僕が見た永田町~素人しか変えられない~③ | 伊藤ようすけオフィシャルブログ Powered by Ameba

僕が見た永田町~素人しか変えられない~③

僕が見た永田町~素人しか変えられない~③

 

結局、選挙対策委員長であるM氏と面会を果たせたのは、2015年11月のことだった。A衆議院議員に依頼してから、既に半年の月日が流れていたことになる。

何故これほどの時間がかかったのか。
偏に僕がこの面会について、「何が何でも早くに実現しなきゃ」と切望していなかったことが原因だ。
早い話、僕の怠慢!
心のどこかで、「党員集めのノルマを果たしているのだから、自民党の公認はもらえる」という奢りと油断があったのだと思う。
したがって、A議員の秘書とメールでスケジュール調整をしながらも、こちら側からせつくことはしなかった。返信がなくても、気長に待った。
全く公認をもらおうとする人間に、あるまじき行動だったと反省しきりだ。

一方で、僕は全国を精力的に回っていた。(と言いながらも、結局落選したのだから、まだまだ足りなかったということになる。ただ、金銭的にはこれが限界だった。お金が続かない。ちなみに2014年4月頃から訪れた都道府県は21に及ぶ)
前回、ネットだけで戦い落選した反省を踏まえ、とにかく人に会って、その話に耳を傾けた。そして、僕の思いも聞いてもらった。
農業に従事している人、地元にイベントを誘致している人、パン作りで世界一になった人などなど、職種は様々だったが、自身の仕事にプライドを持っているからこその夢について熱く語ってくれた。
どうして、そこまで熱くなれるのか・・・。
皆、自身の愛する故郷の衰退ぶりを目の当たりにし、強烈な危機感を抱いていたからに他ならない。
自分が何とかしなきゃ、この街は消滅してしまう。
そんなお尻に火のついた現実が、彼らの気持ちを突き動かし、行動
となって現れていたのだ。

実際、地方の衰退ぶりには驚かされた。
以前に比べて(一応、芸能人という仕事柄、これまで47都道府県すべてに足を運んだ経験あり)とにかく人が歩いていない。店も開いていない。当然、活気はない。東北地方においてその傾向は顕著だった。こんな状況では若い人たちが自身の地元に見切りをつけるのも無理はない。
だって、楽しくなさそうだもん!
選挙中に掲げたスローガン「ライブで地方創生」は、この地方行脚
の経験を経てたどり着いた言葉だが、後日これについては詳細に記したいと思う。(そんなものできるか!などの批判も多くいただいたもので)

で、M選挙対策委員長との面会当日の話だ。
僕としては9ヶ月後の選挙を控えての、ご挨拶のつもりだった。既に自民党は比例区で15名ほどの公認を出している。さすがにその場で公認の確約をもらえるとは思っていなかったが、それらしき話は出るかもと少なからず期待はしていた。
(ちなみに前回の選挙で、僕が正式な公認の連絡をもらったのはゴールデンウィーク明けの5月中旬。つまりは決戦の日まで約2ヶ月に迫っていた)。
場所は自民党内にある選挙対策委員長室。その控室に行くと、B衆議院議員が待ち受けていた。
「よっ、お疲れ様!」
B氏とは面識があって、話すうち少しずつ緊張がほぐれていく。
ちなみに氏は、選挙対策副委員長でもある。
「面会に同席してくれるということは、公認についての具体的な話が出るかも・・・」
期待は膨らんだ。
部屋に通される。M選挙対策委員長は笑顔で迎えいれてくれた。
そして、がっちりと握手。
「悪い話になりそうはない・・・」
ところが、ソファに腰掛け、M氏を見やると、その表情は一変していた。
テレビでマイクを向けられた時に見せる顔。僕の知っているM氏の顔だった。
嫌な予感が走る。自然と拳を固く握っていた。
「で、早速なんだけど、このままでは伊藤さんを自民党は公認しないと思います」
えっ!
言葉にこそ出なかったが、僕は明らかに動揺した。

④に続く。