その言葉、デジャヴ感。 | 「僕はずっと山に登りたいと思っている。……でも明日にしよう…」 残念ながら、おそらくあなたは永遠に登れないでしょう。

その言葉、デジャヴ感。

友達にも親にも担任にも上司にも言われていないだろうから私が進言します。
いま、ふと思いついて得意気になったその考え、それはもう既にいつの時代かどこの地域か分かんないが誰かが考えていたことで、オリジナリティは皆無だといってよい。もちろんこの言葉も。

 つまりは人間は科学の発展、社会構造の改善、世界大戦などを経験しても全く本質は変わっていないということだ。キューブリックさんの言うとおり、石器時代の骨とスペースシャトルには何の違いもないのである。人間なんてものはいつの時代も食い、寝、遊び、働き、愚痴り、喜び、産み、育て、老いる。基本的にはそれくらいだ。偉大なる先人たちはおそらく気付いていたことだろう。偉大といえば、ギリシア神話。私は個人的に、古代ギリシアの人々はゼウスをはじめた⑫神を見たことがあると思っている。そうでなければあんなに昔にハイクオリティ、ラディカル、クリエイティブな数々の話、どうやって作り上げたのだろうか。全ての小説、物語の原形と言われる、オイディプス王の話は有名である(これはエグい話なので、アジア全域ではR指定にするべきだと思っている)が、当時の民衆の創造力はすでに人類としてのそれの完成形を見ていると言ってもいいだろう。

 恥ずかしながら私が一番あこがれていた職業は小説家であった。いえ、本音を言うとまだあこがれているのですが、ギリシア神話を読んだときそのあまりの面白さ、深遠さに愕然とした。作者は不明、と言うことは民衆がオクトパスを傍らにウゾでも飲みながらわいわい言いながらつくりあげたのだろう。複数だから多様な意見が出たと言えなくもないが、それにしても面白すぎる。私は敗北を認め、ペンを置いた。