今年で5歳になる男の子のお話。


約5年前、初産にて普通分別にて男児を出産。


産声を聞くことなく一瞬だけの抱っこ。涙涙だった。



しかし写真たった一枚を最後に離れ離れになった。


多血症、黄疸、陥没呼吸、トリソミー疑い、脳動脈奇形疑い、網膜症、皮膚どう、潜在性二分脊椎の診断がおりた。


何も受け入れられず眠れず、泣いてばかりの産後


自分が産んだ赤ちゃんに会いたくてたまらなかった。


必死で搾乳して大学病院に会いにいった。



たくさんの管が繋がれていて



また涙なみだ🥲


ごめん、私のせいだ


三交代になれずご飯食べなかったからだ。泣



私を救ってくれたのは


義母のことばだった



悪くないの攻めたらだめ。2人だから育てられると思ったのよ。2人は選ばれたのって。


また泣く


産後、面会の許可が降りたら毎日時間になったら行って毎日毎日授乳の練習をした


飲めなくて挫けそうになりながら



助産師さんや看護師さんはとっても優しく対応してくれて頑張らないとって思た


たくさんの検査も終わり、状態も落ち着いたので2ヶ月が無事退院した。←連れて帰りたくてお願いした


そして入院している間に名前が決定した


樹希


いつき


希望も持って大きく育ってほしいという気持ちを込めて



つづく

いつさえのpick