久しぶりに書く気になりました。誰か読んでくれるといいな~デレデレ

 

2020年はあっという間に終わって、生活が変わっていろいろ考える時間が増えて、

その中でも日本のHomogeneous societyについて改めて考える機会が自分の中で多かったなと思っています。

もともとこのことについて昔から考えがちだったんだけど、コロナで時間増えて改めてもやもや考えていました照れ

日本て本当マイノリティが生きづらい国だよな、とずっと思っていました。

 

アメリカのBlack lives matter!の報道を日本でも多くのニュース番組が扱っていて、

でもそれを遠くの国のこと、くらいにしかどうしても感じられないような報道ばかりだった。

この出来事に対して日本ではこういう問題がある

と視聴者に自分ごととして考えるきっかけは与えられていなかったように思う。

(まあ、テレビのニュースにそんなこと期待すること自体が間違いなのかもしれないけどニヤリ

 

日本では警察官がむやみに違う人種だからと言って銃で撃ってしまうということはなかなかないし、

目で見てすぐわかるくらい見た目で明らかな違う人種がアメリカほどたくさん身の回りにいない。

ちなみにアメリカの人種の比率がざっくりこんな感じ;

1.6割が白人

2.ヒスパニックが2割弱

3.黒人が1割ちょっと

4.その他が1割弱

 

日本の人種(?)の比率はこんな感じ;

1.日本人が98%

2.中国人が0.4%

3.韓国・朝鮮系が0.3%

4.ブラジルが0.12%

 

案の定日本には日本以外のルーツの人が異常に少ない。少ないけどもちろんいる。

日本のトップ3はアメリカの黒人やヒスパニックみたいにぱっと見で判断できない。

人種で言ったら近い人種だし、見分けるとしたら服装とかかな?でも日本に長く住んでいたり、2世3世とかだったら

服装だって似たような感じになる。ここまで来たら見た目じゃ判断しづらくなる。

 

アメリカと違うのは、日本では日本で生まれても親が外国籍であれば日本国籍が貰えない。

だから、帰化しない限りずっと外国人となってしまう。

だからこそ、静かな暴力が横行されがちだなと思う。撃ち殺されちゃうことはなかったとしても、

見た目では判断できないからこそ、うっかり相手を傷つけかねない言動や報道が散見されがちだと思う。

 

例えば、バラエティー番組でのちょっとした例え芸で派手な衣装を着た芸風の芸人に対して

「中国で一発あてた大富豪みたいやな」と例えたり、

普段の会話で日本がいまだに先進国だと信じている場合、ついつい20年前のままの感覚で韓国や中国を下に見た発言をしてしまう。

 

あとは、外国籍の人が書類送検された場合、必ずその人の国籍を報道されるけど、

あれは言う必要があるのかな~とちょっと思う。新井浩文被告(韓国籍:本名:○○)みたいな。

外国人が日本で悪いことをした、という印象を無駄に与えがちな気がする。

どこの国の人かって視聴者にとって関係ないのでは?と思ってしまう。

(あくまで例ですが)韓国人がまた犯罪を犯した、みたいな印象を与える必要ってないと思う。

 

という感じでいろいろ思うところがあった中、ここ数日なぜか25年前に公開されたディズニーのポカホンタスのメインテーマ曲の

Colors of the windの歌をやたらエンドレスリピートで聞いていて、歌詞にやたら感銘を受けてしまって、

日本ではなんでこういう曲がないんだろう、と悲しくなりました。

(あるのかもしれないけど、ここまではっきり歌っているのってない気がして)

ちなみにどストレートだけど、下記の歌詞、改めていろいろ考えさせられます。

You think the only people who are people

Are the people who look and think like you

But if you walk the footsteps of a stranger

You'll learn things you never knew

つづく

For whether we're white or copper skinned

You need to sing with all the voices of the mountains

You need to paint with all the colors of the wind

つづく

 

で、こんなこと偉そうに語っている私ですが、もやもや感じている割にちゃんと調べたりしたことはなく、

昨日初めて井筒監督の映画のパッチギ!を観たんです。

60年代の京都での朝鮮系の高校と日本の高校生の交流を描く中で

在日朝鮮人と日本人の間にある壁をわかりやすく描いていて、当事者が見たら何て評価するかはわかんないけど

ただただひたすら分かりやすく描いていて、イメージがつかみやすかったです、としか言えない、今のところ滝汗

すぐ近くにいるのに日本人は在日朝鮮人のことを全然理解していない。

 

映画では京都だったけど、都内にも朝鮮学校はある。朝鮮大学校と武蔵美はお隣さん同士。

けど、身近に朝鮮学校出身の人はいるのかいないのかわかんない。

恐らく本人たちはあえて日本のコミュニティ内で自分からわざわざ朝鮮人ですってアピールはしないだろうし、

日本人の中に上手く溶け込んでしまうと思う。

すごく身近な外国文化のはずなのにその実態を(私を含めほとんどの人が)まるで理解していないし、気にも留めていない。

 

で、映画を観た後いろいろ気になってググってて見つけた記事の中に、朝鮮大学校物語(小説)の著者ヤン・ヨンヒの記事を見つけて

そこにすごくすごく共感したので、シェアします。

この小説では日本人と在日朝鮮人間の交流が描かれているそうなんですが(まだ読んでないので。。)、

「私はあなたが朝鮮人だろうと気にしない」、といったシーンがあるそうなんです。

それに対して

「気にしないと言われたいんじゃなくて、理解して分かった上で受け止めてほしいんだ」っていう言葉がありました。

「気にしない」でほしいのではなくて、理解して受け止めてほしい。という言葉にズドーンと感銘を受けました。

それだ!ってすごく共感したんです。

 

友人が悩んでいた時に、そんなこと気にしなきゃいいじゃん!とか、誰もそんなこと気にしていないよ!とか

言っちゃうことあると思うんです。実際に自分でも言われたことあるし。

けど、なんかそれって言われたとき別に何も「ありがとう」っていう気になれないんですよね。

 

悩んでいる時ってじっくり聞いて寄り添って受け止めてほしい、少しでいいから痛みを理解してほしい、ていう気持ちが大きいと思うんです。

人って誰でも誰かに分かってほしいんだな、て改めてすごく痛感させられたんです。

 

私は帰国子女で、在日朝鮮人が日本で感じている生きづらさを想像すると、

同じ土俵で語っちゃいけない気はするんですが、

帰国子女ならではの悩みは海外経験がない人からすると、悩みの内容が理解されづらく

贅沢な悩みだとか、むしろカッコいいじゃんとか、そんなの相手の人気にしてないよ~、と言われることがほとんどで

帰国子女同士でしか理解されないな、と悟って高校卒業以降はむやみに話題に出さなくなったんだけど、

恐らく当事者以外からしたら対した内容じゃないからこそ、市民権を得られていないからこそ、

改めてきっと誰だって誰かに認められたいんだろうな。と思ったのでした。

 

で、この一連のポカホンタスからのパッチギからの朝鮮大学校物語の流れを吸収して、

これからはもし誰かの悩みを聞いたら、寄り添う姿勢を前面に示せるようになろう、と思った。

例え共感できなくても、人はみんな認めてほしいんだから、ということを忘れないようにして、

包み込む余裕を持った女になりたいな、と思ったのでした。

 

なんかまとまりない文章だけど、日本がもっと他者への思いやりに溢れる、優しい国になりますように、という願いを込めてデレデレアップ