お栄がロシア艦隊艦長に
気にいられたのは
ロシア語が流暢な上に
社交的で人当たりがよく
才色兼備だったからと
いわれています
お栄の名前は既にロシアまで
聞こえてました
1881年お栄22歳の時に
ロシア艦隊旗艦バルト号に
給士として乗り込みます
お栄の帰国は1年後でした
その後上海へ渡り
1883年帰国したお栄は
流暢なロシア語と
身につけた社交術で
再び諸岡まつの片腕となり
西洋料理店「ボルガ」で
働きます
1889年にロシアの極東政策が
本格化すると
巨大なロシア艦隊が
長崎に入港するようになります
するとお栄は長崎港を見下ろす
稲佐の大地に300坪を
借地して
客室21 ロビー 宴会場
遊技場を備えた
ホテル「ヴェスナー(春)」を
開業します