意欲も失っていく
その先に待ってるのは
脅かされる人生
欲しいものに
「欲しい」って
手を伸ばさないと
力強さも意欲も
どんどん失うから
今度は
人から奪われていくような
気がしてくるんだよ
わたしはこの
"奪われる"っていう感覚が
ずっと消えなかった
でも
だれかがわたしのなにかを
奪おうとしてるんじゃなくて
"遠慮"することで
自ら自分のパワーを
奪ってたんだよね
わたしなんかが…
って思ってる人が
側から見ても力強さがないのは
こんな理由
本来
人はだれでも
自分の人生をパワフルに
創造していける
それには
自分に思う存分
望ませてあげること
"いいなぁ"
って感じることを
"でも"
"やっぱり"
"どうせ"で
止めないこと
強く生きよう
なんて思わなくていい
望むことを
止めなかったら
人は勝手に
パワフルになってくから
高橋えりこ
いつもありがとうございます♡
* LINEにいただくメッセージについて *
LINEにいただくメッセージは、
お送りいただいた時点でブログへの掲載を
ご承諾いただいいるものとみなしますので
その旨ご了承くださいませ。
読者登録してね