戦いを終えて②
日中は各自の仕事があり、夜になって集まってくれるスタッフのことを考えると、借りるとなれば都心である必要があります。ご存知の通り、東京の家賃は高いんです。とてもそんな金銭的な余裕はないと踏んでいました。
ところが、そうは問屋がおろさなかった・・・。
自民党、総務省とのやり取り、マスコミからの問い合わせは驚くべきことにすべてFAX。(その昔、森永製菓で働いていた頃、テレビ局や雑誌社との連絡は必ずメールを使っていたのですが・・・。部署が違うとここまで文化が違うのかとびっくりしました。)
これでは深夜にならなければ帰宅しない僕のレスポンスはどうしても遅くなってしまいます。(実は当初、僕の家にはFAXがなくて、あわてて買いにいきました)
結果、党の職員の方、マスコミの方から再三お叱りを受けました。
「真剣に戦う気持ちがあるんですか?」
「事務所がないなんて、ありえないですよ」
党からならいざしらず、マスコミから叱責を受けることには正直納得がいかなかったものの、いかんせん初めての体験ですから、反論することは躊躇われました。
それでも無い袖は振れないと、スタッフとはFACEBOOKやLINEで連絡を取り合い、打ち合わせ場所には青山、三宿のデニーズを利用し、5月に入ってから2週間ほどは何とか事務所なしの状態で凌いでいました。
そして5月末のこと。
その日は朝から静岡にお邪魔し、書道家の方にお話を伺った後、東京に戻って取材を4本受け、帰宅したのは午前0時を回っていたのですが、僕を待ち受けていたのはドアの前に高く積み上げられたダンボールの山。
中身は自民党から送られてきた有権者のみなさんに配布するためのチラシでした。
呆然とそのダンボールを見つめながら、僕はついに事務所なしで選挙活動を続けることを観念したのです。
続く・・・。
日本を宣伝する
伊藤ようすけ