訪ねてみたい十和田湖畔にある光太郎の晩年の作品だ。


「 乙女の祈り 」 





乙女の祈り  って どんな思いがあるのだろう?



乙女は、智恵子



智恵子の祈りって なんだろう


52で 亡くなっている


(昭和13年)








智恵子は、昭和7年 睡眠薬を飲んで自殺未遂



このことを推し量ることはできない






昭和7年以降 智恵子は 精神を病んでいく


昭和13年死す この間 約6年


智恵子は 自分と精神を病んだ自分と


共存していたのだろう


かたわらに ずっといた 光太郎







どんな想いで 寄り添ったのだろう

そのとき 智恵子は なにを想い

なにを考えたのだろう




精神を病んだ人との6年間を

光太郎は 優しく包んでいる






あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒蔵。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた
空気を吸おう





なんと壮絶な 戦いだろう

光太郎にとっては ごく自然な振る舞い






こんな光太郎に 愛された智恵子は

幸せだろう





でも



智恵子は その幸せを

受け取ることが

できた・・・・






精神を病んで 2年

結婚して 十数年後

光太郎は 智恵子と籍をいれる

智恵子48歳の時





光太郎は 晩年 山奥で暮らしている

岩手の雪深いところだという

冬は 氷点下数十度 積雪数十メートル







その山に入ったのが 62歳くらい

まるで 二人暮らしのような雰囲気だったそうだ



そこには 生きた智恵子とともに暮らす光太郎が

いる

幸せだった



そんな山を下り

乙女の祈り

を彫ろう

智恵子をh折ろうと決意し

山を下りた決意が

智恵子の祈り

乙女の祈り



そう思う






つきなみな 言葉だが


愛する智恵子へ  光太郎。。。。。








高校のとき




高村 光太郎の詩集を読んだ






そのとき





ひとことひとことを本当に、わかることができなかったと思う




智恵子が 病院で亡くなるとき

光太郎とふたりきりだったという



いや  ふたりいっしょだったという





病院のベッドで

光太郎の手にあった レモン を

ガブリと噛んで

その 「 トパアズいろの香気 」で

めざめ

光太郎の手を強く握ったと



臨終の瞬間を 「 レモン哀歌 」は 描写している






最後の2行








光太郎は、62歳になり岩手の山奥にこもる

それから約7、8年

春を迎える度に

きっと

光太郎は 遺影に 桜とレモンを置いたのだろう