私事で大変恐縮なのですが、この度樹LICOTTOを
福山カウンセリングルーム『あなままサポート』
にしましたことを、ご報告させていただきます。
ハンドメイドの贈り物雑貨店「樹(いつき)LICOTTO」
女性の隠れ家カフェ「Cafe de LICO」を応援してくださっていたみなさん。
ご無沙汰しております。
オーナーのRINAです。
たくさんの方に応援していただき、自宅雑貨屋とカフェのオーナーを続けていました。
もしかするとすでにご存じの方も多いかもしれませんが
義理の父の介護のため雑貨屋とカフェを長らくお休みをいただいておりました。
その間に迎えたコロナ
でも実はそのコロナの間に
私は自分自身とたっぷり向き合う時間がとれました。
私は大人になってわかったADHD
そして、いわゆる繊細さんといわれるHSPです。
子どものころから生きづらいと感じていた二つの気質と発達障害
そのため、いつも大人の顔色をみている
けど認められたくて虚勢をはってしまう超ネガティブモンスターでした。
子どもたちからは毒親だったかもしれません。
変わりたい。変えたい。
そんな思いから、自己啓発本を買っては積読…
そして、床にあふれた本を売る
そんなことしても、何も変わらない。
夫からは、「くだらない本」と言われ、変わりたい自分に「お前は変われない。お前はダメだ」と言われたようで
泣きながら、夫に反論していました。
極めつけは、40代での夫の祖母の介護と子どもの不登校、追い打ちをかける自分の体調不良
更年期障害と右手を上げられず寝返りもうてない胸郭出口症候群、足の裏が痛くて立てないモートン病
心も体も痛い
不登校の子どもに寄り添おうと頑張る。
子どもには私が寄り添う。
でも、私の声を誰か聞いて!
そう心の中で叫んでいました。
子どもが不登校になったのは
きっと私の子育てが悪い…
そうして続けた「不登校親の特徴」というエゴサーチ
そこに書いてあったのは
今でこそ「え?そんな親、程度こそあれど普通でしょ。親だって完璧じゃないもん」と思えるけれど
そのころの自己肯定感の低い私には、自分の出口をなくすのに十分だった。
アルコールをあびるようにのんで気を紛らわす
仕事をしようとパソコンに向かって
無意識にうっているのは
「はあ」
「つかれた」
いつも疲れたと思っていました。
夫との仲も当時は最悪でもう離婚するしかない…と家をでました。
泣きながら、説得してくれた子どもたち
そんな私が50歳で
「私は絶対に変わる。人生を取り戻す。
今日が人生最後の日だとしたら、大切な家族に不機嫌な顔を見せない」
そう決めました。
それからの私は、一気に変わっていきました。
自分を受け止め
子どもがすることも100%ではないけれど受け止めようとできる。
断酒し15キロやせました。
私を変えてくれたのは
瞑想と自己肯定感
私はADHDだったから
私はHSPだったから
私の経験があったから
今、あなたを支えようと思います。
あなたにも変わっていいと伝えます。
不登校のママと一緒に悩みます。
あなたがあなたのままでいい。
あなただから素晴らしいと許可を出していいと
あなたに伝えます。
勇気づけ自己肯定感カウンセラーとして
あなたによりそっていきます。
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