年末に生まれて初めて
宝くじを買ってみました
こんにちわ
心理カウンセラーのえりりんです
理由はね
賭け事にお金を使うことが
わたしのタブーだったから
タブーにしてることって
自分にとってなんの意味もなさないこと
それどころか
自分にとって「損」だと思っていることだったりする
ギャンブルなんてお金が減るだけ
減るだけで済めばいいけど
ハマってしまったら
人生がめちゃくちゃになってしまう
しかもそんななんの意味もない
ただお金が減るだけの
くだらないことにお金を使っているなんて
人に知られたら恥ずかしい・・・
わたしにとって賭け事は
そんなマイナスのイメージしかなく
もしかしたら当たるかもしれない
賭け事で勝ったらお金持ちになれるかも
なんていうプラスのイメージは
これっぽっちもなかったのです
心屋塾には神社のお賽銭箱に1万円を入れる
通称「神社ミッション」というものがあって
損しそうなことに先にお金を払って
お金への執着を手放してみる
というお金のミッションなのだけど
何回かミッションを実行して
1万円のお賽銭にあまり抵抗もなくなったから
自分にとってもっと意味のないこと
もっと損しそうなことにお金を使ってみようとふと思って
タブーだった宝くじを買ってみた
というわけです
いざ宝くじ売り場の列に並んでみると
ちょっとドキドキ
わたしこんなことにも
お金が使えるようになったんだー
といううれしさを感じて
宝くじの代金を現金で支払い
枚数を確認してバッグにしまうと
無駄遣いしてしまったという罪悪感が
ちょっと出てきた
お賽銭として払う1万円は
世のため人のためになると思えるのに
宝くじを買う1万円は
無駄遣い
お金を払う
という行為としては同じ
そこに意味付けして
勝手にいい悪いを決めているのは
ただの価値観なのにね
そして胸のあたりのザワザワが
さらに大きくなったのは
その朝もらった母からのお小遣いのことを
思い出してから
1年間よくがんばったね
という労いの気持ちのこもった母からの3千円
あろうことか無駄だと思っている
宝くじに消えちゃった!と思ったら
後悔の気持ちと申し訳なさで
ザワザワしっぱなし
ここでもまたわかった
自分のお金に関する価値観は
母からもらったお金はわたしのものになってからも
母のお金という意識があるということ
それから親の稼いだお金は
なぜか苦労して得たお金だということにしていて
大切に使わなければいけないと思っていること
ここまで見てきて明らかなのは
わたしのお金の価値基準は
まだまだ親基準だってこと
賭け事にお金を使ってはいけない
というのは親の価値観だし
わたしのお金であっても
どこか親が納得するようなこと
少なくとも悲しませないことに
使いたいと思っている
ほんとうの意味で
わたしの使いたいことに使ったことって
今までどれだけあったのだろう
だれかの基準でお金を使っているとき
それは自分の心からの喜びからは
離れてしまっているのかもしれない
だから
好きなことに使っているのに
使っても使っても満たされない
満たされないから満たされるまで
どんどん使ってしまう
好きなことに使うほどに
入ってもくるはずなのに
なぜかどんどんお金が消えていく
ということが起こるのかもしれない
自分が心から望むこと
喜ぶことに
お金を使っていきたいね
ところで
ザワザワの末に買った宝くじ
当選番号は発表されているけど
まだ当たってるかどうか確認してません
ここにきて
やっぱり当たってたらいいなぁという
執着が出てきたら
見られなくなってしまいました
お金の執着をなくすなら
宝くじよりもやっぱりお賽銭
ということも学んだミッションでした
【募集中】グループセッション on Skype
1/8(日)14:00〜 3名さま限定
えりりんのお悩み相談室
みなさんからのお悩みにブログ内でお答えします