魂と売上が一致するサロンを導く
量子力学的経営プロデューサー 小堀梨花です。
はじめましての方はこちら
私は現在、緩和ケア病棟でソシオエステティックの
ボランティア活動をさせていただいています。
緩和ケア病棟と聞くと、少し重たい印象を持たれる方も
いらっしゃるかもしれません。
けれど、私にとってその場所は、
命の終わりだけを見つめる場所ではなく、
「その人が、その人らしく生きる時間」に寄り添う、
とても尊い場所です。
エステティックという仕事は、
一般的には「美しくなるため」「若々しくなるため」「肌を整えるため」
のものと思われることが多いかもしれません。
もちろん、それも大切な役割です。
けれど私は、エステティックの本質は、
もっと深いところにあると感じています。
それは、
人が自分の身体を大切に思えること。
自分の存在を肯定できること。
そして、誰かに丁寧に触れられることで、
「私はまだ、ここにいていい」
と感じられることです。
キリスト教との出会いが教えてくれたもの
私の人生の中で、キリスト教との出会いはとても大きなものでした。
それは、宗教的な考えを誰かに伝えたいという意味ではありません。
私は洗礼を受けていません。
私にとってのキリスト教との出会いは、
お友達に誘われた小学3年生の日曜学校からスタートします。
「人は何のために生きるのか」
「人に仕えるとはどういうことなのか」
「本当の愛とは」
という問いを、静かに心の中に置いてくれたものでした。
人は、元気な時、若い時、仕事ができる時、
誰かの役に立てる時だけ価値があるのではありません。
病の中にある時も、
弱さを抱えている時も、
何かができなくなっていく時も、
その人の存在そのものに尊厳がある。
「人間の尊厳」を、私は信仰との出会いの中で学んできたように思います。
緩和ケア病棟で出会う方々は、
人生のとても大切な時間を過ごされています。
そのお一人おひとりに向き合う時、
私はいつも、技術者としてだけではなく、
ひとりの人間として、
その方の尊厳に触れさせていただいているような気持ちになります。
全人的ソシオエステティックとの出会い
私がソシオエステティックに出会った時、
本当に深く心を動かされました。
ソシオエステティックは、表面だけの美しさを追求するための
エステティックではありません。
その方の身体だけでなく、心、生活背景、社会とのつながり、
そして人生そのものに寄り添うケアです。
病気や加齢、障がい、心の傷、社会的な困難などによって、
自分の身体や外見に自信を失ってしまうことがあります。
鏡を見るのがつらい。
人に会うのが怖い。
自分の身体が、自分のものではないように感じる。
そんな時、エステティックの手は、
単なる美容の手ではなくなります。
その方がもう一度、
「自分の身体に戻る」
「自分自身を受け入れる」
「人に大切にされる感覚を思い出す」
そのための、大切な手になるのです。
全人的ソシオエステティックと出会ったことで、
私はエステティックの可能性を改めて知りました。
美しさとは、若さや見た目だけではありません。
美しさとは、
その人がその人として尊重されること。
安心して自分でいられること。
そして、たとえ病の中にあっても、
「私らしさ」を失わずにいられること。
そのように感じるようになりました。
緩和ケア病棟で触れる時間
緩和ケア病棟でのケアは、
サロンで行うエステティックとは全く違います。
何かを大きく変えるための施術ではありません。
結果を追い求める時間でもありません。
若返りや改善を目的にするものでもありません。
そこにあるのは、ただ静かに寄り添う時間です。
手に触れる。
腕をさする。
お顔にやさしく触れる。
足元を包むようにケアする。
ほんの短い時間でも、その方の呼吸が少し深くなったり、
表情がやわらいだり、目元が穏やかになったりすることがあります。
言葉は多くなくても、触れることで伝わるものがあります。
「大丈夫ですよ」
「ここにいますよ」
「あなたは大切な存在です」
そんな言葉にならないメッセージを、
手を通してお届けしているんです。
時には、ご本人だけでなく、ご家族の表情が変わることもあります。
大切な方が、少しでも穏やかな顔になられる。
気持ちよさそうに目を閉じられる。
その姿を見ることで、ご家族の心も少し緩む。
その場に流れる空気が、ふっとやわらかくなる瞬間があります。
私はその瞬間に、エステティックの力を強く感じます。
死生観について思うこと
緩和ケア病棟での活動を通して、
私は「生きること」と「死ぬこと」について、
以前よりも深く考えるようになりました。
死は、誰にとっても避けることのできないものです。
けれど私たちは、日常の中でそのことをあまり考えずに過ごしています。
緩和ケア病棟に伺うたびに感じるのは、
死を見つめることは、暗いことだけではないということです。
むしろ、限りある命を見つめるからこそ、
今日という日をどう生きるのか。
誰に感謝を伝えるのか。
どんなふうに人と関わるのか。
自分に与えられた手や時間を、何のために使うのか。
そのことが、とても鮮明になっていきます。
人生の最期に近い時間だからこそ、
その人の人生が持っている尊さが見えることがあります。
職業や肩書きや成果ではなく、
その人が生きてきた時間そのもの。
愛してきた人。
大切にしてきたこと。
言葉にできない想い。
それらが静かにそこにあります。
私はその時間に触れさせていただくたびに、
「人は最後まで尊厳を持って生きる存在なのだ」
と感じます。
そして、エステティックはその尊厳に
私がこの活動を続ける理由
私が緩和ケア病棟でのボランティア活動を続ける理由。
それは、エステティックの手が、
人生のどの段階にある人にも届くものだと信じているからです。
元気な方だけのものではなく、
若い方だけのものでもなく、
美しくなりたい方だけのものでもない。
病の中にある方にも、
人生の最終章を歩んでいる方にも、
心が疲れている方にも、
人の手のぬくもりは必要です。
人は、触れられることで安心します。
大切に扱われることで、自分の存在を思い出します。
身体にやさしく触れられることで、
心まで少しほどけていくことがあります。
私は、その時間をお届けしたいのです。
もちろん、私にできることは大きなことではありません。
病気を治すことはできません。
人生の苦しみをすべて取り除くこともできません。
悲しみを消すこともできません。
けれど、ほんの短い時間でも、
「気持ちよかった」
「手があたたかい」
「安心した」
「またお願いね」
そう感じていただける時間をつくることはできます。
その小さな時間の中に、
人が人として大切にされる尊い瞬間があると、私は思っています。
美容の力で、人生に寄り添う
私は長く美容とエステティックの仕事をしてきました。
ヘアや肌を美しくすること。
身体を整えること。
若々しさを保つこと。
それらはもちろん大切です。
けれど、今の私にとってエステティックは、それだけではありません。
エステティックは、人生に寄り添う仕事です。
その人が自分らしく生きるために。
年齢を重ねても、自分をあきらめないために。
病や困難の中にあっても、尊厳を失わないために。
そして、人生の最期の時間にも、
少しでも穏やかさとぬくもりを感じていただくために。
私はこの手を使っていきたいと思っています。
キリスト教との出会いが教えてくれた、人に仕える心。
全人的ソシオエステティックとの出会いが教えてくれた、
人をまるごと見る視点。
そして緩和ケア病棟で出会う方々が教えてくださる、生と死の尊さ。
それらが重なり合って、今の私の活動につながっています。
「タッチング」は、命の最後の瞬間まで人に寄り添えるものだと信じています。
そして、どのような時も、
人は最後まで大切にされる存在であることを、
私の手を通してお伝えしたいからです。
人生の最後まで、その人がその人らしくあるために。
私はこれからも、エステティックの手を通して、
命の尊厳に静かに寄り添っていきたいと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。


