この玉林寺は佐賀の

名刹(由緒正しい寺)であり

また佐賀鍋島家は

徳川幕府のお気に入りでした


この時の一庭を推したのは

キリシタンを

弾圧して罰しようと

いうのではなく


キリシタンといえども

我が国の民であるという

家康の将軍としての所感

または権利者意識からとされてます



単にキリシタンを仏法のみに
教化して
無理やりに仏教に引きずりこまず

むしろ世間に人倫の道があり
それを説き
それを行わせることにより

邪教に眩惑されている
長崎の人たちを
正しい道へと引き戻すこと


こうした
メッセージを内示してました

これは期せずして
亀翁の思想と相似しています

そしてこれが一庭融頓の
教化信条になりました

幕府は祖法としてのキリスト教を
(先祖伝来伝わる由緒正しき法)
禁じる代わりに
仏法を説く前に人倫を説けなのです


つまり理解困難な教義を説く前に
先ず人倫を説け
日常の「人の道」から優しく教えよ
という意味のことを家康はいったのです

一庭は1642年(寛永十九年)に
三代将軍家光に好遇され
栗色塗網代興を長柄興として
許される程の名をなしてます

また明正天皇に拝謁して
「了外広覚禅師」の名を賜りました



From Itsuki