この『音楽とは!』シリーズは、私が2001年の冬に体験した、病気の内容です。
その当時の事を思い出しながら書いています。決して、内容を告発しようとかの類ではなく、きちんと、その時の感情を記録しておこうといったものです。
途中から読んだ人は、その前の旅行の記録も続けて読んでみてください。
それでは、どうぞ!
先生との手術の打ち合わせが終わり、外には母が一人で待っていました。
母は、
「どえんやったね?」
と、聞いてきました。
「うん、WPW症候群っていうてね、生まれつき心臓が悪かったげな。」
私は、そう答えました。つづけて、
「明後日、手術げな。」
「今日は、もう帰っときない。早う帰らんと渋滞に巻き込まれるけんね。」
母は、何も言わずにうなづき病院を後にしました。
病室に戻ると、相部屋の人たちに挨拶をしようとしたら、他の人たちの方から聞いてきました。
「あんたー、若いごたぁばってんが?何の悪かとね?」
老人が聞いてきました。
私は、
「はい、心不全を起こしまして、明後日、手術だそうです。」
もう一人の、コンビニの経営者の人は、
「手術は開胸するとね?」
と聞いてきました。
「いや、カテーテルだそうです。」
すると、老人は、
「何なー、カテーテルなー!それなら、良かっとうたい。俺ぁーもー3回も開胸手術ばしてからくさ、心臓は豚の皮で出来とうばい。今回は、それば新しかとと取替えたい!」
と大きな声で明るく話しかけてきました。
コンビニの経営者の人は、
「明後日なら、俺の開胸手術の方が先やねー。」
と言ってました。大部屋の患者さん達は、皆、明るく、さすがは博多の親父達と感心しました。
特に、コンビにの経営者の方は、明るい人で、やはり発作を起こして倒れて救急車で運ばれたそうなのですが、明日、初めての開胸手術と言うのに、ものすごく気さくで、明るかったのです。
市立敦賀病院では、患者さんたちは老人が多くて、ものすごく暗かったのですが、ここ福岡の病院では、私くらいの手術だと子供に毛が生えたくらいの事だったのでした。
私は、他の患者さん達と仲良くなり、手術に対する勇気が沸いてきました。
・・・つづく
その当時の事を思い出しながら書いています。決して、内容を告発しようとかの類ではなく、きちんと、その時の感情を記録しておこうといったものです。
途中から読んだ人は、その前の旅行の記録も続けて読んでみてください。
それでは、どうぞ!
先生との手術の打ち合わせが終わり、外には母が一人で待っていました。
母は、
「どえんやったね?」
と、聞いてきました。
「うん、WPW症候群っていうてね、生まれつき心臓が悪かったげな。」
私は、そう答えました。つづけて、
「明後日、手術げな。」
「今日は、もう帰っときない。早う帰らんと渋滞に巻き込まれるけんね。」
母は、何も言わずにうなづき病院を後にしました。
病室に戻ると、相部屋の人たちに挨拶をしようとしたら、他の人たちの方から聞いてきました。
「あんたー、若いごたぁばってんが?何の悪かとね?」
老人が聞いてきました。
私は、
「はい、心不全を起こしまして、明後日、手術だそうです。」
もう一人の、コンビニの経営者の人は、
「手術は開胸するとね?」
と聞いてきました。
「いや、カテーテルだそうです。」
すると、老人は、
「何なー、カテーテルなー!それなら、良かっとうたい。俺ぁーもー3回も開胸手術ばしてからくさ、心臓は豚の皮で出来とうばい。今回は、それば新しかとと取替えたい!」
と大きな声で明るく話しかけてきました。
コンビニの経営者の人は、
「明後日なら、俺の開胸手術の方が先やねー。」
と言ってました。大部屋の患者さん達は、皆、明るく、さすがは博多の親父達と感心しました。
特に、コンビにの経営者の方は、明るい人で、やはり発作を起こして倒れて救急車で運ばれたそうなのですが、明日、初めての開胸手術と言うのに、ものすごく気さくで、明るかったのです。
市立敦賀病院では、患者さんたちは老人が多くて、ものすごく暗かったのですが、ここ福岡の病院では、私くらいの手術だと子供に毛が生えたくらいの事だったのでした。
私は、他の患者さん達と仲良くなり、手術に対する勇気が沸いてきました。
・・・つづく