さて「皓台寺誌」も大詰めに

なってきました


一庭融頓が洪泰寺の住職になり

洪泰寺の寺号を

「皓台寺」に定め

皓台寺創建になります


この時徳川家康は何も以て

長崎のキリスト教の

向こうを張る

仏教に期待したのか


具体的に

伝わるものは何もありません



ただ一言「キリスト教の

邪な教えに惑わされず

人倫の道を説いて仏法に引き戻せ」


といったことが

古記には見えてくるそうです


これは一見

何でもないように思われます


しかしキリシタン達が

教えられてきた事と



今から750年前に

道元禅師が描いた

思想体系がその根本に於いて


一つの「倫理」の

土台として考えると

大変に深い意味があるのです


また一方で「邪」かどうかは

主張の違いとして

お互いに異なる所も沢山あるのです



「人間今をどう生きるか」という
道元の考え方の基本は
「神」とか「霊」にすがるという

ワケのわからないことを
一切排除して
非常に現実的なのです

例えば「死んで主の御許にいく」と
いう殉教の心理など
道元禅師には全く関係なかったのです

From Itsuki