その笑顔に、私は背中が凍りつくような感覚を覚えた
いつもの彼の笑顔なんだけど、
いつもの彼の笑顔じゃない
子供たちと遊んだり、投扇興をしたり、美味しいものの話をするときのような、屈託のない笑顔ではなくて
その笑顔の下に、私の知らない彼がいるような
そう、笑顔の仮面を被ったような、見たことのない彼だった
「娘さん方、少し下がっていてください
そして、目を閉じていてください」
…娘さん方って?
絶対私たちのことがわかったはずなのに、どうして?
『なぁ…あれ沖田はん…やな?
なんでうちらのこと、娘さんって…』
花里ちゃんも、青い顔をして手を握っている
理由はわからないけど、とにかくこの場に居合わせてしまった以上、今は彼の言うとおりにするしかない
『わかんない…けど、とにかくここを動かないでいよう』
そう言って身を寄り添わせ、時が経つのを待つ
その間に、浪士たち全員が標的を沖田さんに変えたようだった
「なんだ、幕府の犬が…!」
一斉に彼に襲いかかる
沖田さん一人にあんなに多勢では、勝ち目がない
―逃げて!!!―
叫ぼうとしても声にならず、ただただ手を握り締める
辺りはいつの間にか闇に包まれていた
大きな三日月が夜空に輝いている
その三日月は夜空を自由自在に駆け抜け、何か赤いものを生み出していた
『月…じゃない』
大きな三日月と思っていたそれは、沖田さんの剣だった
あまりにも美しく輝きを見せていたから目を奪われていたけど、それは確実に相手を仕留め、次々に地に這わせていった
しかし、彼の剣は殺めてはいなかった
ダメージこそ与えているものの、みんな生きている
「あなた方はこのまま屯所まで同行願います」
ばらばらとやってきた沖田さんの組下と思われる隊士さんたちが、その浪士の男たちに縄をかけ、連れて行った
彼だけが、その場に残った
『あの…沖田さん?あ、ありがとうございました…』
やっとその言葉だけを搾り出す
それでも沖田さんは振り返ることはなかった
しかし、かけられた言葉と声色は、いつもの彼だった
「怖い思いをしましたね 大丈夫ですか?」
『は、はい 大丈夫です…』
よかった、と、ひとつ小さなため息をついた沖田さんは、
「私は隊務中ゆえ、送っていくことはできません それに、こんな姿ですし…」
そう、彼の顔や着物には、返り血がしっかりと付いていたのだ
そして、ふぅっとひと息ついて、こう続けた
「何より、私と知り合いだと思われない方がいいので」
―いつ何時、何に巻き込まれるかわからないから
壬生浪士組というのは、そんなに恨みを買うような人たちなの?
学校の授業でも歴史が苦手だった私は、そんなことも知らない
「申し訳ありませんが、お二人で帰れますか?」
最後まで沖田さんは、私たちに顔を向けてくれなかった
私と花里ちゃんは、ただ深く頷いて、その場を後にした
『なぁ、○○はん…あれ、沖田はんよな?』
彼女は壬生浪士組を嫌悪しているが、沖田さんだけは違っていた
人なつっこい笑顔と、物腰柔らかな仕草は、彼の置かれている立場すら忘れさせていたのだ
『そうだね…いつもの沖田さんからは、想像もできなかった…』
帰り道で見上げる夜空に、細い細い三日月が輝く
さっき見たものより小さくて、白い月だった
まだ、沖田さんたちが名乗る壬生浪士組から新撰組に変わる前のことだった
彼の立場も知らず
その笑顔の下に秘めた、彼の志も知らず
彼に待ち受ける運命も知らなかった
そして何よりも、私はこのとき、三日月を赤く染めた笑顔の剣士と全てをかけた恋に落ちるなんて、これっぽっちも思っていなかった
―二重(ふたえ)の月【沖田総司】・完―
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いつも笑顔で、冗談も言って、周りを和ますことが上手な沖田さんだけど
剣の腕は超一流で
隊内において、近藤局長からも土方副長からも、厚い厚い信頼を受けていたはず
志を貫くため、土方さんは“鬼”を演じ、“鬼”となるんだけど
それと対照的に、沖田さんは、己の“鬼”を部分を隠すための笑顔を持っているのだと思うのです
仲間のために、共にもつ誠の志のために、
彼は笑顔で剣を抜き続け、もし武士として戦いの中で逝けたなら、やっぱり笑顔で逝ったんだと思います
それは叶わなかったから、悲劇の剣士になってしまったのでしょうが…
優しいだけではない沖田総司を、ちょっと書いてみたくなってのお話でした