さてキリスト教のミサで

僧侶がお経を唱える事が度々起き

ここに

「キリスト教VS仏教」の図式が出来ました


その後1598年に

長崎筑後町の

善導寺の僧侶 聖誉が長崎の

仏教の衰退を嘆き


長崎の町の人々に

仏法を説き始めます




しかしこれに対しで

キリシタンの乱暴が起きます


これに対しお寺側は

同年1598年に

長崎の稲佐に

「悟真寺」を創建します


この悟真寺創建が

長崎での仏教再興の

初めとされます



(↑長崎 悟真寺)


長崎の港周辺に仏教寺を

建てるのは

キリシタンの妨害を受ける


しかし港の対岸になる

稲佐地区なら

キリシタンも追ってこないだろうと

いう考えからでした


その変わり仏教の布教も

町全体とはいかなくなりました



それから6年後の1603年に
今の佐賀の武士で
後に出家した
道智という人が
今の鍛冶屋町付近で
仏教の布教を始めました

道智はその地に「正覚寺」という
お寺を構え布教します
お経を唱えるとキリシタンから
暴力を振るわれ

声を出しで経文すら読むことすら
出来ない状態で
耐え偲んでの布教になりました
しかし
これ以上の妨害はありませんでした

ーつづくー

(↑長崎 正覚寺)