僕が見た永田町~素人しか変えれない~① | 伊藤ようすけオフィシャルブログ Powered by Ameba

僕が見た永田町~素人しか変えれない~①

僕が見た永田町~素人しか変えれない~①

 

時は今から、約1年8ヶ月前に遡る。
2015年4月のことだ。
僕は自民党の若手衆議院議員A氏と丸の内にあるレストランで飯を食った。氏とは僕が出馬した前回の参議院選挙(2013年)で知り合ったのだが、政治に向き合う真摯な姿勢と議員の方にありがちな横柄な態度が微塵もないところから、勝手に好感を持っていた。

ちなみに氏には落選の経験がある。浪人時代の暮らしは、それはそれは過酷だったそうだ。
落選と同時に多くの人が一気に離れていった。
それまで「先生、先生」と持ち上げていた人も、電話にすら出てくれない。街ですれ違って声をかけても、会釈をされるだけ。
一方で氏には妻と子供がいた。当然、彼らを食べさせていかなければならない。にもかかわらず、次をめざすのであれば、就職するわけにもいかない。衆議院は参議院と違い、いつ選挙になるかわからないからだ。
結果、地元の企業のいくつかと顧問契約を結んでもらい、何とか食いつないだ。議員になる前サラリーマンをしていた時の年収からすれば三分の一にも満たない額でだ。
その時の経験が、氏の人柄に大きく寄与していることは間違いない。
「手のひらを返した人たちに、怒りとかなかったの?」と聞くと
「仕方ないですよ。僕がその程度の人間だったってことですから」
とさらりと答えられた。

人は失敗の経験を経て、成長する。人に優しくなる。どん底にいてこそ、今もそしてこれからも人は互いに支えられながら生きていく現実を思い知るからだ。
余談ながら、だからこそ僕は落選を経験した政治家こそ、信じられると思っている。

互いの近況を報告しあいながら、話題は翌年の参議院選挙に及んだ。
「伊藤さん、出るんですよね?」
「そのつもりで準備は進めているんだけど」
「M先生には会われました?」
「いや、まだ・・・」
「それはまずいなあ」
M先生とは、M選挙対策委員長のこと。
今から思えば穴があれば入りたいほど恥ずかしい限りだが、僕はこの時点で未だ選挙対策委員長との面識がなかった。

見苦しいながら、言い訳をする。
前回の落選後すぐ、僕は当時のK選挙対策委員長と面会する機会を得た。
その際、次回もチャレンジしたい気持ちを伝えたところ、であれば「自民党員を最低300名集めるように」との指示を受けた。
300名分の名簿を持っていることが、次回の選挙では必ず役に立つというのだ。
自民党員になってもらうためには、年会費4000円を払い、住所、電話番号などの個人情報を自民党に届け出てもらうことが必要となる。
学生時代、散々パー券を売ってきた経験から、「楽勝でしょ!」と高をくくっていたところ、これが殊の外苦戦した。
断られる理由はほぼ同じ。
「伊藤洋介は応援するが、自民党にお金を払うのは嫌だ!」

普段、友人、知人との会話に政治の突っ込んだ話が出ることはあまりない。支持している政党の話題など、皆無だった。
だからこそ、こうして断られる度に、世間に蔓延している「自民党を積極的には応援したくない」という気分を肌で感じ、自身がこれから歩もうとしている道に少なからず不安も覚えた。
それでも、この300名をクリアすることこそが次回も公認してもらうための条件だと解釈していた僕は、とにかく人と会い、頭を下げ続けた。
結果、この時点で300名を集めるメドはほぼついていた。
当然、次回も公認してもらえると勝手に判断し、時の選挙対策委員長にもいずれ会いにいけばいい程度にしか考えていなかったのだ。

②に続く。