何事も、欲しがる前に、今の状況を把握せよ。

 

 

蛙たちは自分で自分を律するのに飽きてしまい、あまりに自由がありすぎて堕落し、何もせずに鳴くだけだった。そんな退屈な毎日に飽きてしまい統制してくれる政治を望んだ。私たちには内容のない政府は要らない、と蛙たちは言った。そこで、神に王様を授けてくださいと使者を送った。

 


神は蛙たちを愚かな生き物と思ったが、蛙たちをおとなしくさせ、王様がいると思わせるために大きな丸太を沼に落とした。丸太は大きな音を立てて沼に落ちた。蛙たちは、新しい王様が恐ろしい巨人だと思い、葦や草の間に隠れた。しかし、じきに王様はおとなしく穏やかなのがわかった。

そして、蛙たちは、ただ沼の上に浮いているだけで自分たちに命令したり、指示したりしない王様を不満に思った。

まもなく若い方の蛙たちは丸太王様を飛び込み台に使った。一方、年配の方の蛙たちは丸太の王様を会合場所にして集まり、大声で神に苦情を言った。「神よもっと強い王様を与えてください。」

神々の支配者は、蛙たちに教訓を与えるために、今度はサギ)を王様として送りこんだ。すると鷺(Heron)は前の丸太の王様とはとても違い、その王様は蛙たちを貪り食い始めた。今度は蛙たちは神に自分たちが全滅するまえに残酷な暴君をひきとるよう哀願した。
「なんだ!」と神は叫んだ。まだ不満か?お前たちの欲しいものをやったぞ、その災難は身から出たさびだろう!」 情報元:ソース

 

蛙はどんな王様をもらっても、満足しない。蛙たちは自分たちで何も行動を起こさずに(自分たちに)都合の良いリーダーを求め、

そのリーダーが(蛙の)望むように仕事をしなければ、また不満を言い別のリーダーを求めた。

現代社会を上手く描写していると思います。このイソップ寓話は、起源がなんと紀元前3世紀ごろ?と言われている。

 

 

ウィキペディアの説明この物語の元の文脈では、ファイドゥロスは、人々が法律の必要性を感じながらも、個人的な自制心に焦りを感じる。 最初の英語版を出版したウィリアム・キャクストンの頃は、「自由を持つ者はそれを歓迎すべきである、自由よりも良い物はない」という教訓が描かれている。彼の版では、王として送られるのは蛇ではなくサギ(鳥)。暴徒は支配者がいないと不安になる。政府があろうがなかろうが、神が作った王がいようが、民衆が作った王がいようが、まったくいなかろうが、大勢の民衆は決して満足しない」 。ウィキペディア

 

この様な寓話が出始めた背景には、「自由に意見を言うことが許されない時代」を物語っている。

 

 

Heron(鶴に似た鳥、鷺)

アオサギは、アオサギ科Ardidae属の淡水・沿岸の長足の鳥で、64種が確認されていますが、そのうちのいくつかは、アオサギではなく、サギやビターンと呼ばれる。
情報元:ソース


別の見解:

ドイツの神学者マルティン・ルターが『政府の権威について』(1523 年)。

善良な支配者の少なさを語り、その欠如を人間の邪悪さへの罰として捉えている。作家クリストフ・ミューラーは、自由を認めない者は神の意志によって暴君を送り込まれると警告する一節がある

この物語は、フランスのルイ14世が、シャルル・ペローの提案により、1669年にヴェルサイユ宮殿の庭園に設置された水圧像で構成された生け垣の迷路「ヴェルサイユの迷宮」のために選んだ39のイソップ寓話の1つ。ジャン・ドゥ・ラ・フォンテーヌの寓話『Les grenouilles qui desirent un roi』(III.4)は、ファイドゥロスの版をかなり忠実に踏襲しており、その結論を繰り返している。ラ・フォンテーヌが執筆したのは、イングランドで共和制政権の時代を経て君主制が復活した直後のことで、レストランジュがコメントしたのは、革命によって復活した政権が転覆し、別の政権が設置されてから3年後のことだった。

フランス人が政権交代を経験するやいなや、挿絵家たちはこの寓話を通して自分たちの感情を表現した。1791年に描かれた「Le roi soliveau, ou les grenouilles qui demandent un roi(ログ王、またはカエルが王を要求する)」というタイトルの漫画は、シャン・ド・マルスの大虐殺の責任者たちを皮肉たっぷりに描いている

 

次の世紀には、風刺画家のグランヴィルは、検閲によって生活が困難になった後、ラ・フォンテーヌの寓話の挿絵を描くことに転向。そこには、 月桂樹の冠 をかぶって水の中を闊歩する皇室のコウノトリが描かれており、一方ではお人好しの支持者に応援され、他方では大惨事を引き起こす。土手の上に座って獲物を飲み込んでいる恐ろしい骸骨のコウノトリの絵は、1869年に出版されたイソップ寓話集に掲載されている。 彼の両親を亡命に追いやった第二次フランス帝国に対する彼のコメントである
 

月桂樹の冠

 

ロナルド・ウィルソン・レーガンひらめき電球政府が制限されない限り、人間は自由ではないということに気付くべきだ。ここに明確な因果関係があり、物理学の法則のようにきちんとした予測可能なものだ。政府が拡大すれば、自由は小さくなる。
ひらめき電球自由はいつも絶滅と背中合わせだ(一世代以上離れていない。)情報元:ソース

 

 

 

今日も感謝有難う。